2003年7月2日(水)「しんぶん赤旗」
「トルコの歴史の本を書けば、重要な出来事として記録されるだろう」。イスタンブールで、人権団体IHD指導者シャベイ氏はいいます。
イラク戦争でトルコ国会が米地上軍に自国領土を使わせなかったことは歴史的快挙でした。なにしろトルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国。国内にNATO軍基地を置き、一九九一年の湾岸戦争ではイラク攻撃する多国籍軍の出撃基地に使わせました。その後も、米英がイラク北部に設定した飛行禁止区域への監視飛行機の出撃も認めてきたのです。
トルコではまた、軍がしばしば政治に介入しました。無血クーデターもありました。最近でもイスラム色の強い政党を軍が解散に追い込んだことがあります。
しかし軍部は今回、動きませんでした。ウルフォウィッツ米国防副長官がCNN放送で失望をあらわにしました。「彼ら(軍)は期待されたほど強力な指導的役割も姿勢も示せなかった」
トルコの政党状況はNATO容認の点でオール与党状態です。イスタンブールでラジオ局のプログラマーをしているモルガル氏は、「どの政党も基本的には米国支持。国会の米軍要求拒否は驚嘆すべきこと」と話します。
政府がアメリカの要求を受け入れ、国会が審議を始めると、反対する大衆デモが国会を連日包囲しました。全国で国会議員への要請活動が組織されました。
シャベイ氏は「毎日のように国会議員に電話をし、話し合いをした」と振り返ります。同氏によれば、退職労働者、法律家、青年、女性など大小二百の団体で構成するイラク戦争反対の共闘組織が基地使用拒否に向けて大きな役割を果たしました。
米軍の基地使用に賛成した与党、公正発展党(AKP)国会議員のチャウシュオーリュー氏は、「たくさん電話がきたよ」と苦笑いし、「私の友人も反対に回った」と打ち明けました。政府は米軍要求を受け入れたものの、国民の圧力で同党国会議員の態度が真っ二つに割れ、最後には米軍拒否が多数派になってしまったのです。
米軍によるバグダッド制圧後、これからどうするか。シャベイ氏は「共闘組織の活動は続ける。米軍のイラク占領に反対する意見を集め公表する準備をしている」といいます。五月には五百人で占領反対の集会を開きました。
イスタンブールでは新しい平和団体をつくる動きもあります。六月七、八日にシンポジウムを主催した一人、弁護士のデュラナ氏は「なぜ戦争が起きるのか、経済や帝国主義についても議論しないといけない」と語っていました。
国会が米要求を拒否した日、集会に参加したアンカラ在住の女子学生エシンさんは「トルコは国際通貨基金(IMF)に縛られている。これでは外交・政治が自立しないと思う」と言います。
モルガル氏は「はっきり言ってトルコは米国の奴隷」とまで言い切り、IMFが押しつけてくる体制とたたかい「新しい時代」をひらく必要を強調しました。
(アンカラで小玉純一)