2003年8月1日(金)「しんぶん赤旗」
一九五九年から六六年にかけて、核兵器を積んだ米海軍揚陸艦(LST)サン・ホアキン・カウンティ号が山口県岩国市の米海兵航空基地沖に長期停泊していたことについて、日本政府が当時、その事実を知っていたことを示す米政府文書が明らかになりました。これまで日本政府が同号の核兵器積載に「暗黙の同意」を与えていたことは、米政府関係者の証言で知られていましたが、それを示す米政府の文書が見つかったのは初めてです。
この文書は、ホイーラー米統合参謀本部議長がシャープ太平洋軍司令官にあてた六六年五月十三日付の機密電報。米研究機関ナショナル・セキュリティ・アーカイブ所蔵の資料から、非核の政府を求める会・核問題調査専門委員の新原昭治さんが見つけたものです。
電報の表題は「ライシャワー大使との話し合いについての報告」。それによると「東京の(米国)大使館スタッフが、サン・ホアキン・カウンティ号に関する諸措置(アレンジメンツ)について知っていたことははっきりしている。相互防衛条約交渉の日本側代表も知っていた」と指摘。ただし書きで、日本側代表が「知っていたことは日本政府の強い要請で用心深く記録から消された」としています。
この電報が発信された当時、同号内で起きた火災事故をきっかけに、米政府内で同号の核兵器積載をめぐる深刻な議論があったことが、二〇〇〇年六月、日本共産党調査チームと、しんぶん赤旗ワシントン支局の調査でわかっています。電報のいう同号に関する「諸措置」とは、この核兵器積載にかかわる対応をさしたものです。
この問題をめぐっては、米国防総省で核兵器の指揮・管理研究に従事していたダニエル・エルズバーグ氏が七九年一月、日本共産党訪米調査団に証言。そのなかで、六一年当時、ジョンソン国務副次官がニッツェ国防次官補に対し、「日米安保条約の中の灰色の部分(グレイ・エリア)だ。基本的には日本政府の暗黙の同意を少なくとも得ている」と語っていたことを明らかにしています。
今回見つかった電報は、「相互防衛条約交渉の日本側代表」がこの事実を知っていたとしています。「相互防衛条約」は現行の日米安保条約を指すものと思われます。
新原昭治さん(非核の政府を求める会・核問題調査専門委員)の話
核爆弾を積んで岩国基地沖に長期停泊したLSTのことを、対米交渉の日本政府代表が知っていたばかりか、そのことを記録から消させたというのは、日本の核基地化に自民党政府がいかに深く関与してきたかを示しています。
わが国には五三年秋、核積載空母オリスカニが寄港し、海からの核持ち込みが始まっていました。米政府はそれにあきたらず日本での核の常時配備も執ように追求しました。それが、五九年からの岩国沖の核積載LSTの長期停泊の背景にあった米側の意向だったのでしょう。
陸上基地の常時配備への接近として、同じ軍事的意味を持つ核積載LSTの長期停泊をひそかに強行したのでしょうが、日本政府の関与は国民の核兵器反対を十分知りながら、その核配備を助けたもので、わが国の核出撃基地への共犯行為といわなければなりません。