2003年6月30日(月)「しんぶん赤旗」
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咲き誇るヒマワリの絵をいっぱいにあしらった〇三年原水爆禁止世界大会のポスターに、「明るい黄色にホッとする」「優しさとあたたかさが伝わってくる」などの反響が寄せられています。
この絵は、カザフスタンのセミパラチンスクの核実験場近くで育ち、重い障害を持つレナータ・イズマイロワさん(21)が絵筆を口にくわえて描きました。
レナータさんは、生まれたときから内臓疾患を抱え、手足が短くて曲がっています。『五体不満足』著者の乙武洋匡さんのように四肢が不自由です。放射線の後遺症に苦しみ、現在カザフスタンの障害児施設で暮らしています。
原水爆禁止日本協議会の高草木博事務局長ら日本原水協の調査団が一九九八年、セミパラチンスクでの核実験の影響調査に行った際、帰りに立ち寄った小児施設でレナータさんに出会いました。重い障害にめげず、明るく素直なレナータさんに感動した調査団。「広島に行きたい」との希望にこたえ、翌九九年の原水爆禁止世界大会に招待することにしました。
しかしレナータさんは、大会を前に体調をこわしてしまいました。ヒマワリの絵は、世界大会への招待に感謝し、「お礼に」と描いたものです。
代わって来日した父フェアト・イズマイロフさんが、この絵を含む十五点の作品を掲げて核実験の被害を報告。「愚かなことはやめなければいけません」と娘のメッセージを読み上げ、感動を呼びました。
絵を描いたり、詩を書くのが大好きなレナータさん。十八歳になった二〇〇〇年の世界大会に参加しました。身長八十二センチ、体重十四キロのレナータさんは、父と並んで国際会議の全体会議で「核兵器を製造して貯蔵することに賛成の人に聞きたいです。私のような障害を持った子どもがほしいのですか」と発言。会場いっぱいの拍手をあびました。
大学生になったレナータさん。ことしの〇三年原水爆禁止世界大会に再び参加します。ヒマワリの絵がその原水爆禁止世界大会のポスターに採用されたことを知り、大会事務局に「世界大会のシンボルになってとてもうれしいです」との喜びの手紙(別項)を寄せています。
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私はセミパラチンスク核実験場に近い町で生まれました。そして生まれたときからずっと、毎日、そして毎分、核実験が私に与えた後遺症を実感しながら生きてきました。大きな困難を乗りこえるたび、そして何かを失ったり痛みを覚えるたびにそのこと(実験が残した影響)を感じます。でも私にはそれ以上に、自然が与えてくれた宝物、つまり命が大切なのです。私はいつでも(人の)善の心と愛を信じています。
地球で戦争が起こりそうになるたび、とてもつらくなります。私たちは核兵器の使用を許してはいけないんです。今日、平和と戦争の境目はとても薄くなっています。私たちはこの星で一番高い知能をもつ生物なのですから、どんな誤解も、どんな紛争も、一番賢明な方法、つまり平和的な方法で解決しなければいけません。
2003年の原水爆禁止世界大会への参加を強く希望しています。参加者のみなさん、とくに若い方に、核実験被害者の生活について、自分の例をあげてお話ししたいと思っています。若者は人類の未来です。ですから若い人たちがもっともっと積極的に核兵器のない世界をめざす運動に参加しないといけません。そのためにできることは、なるべくするようにしています。
私の「ヒマワリ」の絵が今年の原水爆禁止世界大会のシンボルになって、とてもうれしいです。ヒマワリは地上で太陽を象徴するものです。太陽は私たちに光とあたたかさと優しさをくれます。その優しさとあたたかさのかけらを、すべての人がもってくれることを願っています。
原水爆禁止世界大会に参加できることはとても光栄なことです。核兵器のない世界をめざすたたかいに少しでも貢献できればと思っています。