2003年7月21日(月)「しんぶん赤旗」
一九七〇年代初めに米空軍横田基地(東京都)に核兵器使用にかかわる専任部隊が配備されていたことを示す米政府の機密電報が、非核の政府を求める会・核問題調査専門委員の新原昭治氏の調査で明らかになりました。その内容は日本の首都・東京に置かれた同基地が米軍の核出撃基地として位置付けられていたことを示しています。
インガソル駐日米大使がロジャーズ国務長官にあてた七二年七月十九日付のこの電報は、横田基地に核爆弾の起爆可能連鎖装置(PAL)を専門に扱う「マネージメント・コントロール分遣隊(MCD)」を配備していたことを示しています。
PALについては、一九七八年二月三日の衆院予算委員会で日本共産党の不破哲三書記局長(当時)が取り上げています。不破氏は米軍の資料にもとづき、沖縄の米空軍嘉手納基地の第十八戦術戦闘航空団が七四年一月から、F4ファントム戦闘機に核爆弾を積み込み、安全装置(PAL)を外して核爆発が起きるようにする訓練を行っていたことを暴露しました。
不破氏は、嘉手納基地の弾薬庫を管理する第四〇〇弾薬整備中隊のうち選ばれた「特別なもの」がこの訓練に従事しており、「この部隊は嘉手納から動かず、ずっと常駐して、嘉手納の弾薬庫を管理している部隊なんです」と指摘しています。
横田基地に配備されたMCDが同じような任務をもっていたことは疑いありません。
横田基地をめぐっては、これまでも数々の核疑惑があります。
六〇年代には同基地に駐留していたB57戦術爆撃機が茨城県の水戸射爆場で核爆撃訓練を行っていました。八〇年四月には、核兵器輸送中の爆発事故を想定した「ブロークン・アロー」演習が確認されています。九〇年六月には「核事故処理部隊」の存在が日本共産党の上田耕一郎参院議員の追及で明らかになりました。
今回、核兵器の使用になくてはならないきわめて重要な機能をもつ部隊の存在が明らかになったことは、一連の疑惑と合わせ、横田基地が米軍の核出撃基地としての役割を担わされていたことを明確に示しています。
日本の首都・東京に巨大な米軍基地が存在すること自体、世界に例のない異常なことですが、核基地化という事態は、その異常さをいっそうきわだたせています。
米政府は九一年九月、海外に配備する戦術核を一時的に引き揚げる政策を打ち出しました。しかしこれは「有事再配備」を前提としたものです。NCND(核兵器の存在を肯定も否定もしない)政策を継続するもとで、安保条約と核密約にもとづく日本への核兵器持ち込み体制はいまだに維持されています。
ブッシュ政権は二〇〇二年一月の「核態勢見直し」でイラクや北朝鮮など七カ国への核兵器使用計画の策定を軍部に命令。同年八月の「国防報告」、九月の「国家安全保障戦略」で「先制攻撃戦略」を打ち出しています。
同政権が核兵器使用の「敷居」を低くするなか、海外への核配備政策が強化されている危険が強まっています。核出撃基地としての横田基地の役割はけっして過去のことではありません。 (山崎伸治記者)
1980年の横田基地での核事故対応演習を目撃した上原久志さん(日本平和委員会常任理事)の話
横田基地に核兵器起爆可能装置(PAL)を扱う部隊がいたという事実に衝撃を隠せません。
八〇年四月十日、当時二十二歳の私は東京平和委員会の横田基地監視行動班の一員として、演習を監視していました。
C130輸送機が、化学消防車などが滑走路脇で多数見守るなかで着陸。停止地点に各種の消防車群が集まり、騒然とした状況になりました。
核兵器が機外に投げ出された地点を示す白い煙、現場に敷かれた半径三百メートルの災害非常線、「核兵器の鎮火はもはや不能」を示す黄色い煙に逃げ出す消防士、すぐに上がった核兵器の燃焼もしくは爆発を示し赤い煙。七八年に不破さんが米軍文書で暴露した核兵器重大事故演習「ブロークン・アロー」でした。
今回新原さんが明らかにしたのは、横田に核兵器を持ち込むだけでなく、そこで最終段階ともいえる起爆可能化し「生きた」状態にする部隊が、隠密裏に存在していたということです。
横田基地がアメリカの勝手気ままに核戦争の基地にされていた新しい事実。日本政府はこれに何と答えるのでしょうか。
原水爆禁止東京協議会代表理事・柴田桂馬さんの話
新原氏が今回公表した核爆弾起爆可能装置管理部隊の配備に関する資料は、核兵器の廃絶と非核の東京をめざす私たちに、あらためて大きな衝撃を与えるものです。
横田基地にはこれまでにも、核攻撃部隊の配備を示す事例がありました。例えば一九六二年の時点で横田基地に核攻撃を任務とするB57爆撃機が配備されてきたこと、八〇年に重大核事故を想定した「ブロークン・アロー」演習が行われたことなどです。持ち込みを行ってきたとする米軍関係者の証言もあります。核兵器だけでなく起爆可能装置を管理する部隊が日本に配置されていたことを示した今回の文書は、日本で米軍が核兵器を使うための戦闘即応体制を増強していくうえでの核部隊の配備を意味するという点で、きわめて重大だと思います。
これらの事実は首都東京にある横田基地がアメリカの核戦略を推進するうえで重要な一環となっていることを示したもので、核基地としての役割がいよいよ浮き彫りになっています。一日も早く核兵器の廃絶と非核の東京を実現させる必要があると痛感しています。
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1980年4月10日、横田基地で航空機輸送中の核兵器重大事故を想定した「ブロークン・アロー」演習がおこなわれました。米韓合同演習最中の演習で、基地内には、白色(写真)ついで黄色、赤色の煙があがりました。米軍教範によると、「白い煙」は「火災と事故発生」、「黄色い煙」は「(核)兵器が火に包まれた」、「赤い煙」は「(核)兵器の燃焼または爆発」をそれぞれ示しています。写真は東京平和委員会提供 『実録・核事故演習/80年安保の検証』から
今回の米文書で米軍横田基地に七〇年代に配備されていたことが明らかになったPAL(起爆可能連鎖装置)部隊は、核兵器の使用を確実におこなえるようにする機能をもった部隊で、核兵器の存在と一体です。米側の資料でみると――
「原子力法の核兵器管理・統御要件にもとづき、ヨーロッパに貯蔵されている核兵器および極東の指定地域に貯蔵されている核兵器には、起爆可能連鎖装置(PAL)がとりつけられている。核兵器の貯蔵取り扱い、輸送のための軍事的要件は、広く多岐にわたっている。それは、弾薬庫の土盛りされたイグルーで貯蔵中のものから、ミサイルに装てんされたり緊急反撃警戒態勢の航空機に積まれたりしている核兵器にいたるまでさまざまである。その多様な状況のもとで適正な保安管理を確実におこなうために、一九六二年に大統領の指示が出された。この指示にもとづいて、(核)爆弾には原子力安全委員会設計の電気的・機械的装置が、(核)砲弾と陸軍用の(核)ミサイルには米陸軍設計の機械的なカギが、それぞれ取り付けられることになった」(一九七三年四月、米議会上下両院合同原子力委員会軍事利用小委員会聴聞会でのエドワード・ギラー原子力委員会国家安全保障担当副総支配人証言)
「このPALにもとづくシステムは、使用権限が与えられたさいに核兵器を確実に使えるようにし、その権限が適正に与えられていない場合には使えないように確実に保証するための措置の、きわめて重要な一環である」(サンディア国立研究所ニュース二〇〇二年一月十一日付)