2003年7月21日(月)「しんぶん赤旗」
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「(加害者の)親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」(十一日、記者会見)「子どもといえども、犯した罪にはいろんな重さがある。子どもの権利条約だからすべてそのように対処せよという考え方は承服しかねる」(十六日、衆院内閣委)「(監禁されていた)四人の少女も、加害者であるのか被害者であるのかよくわからない」(十八日、衆院予算委)――鴻池祥肇青少年担当相(政府の青少年育成推進本部副本部長)の暴言が止まりません。
いずれの発言についても、その後「言い回しが不適切だった」「承服できないという考えは持っておらず、言うはずがない」「言葉足らずで誤解を招いた」などと釈明しています。しかし、わずか一週間の間に、あとで釈明しなければならないような暴言を繰り返すこと自体、政治家としての資質が問われます。
なぜ暴言を繰り返すのか。問題は、鴻池氏が少年犯罪への対策として「子どもをもっと厳しくしつけるべきだ」「親や教師がしっかりすればよい」という認識しか持たない人物だということです。
「“厳罰化で臨む”“勧善懲悪”と繰り返しおっしゃるのは疑問だ」と批判されれば、鴻池氏は「罰を強くするだけで解決しないと私も承知している。しかし、あまりにも今の風潮で勧善懲悪というものが薄れているのではないか」と開き直ります。
「なぜ子どもの発信を受け止められなかったか。ストレスがあるのに言えない状況を作っている社会にも問題があり、親だけに責任をなすりつけるのはおかしい」と追及されれば、「まずは生み育てた、一緒に朝夕食事をしている親がその発信を見なきゃいかん。学校の先生が見なきゃいかん」「顔を出せないならコメントくらいは出すべきだ」と、自説にあくまでもこだわります。
一方、少年犯罪の背景の一つとして指摘される子どもへの虐待にどう対応するかと問われると、「資質がないといわれるかもしれないが…どう対応するか…うーん、本当に立ち止まってしまう」としどろもどろになり、問題意識のかけらすら述べることができないお粗末さです。
長崎の事件は、子どもが子どもの命を奪うという、心痛むものでした。なぜこんな事件が起きるのか、どうしたら防げるのか、多くの国民が真剣な模索を始めています。その先頭に立つべき大臣が「親を引きずり出せ」と息巻くだけでは、事態の本質に迫れず、問題の解決をむしろ妨げるのではないでしょうか。
鴻池氏は「少年犯罪では加害者の人権は守られるが、被害者の人権は守られない。悲しむ若い両親ばかりが映され、あまりにかわいそうだ」と述べ、自分の発言の正当化を図っています。しかし、それを言うなら、必要なのは被害者の人権を守る施策の強化であって、「だから加害者側の関係者もさらし者にしろ」というのは、あまりに乱暴な、人権感覚を欠いた議論です。
仮に個人的にそうした考えの持ち主であっても、担当相として、一方的な極論をふりかざすことを慎む最低限の節度があってしかるべきです。鴻池氏にはそれすらありません。
鴻池氏に青少年問題を担当する資質がないことは明りょうであり、即刻辞任すべきです。任命権者である小泉首相は、「口が滑ったのだろう」「よく発言に気をつけて、今後、鴻池大臣も対処しなければならない」などと述べていますが、いつまで鴻池氏に担当を続けさせるつもりでしょうか。(坂井希記者)