2003年7月19日(土)「しんぶん赤旗」
市田忠義書記局長の司会で始まった記念講演では、不破議長の講演に先立ち、岩手・陸前高田市の中里長門市長、長野・木曽福島町の田中勝已町長、兵庫・黒田庄町の東野敏弘町長、南光町の山田兼三町長の四人の党員首長があいさつしました。
四首長は、「住民こそ主人公」の立場で実現させてきた豊かな実績を紹介しながら、「綱領改定案で地方政治の変革の重要性を位置付けているのは大いに励まされる。いっそうがんばっていきたい」(中里市長)など、地方政治の発展への決意を力強く表明し、さかんな拍手を受けました。
日本共産党創立八十一周年記念講演会での司会の市田忠義書記局長と日本共産党党員首長四氏のあいさつを紹介します。
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みなさん、こんばんは。日本共産党創立八十一周年記念講演会を開会いたします。本日は、会場いっぱいに、全国各地の会場にもたくさんご参加いただきまして、心からお礼申し上げます。
日本共産党は、一九二二年七月十五日に創立されました。それから八十一年間の不屈の歴史の上に、私たちは二十一世紀の日本の進路を示す綱領改定案を発表しました。
きょうは、不破哲三議長が、綱領改定案を中心に記念講演をおこないます。最後までご清聴のほど、よろしくお願いします。
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陸前高田市は、岩手県の南端にある二万六千人の小さい市です。国立公園の中の、海山川に恵まれた街です。
しかし、市政は、倒産したホテルを買い取り、八億円かけてタラソテラピーを併設しようとするなど、市民の声が届かないものでした。なんとか市政をかえたいと、政治的立場の違う八人の議員と、市民のみなさんの力で二月の市長選で勝利しました。
以来、公約の実現にとりくんできました。タラソテラピー計画を中止し、国保税一世帯あたり約一万五千円の引き下げ、乳幼児医療費助成を就学前まで拡大しました。三月の低気圧で水産業が大被害を受けました。県と協力し、施設被害の約五割を助成しました。
市長報酬の二割削減、交際費の半減と全面公開、市長専用車の廃止の公約を実施し、私は初登庁のときと同じく軽トラックで通勤しています。
市民の目線の市政をと「市長と語る会」の制度化など歓迎されています。課題は山積していますが、市民と力を合わせれば、いい街づくりができると実感しています。
今回の綱領改定案にも地方政治改革の重要性が位置づけられ、市長として励まされています。
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昨年三月、皆さんからの力強いご支援で、二期目の出発をさせていただきました。
地方政治では、保守系のみなさんの支援を得ることが、非常に重要な課題だと考えております。
六年前、最初に勝利したときも、保守系の数人の議員が公然と応援してくれ、得票率は55%でした。二期目は、もっと広範な町民の支持層がつくられ、67%、七割近い支持をいただきました。
首長選挙で保守のみなさんが参加されると候補者への評価が高まるだけでなく、新たな行政にたいして安心感を持ち、有権者の見方も変わってきます。
今、地方自治体は、国と同様に、非常に大きな矛盾や課題を抱えています。これら山積する課題で、まじめで真摯(しんし)な、政治的には保守の方とも団結して、当面の課題で地方の政治を変えていく、この流れをつくることは綱領の観点からみても非常に大切だと実感しています。
木曽福島町は中心の町で周辺との合併の協議がされています。いまの大合併は国による強制ですが、私は、この機会を住民自治の豊かな発展の機会にし、自治の息づく町づくりを目指したいと努力をしております。
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黒田庄町は人口八千人の小さな町です。町名は全国でもめずらしい荘園のなごりをとどめる名称の、自然豊かな町です。私が町長に就任する前は部落解放同盟が町を支配し、自由にものが言えず大変混乱していました。自由にものが言え、町民が主人公の開かれた黒田庄をつくろうという住民の熱い思いのなかで、中学校教師だった私が町長に就任させていただき、二期目を迎えています。
住民にわかりやすい政治は地方自治の基本。住民とひざを交えて話し合う住民懇談会をおこない行政に生かしています。
町の自慢できる施策の一つに、福祉送迎車があります。町初めての女性課長が、老人会や障害者の方と何度も話し合い、制度化してくれました。昨年の利用はのべ四千人を超えました。
私は一九七四年、兵庫県で八鹿高校事件が起こった日に、部落解放同盟の暴力に体をはって正義を貫く党に出合い、この党なら信頼できると入党しました。以来二十八年、信頼できる仲間とともに歩んでこれたからこそ、いまの自分があります。党員としての誇りをもち、多くの住民の期待にこたえるべく、精いっぱい町長職をまっとうしたいと思います。
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私は党歴三十一年で、永年党員証もいただきました。そして、南光町長に就任して現在六期二十三年目を迎えています。
初当選のときの最大の公約は「自由にものがいえる町をつくる」ということでした。当時は同和問題で非常に混乱していて、町民が自由にものをいえなかったのです。日本共産党員ならどんな圧力もはね返してくれるだろうと、思想信条を超えて町民が支援してくださり、当選できました。
就任後、行政懇談会をおこない、町民が自由に発言できる場を持ってきました。議会は質問時間や質問回数の制限は一切ありません。町民の傍聴も本会議、委員会ともに自由です。ガラス張りで、隠し事がありません。その結果、町民の町政への参加と協力、信頼が広がり、力を合わせた町づくりが進みました。
ひまわりの団地栽培は農家と役場が力を合わせて休耕田の活用を考えたものです。伝統文化を復活させた農村歌舞伎は、地域の交流の場として盛り上がっています。福祉も前進しています。町営の歯科診療所は八十歳でも自分の歯を二十本以上残そうという8020運動の発祥地です。保育料も国の基準額の平均50%以下で喜ばれています。