2003年6月28日(土)「しんぶん赤旗」
日本共産党第七回中央委員会総会(二十一日〜二十三日)で不破哲三議長が幹部会を代表して十一月の第二十三回党大会に提案する日本共産党綱領改定案について提案報告をおこないました。つぎに、紹介します。
中央委員、准中央委員のみなさん。全国でCS通信をご覧のみなさん。ただいまから、幹部会を代表して、十一月の第二十三回党大会に提案する日本共産党綱領改定案についての提案報告をおこないます。
こんどの党綱領改定案をつくるにあたって、二つの点に主眼をおきました。
一つは、以前から公約してきた、多くの人びとによりわかりやすい綱領となるように、表現をあらためる、という問題です。このことについては、前の党大会での規約改定案を準備した第七回中央委員会総会(二〇〇〇年九月)で問題になり、私は、次のようにのべました。
「私たちがその正確さに確信をもっている綱領の路線が、文章のうえで、国民だれでもが読んでわかるような形で表現されているかというと、その基準から見るとまだまだ問題点があります。党と国民とのむすびつきがあまり広くなかった時代、党の内部の意思統一が一番大事でその立場での正確さに力を集中した時代の歴史的な性格が、率直にいって、綱領の文章には反映しています。……私たちは、綱領の路線の正確さに確信をもつと同時に、これを国民により理解しやすいものにする努力はひきつづきおこなわなければならないと考えていることを、申し上げておきたいと思います」
これが、三年前の公約です。日本共産党は、どんな日本、どんな世界をめざしているか、その実現の道すじをどう考えているか、このことを内外にわかりやすく示すということが、今回の綱領改定案の作成にあたって、一つの眼目としたことであります。
第二に主眼をおいたのは、内容にかかわる問題です。私たちは、綱領の基本路線は、四十二年間の政治的実践によって試されずみだと考えておりますが、四十二年というのは、大きな歴史的変化をふくむ時期であります。そこには、情勢の面でも、理論や綱領のうえで新たな対応を必要とする大きな変化もありました。それからまた、四十二年の間の党の理論的、政治的な活動とその到達点には、当然、綱領路線に反映されるべき豊かな内容があります。
私たちは、この間、一九七三年、七六年、八五年、九四年と、四回にわたって党綱領の改定をおこないましたが、いずれも、組み立ての全体を変えない範囲での部分的な改定にとどまりました。今回は、二一世紀の新しい情勢の諸特徴とこの間の日本共産党の政治的、理論的な発展を十分に反映した綱領改定案をつくるように、全力をそそいだものであります。
これが、綱領改定案をつくるにあたっての、いわば二つの眼目であります。
綱領改定案の文章は、お手元にお配りしてありますので、それをご覧になりながら報告を聞いてほしいと思います。
まず、今回の改定では、全体を五つの章に分けました。これまでの綱領は、かなり長文のものを、見出しなしで七つの節に分けているだけで、そのこと自体が読みにくさを生むことにもなっていました。今回は、五つの章にそれぞれ見出しをつけ、各章をさらに三つあるいは四つの節に区分するという編集をおこないました。
その内容は、
第一章 戦前の日本社会と日本共産党
第二章 現在の日本社会の特質
第三章 世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ
第四章 民主主義革命と民主連合政府
第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして
という組み立てであります。
以下、改定案の内容を、章ごとに、順序にそって説明したいと思います。
まず、第一章の「戦前の日本社会と日本共産党」であります。
この章は、党史の圧縮版ではありません。戦前の日本社会の特徴とそこで日本共産党が結成されたことの意義、この党が、日本の政党のなかで唯一、平和と民主主義の立場をつらぬいた役割とその意義、そういうことをつかむことは、日本共産党の立党の原点を明確にするうえでも、さらに今日の時点で日本がとるべき対外政策のプログラムを考えるうえでも、重要な意味をもっています。そういう点で、この章は綱領の重要な一部をなしているのです。
この章の中身は、大筋の変更はありませんが、全体を三つの節にわけました。第一節は、戦前の日本社会の特徴とその社会を変革する党の基本方針にあてられています。第二節は、戦前、日本共産党が、どんな要求、どんな旗をかかげてたたかったかの基本点を、明らかにしています。第三節は、戦争の開始と拡大、敗戦にいたる基本的な経過であります。
全体として、わかりやすくする趣旨で、表現には手をくわえました。たとえば、これまでの綱領では、天皇制の問題が、いきなり「絶対主義的天皇制」という言葉で解説ぬきに登場していましたが、今度は、まず「国を統治する全権限を天皇が握る専制政治」と、内容的な意味を明確にしたうえで、カッコのなかで、これは社会科学の用語としては、「絶対主義的天皇制」と呼ばれるということを示しました。こういうやり方で、文章の全体をかなりあらためたものです。
党がいかなる旗をかかげてたたかったかをのべた第二節では、「党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった」ことを、冒頭に明記していますが、これは、非常に重要な点であります。
戦前の日本社会では、反戦平和をつらぬくためにも、民主主義と人権をかちとるためにも、絶対的な権力をもつ天皇制を倒すということは、どんな弾圧や迫害を受けようとも、避けてとおることのできない課題でした。相手側も、その運動を抑えこむために、治安維持法とか特高警察とか、ありとあらゆる手段を講じたわけであります。
戦争の開始から敗戦までの経過をのべた第三節では、「日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった」ことなど、日本が侵略戦争を展開していった主な節目、それが第二次世界大戦のなかで果たした役割をより具体的に書き、さらに沖縄戦、本土空襲、広島、長崎の原爆投下など日本国民の苦難などについての叙述をくわえました。これらの点をふくめ、この時期の歴史の基本点をつかむことは、重大な意義をもつことです。
この節の最後は、戦争の結末にあてられています。反ファッショ連合国によるポツダム宣言を、日本が受諾(じゅだく)したことが、戦争の結末でした。そして、このポツダム宣言が、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたものだった、という事実は、平和と民主主義をめざして不屈にたたかった日本共産党の闘争の正当性をあらためて明らかにしたものでした。そして、この闘争があったからこそ、私たちは、平和と民主主義を、外からの輸入品ではなく、日本の国民のあいだの一つの伝統的な潮流の発展として、意義づけることができるのであります。
「第二章 現在の日本社会の特質」は、全体を三つの節に分けました。最初の第四節では、戦後に起こった情勢変化の基本点をのべ、第五節と第六節では、現在の情勢の基本的な特徴づけをおこなっています。
まず、第四節の戦後の情勢変化の基本点です。いまの綱領では、日本の現状分析にあてられた部分のなかで、戦後の時期についての歴史的な経過を追っての記述が、量的にも大きな比重を占めていましたが、それには、背景がありました。日本の情勢を規定する重要な要因である日米軍事同盟が、日米共同作戦条項――つまり、日本の軍事力を動員する条項を含んだいまの形でできあがったのは、一九六〇年の日米安保条約改定によってでした。そして、党の綱領が採択されたのは、その翌年、一九六一年の第八回党大会においてでしたから、そこで日本の現状分析をやるときには、当然の内容として、敗戦からその時点にいたる戦後十六年間の歴史の経過的な総括が、大きな部分を占めざるをえなかったわけであります。
しかし、現在、私たちは、それからさらに四十年以上を経た時点にいるのですから、改定案では、経過的な叙述ではなく、戦後の日本に起こった変化を三つの点に整理して示し、それぞれの変化がもつ今日的な意義づけを明らかにすることにしました。
変化の第一点は、日本が、独立国家の地位を失って、対米従属の状態におちいったことであります。この状態は、すでに半世紀以上も続いています。この対米従属の根幹をなすのが、一九五一年に結ばれ、六〇年に改定された日米安保条約――この軍事同盟条約にあります。そして、この従属国家の状態から真の主権独立国家に転換するということが、今日、日本が直面する最大の国民的課題となっています。そのことをまず、第一の変化として指摘しました。
変化の第二点は、政治制度の転換であります。天皇主権という専制政治に終止符がうたれ、国民主権の原則が憲法に鮮明にされました。これは、日本の政治制度の大転換をなしました。改定案が明記しているように、このことによって、「国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革の道を進む」という道すじが、日本の政治史上はじめて、制度面で準備されることになったわけであります。
その一方、この憲法には天皇条項があり、天皇制が形を変えて残されました。これは、民主主義に逆行する弱点をなすものですが、その性格をきちんと分析することが、大事であります。いまの綱領は、この天皇制について「ブルジョア君主制の一種」という規定づけをおこなっています。これは、戦前の絶対主義的天皇制が否定され、それとは違う性格のものに変わったという事実の指摘としては、一定の意味をもつものですが、しかし「君主制」と規定することには、“日本の主権の所在をどうみるか”という点では、誤解を残すものです。
改定案では、憲法の天皇条項をより分析的に扱いました。国家制度というものは、主権がどこにあるかということが、基本的な性格づけの基準であります。その点からいえば、主権在民の原則を明確にしている日本は、国家制度としては、君主制の国には属しません。せまい意味での天皇の性格づけとしても、天皇が君主だとはいえないわけであります。 実際、憲法第四条は、天皇の権能について、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」ことを明記しています。前段にある「国事に関する行為」というのは、国家意思を左右するという力をふくまない「まったく形式的・儀礼的・栄誉的性質のもの」だというのが、憲法学者の一致した定説とされています(たとえば、『註解日本国憲法』法学協会)。天皇の行為はこういう性格の「国事」行為だけに限定されて、それ以外の、「国政に関する権能」はまったくもたない、というのですから、憲法は、天皇は、国の統治権にはかかわらないことを、厳格に定めているのです。
だいたい、国政に関する権能をもたない君主というものは、世界に存在しません。ですから、日本の天皇の地位は、立憲君主制という国ぐににおける君主の地位と、その根本の点で違いがあるのです。
立憲君主制というのは、形の上では国王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを、憲法やそれに準じる法律で制限し、事実上国民主権の枠のなかにはめこんでいる、という国家制度です。ですから、個々の国を調べてみると、統治権の一部が、国王の権限として残っている場合も、しばしばありますし、実質的には政府の行為なのだが、形の上では国王の行為として現れる、という場合も残っています。たとえば、イギリスでは、施政方針演説は、政府がつくりますが、議会で実際に演説をするのは、首相ではなくて、女王です。こういう形で、立憲君主制の国ぐにでは、国王の存在が、さまざまな形で、統治権と結びつくものとなっています。
ところが、日本の場合には、天皇には、統治権にかかわる権限、「国政に関する権能」をもたないことが、憲法に明記されています。ここには、いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した日本の憲法の特質があります。ここをしっかりつかむことが、非常に大事であります。
変化の第三点は、農村における半封建的な寄生地主制度が廃止されたことであります。この制度は、戦前の日本社会で、農民を搾取し抑圧する過酷な制度であったというだけでなく、日本社会に色濃く残った半封建的な性格の、いわば物質的な基礎をなすものでした。戦後、これが廃止されたことは、日本社会の近代化の上で、重要な意義をもちました。また、経済面では、日本独占資本主義の急成長を促進し、大企業・財界を支配勢力の主役に押し上げるという影響をおよぼしました。
綱領改定案では、以上、三つの点を、戦後の時期に起こった、日本の情勢の三つの重要な変化として、指摘したわけです。
次に第五節ですが、ここには、二つの主題があります。一つは、改定案の最初にある一つの文章にのべられている、日本の情勢の基本的な規定です。もう一つは、そのあとの部分の、戦後の日本がおちいり、その状態が今日なお続いている対米従属の状態そのものの現状規定です。独占資本主義としての現状分析は、次の第六節の主題となっています。
まず第五節の基本規定について説明します。
いまの綱領では、基本規定は、二つの命題からなっています。
最初に、「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本である」という命題があります。これに、「わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた事実上の従属国となっている」という命題が続き、この二つの命題が、日本の情勢の基本規定となっています。
二つの命題のうち、いちばん基礎になる規定は、日本の情勢が、高度に発達した資本主義国という側面と、アメリカへの事実上の従属国という側面と、二つの側面をもっていることを指摘した第二の命題にあります。「現在、日本を基本的に支配している……」という命題は、この情勢を、日本の主要な支配勢力は誰か、という角度から整理したものでした。この整理は、大局的な見方としては、日本国民の闘争には、対米従属の打破という方向と、大企業の横暴な支配の打破という方向と、二つの大きな闘争方向があることを、明示的に定式化したものとして、歴史的に意義と役割を果たしました。とくに、綱領制定の当時には、闘争の方向を「反独占」、すなわち大企業との闘争だけにしぼる傾向や、「反帝独立」だけに中心をおく傾向があり、そのなかで、二つの闘争方向が基本だということを示した点で、情勢論の整理として有効性をもったものでした。
しかし、私たちが、現在、日本の今後の変革と闘争の過程をより現実的、具体的に考えようとすると、この定式化には、不適切な問題点がいろいろ出てきます。
アメリカの対日支配と、大企業・財界の国民支配とは、それぞれに、単純に同列におくことのできない、独自のものがあり、支配の性格、特徴もおのずから違います。
また、この規定では、日本の国内的な支配関係を、すべて「日本独占資本の支配」という言葉で表現しているのですが、この用語には、独特の難しさがあります。それは、大企業・財界が経済の分野でおこなっている経済的支配も、大企業と結びついた政治勢力による政治的支配とその構造も、すべてが「日本独占資本の支配」という言葉で表現される、という用語法になっているのです。そのために、日米安保条約を結んだのも、日本の側では、日本独占資本だということになっています。
しかし、政治を支配しているのも大企業・財界を代表する勢力ではないか、といっても、政治的支配と経済的支配とは、実態も違えば、それを打破する方法も違います。また、たとえば、いわゆる政・官・財の癒着に反対するたたかいでは、この性格の違いが、重要な意味をもってきます。
こういう点を考えて、改定案では、日本の情勢の基本規定としては、高度に発達した資本主義国およびアメリカの事実上の従属国という二つの側面を規定したものを、名実ともに情勢規定の中心命題として、基本的な支配勢力についての規定は、とりのぞくことにしました。
また、日本の情勢を分析する用語の問題としても、「日本独占資本」という、政治的支配勢力と経済的支配勢力を区別せず、事実上二重の意味をもたせた用語を使うことはやめ、全体を実態に即した表現にあらためました。
以上は、基本規定についての説明であります。
第五節のそのあとの部分は、対米従属の現状規定にあてられています。
日本全土における米軍基地の存続、アジア最大の軍事基地とされた沖縄の現状、核兵器持ち込みの「核密約」、自衛隊のアメリカの世界戦略への組み込み、軍事・外交、さらには経済面にまでおよぶアメリカの支配力など、対米従属の諸側面を指摘したうえで、綱領改定案は、最後に、次のような総括的な特徴づけをおこなっています。
「日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態であって、アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである」
ここで、「きわめて異常な国家的な対米従属の状態」という特徴づけが重要であります。半世紀をこえて外国の支配と従属のもとにおかれるということは、日本の歴史に前例のない異常な状態ですが、綱領改定案は、それが、植民地支配が過去のものとなった現在の世界の視点からみて、「異常」であることを、強く指摘しています。その結果、日本が外交的な自主性をもたず、さらに経済的自主性ももたない従属国家であることは、イラク戦争などの経験を経て、いよいよ明らかになってきたことで、「経済大国」といっても、こういう従属国家が、いったい二一世紀に生きてゆけるのか、そういう疑問と注目が、いま世界の各方面から寄せられる――こういう異常さであります。
対米従属のこの体制を打破することは、二一世紀の日本が直面する最大の課題であって、この課題に真剣に対応しようとしないものは、二一世紀に日本の政治をになう資格がありません。それだけの重みをもった問題であります。
いま引用したように、改定案では、アメリカの対日支配が、「帝国主義的な性格」をもっていることを、明確な言葉で指摘しています。ただ、用語の点では、いまの綱領の「アメリカ帝国主義」の対日支配などの表現を、「アメリカ」の対日支配という表現にあらためました。これは、今日の世界では、「帝国主義」という言葉を、より吟味して使う必要が出てきたためであって、その問題は、内容的には、第三章の世界情勢論のところで説明をしたいと思います。
第六節は、日本独占資本主義の現状の規定です。
まず、用語の問題ですが、さきほど、「日本独占資本」という言葉は、二重の意味をもたされた不明確さがあるので使わないことにした、とのべました。
改定案では、用語の上では、経済体制については、「独占資本主義」あるいは「日本独占資本主義」の言葉を、階級的な支配勢力については、「大企業・財界」という言葉を、主に使っています。大企業・財界と政治支配との関係については、「少数の大企業は、……日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた」(第六節・最初の段落)とか、「日本政府は、大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた」(同じく六つ目の段落)など、政治と経済の区別をしたうえで、その密接な関係を実際に即して表現するようにしています。
現状規定の内容については、長い目で見て、日本独占資本主義の体質あるいは構造にかかわり、私たちが民主的改革に取り組む場合、そこに改革のメスをいれる必要があるという意味で、重要な焦点になる問題に力点をおいてとりあげました。実際の叙述も、最初に経済支配の全体的な特徴をのべたあと、「ルールなき資本主義」の問題、女性差別や人権問題での遅れた状況、中小企業と農業の異常な困難、環境問題、「逆立ち」財政、政・官・財の癒着、アメリカの経済介入などの問題点を、それぞれ簡潔に記述し、その全体をまとめて、これらの問題点が、日本経済の基盤を特別に弱いものにしていることを、次のように指摘しています。
「これらすべてによって、日本経済はとくに基盤の弱いものとなっており、二一世紀の世界資本主義の激動する情勢のもとで、日本独占資本主義の前途には、とりわけ激しい矛盾と危機が予想される」(第六節・九つ目の段落)
この見方は、たいへん重要であります。現在、日本は、世界各国のなかでも、とりわけ深刻な長期不況に苦しんでいますが、これは、バブル崩壊後の一時的な現象ではありません。景気的な見方としては、これから谷もあれば山もあるでしょうが、重要なことは、長期不況のこの現実のなかに、改定案が指摘しているような日本独占資本主義の構造的な弱点の現れがある、ということです。この弱点に目をふさぎ、それにたいする解決策をもたない「構造改革」などは、改革の名には値しないし、日本経済の困難や危機を打開する力をもちえません。こういう点をよく見て、日本独占資本主義の現状を正確にとらえることが大事だと思います。
いま読みあげた文章のあと、改定案は、日本独占資本主義と日本政府の対外活動の問題をとりあげています。
対外活動の問題では、私たちは、これまでの綱領では、日本の独占資本主義が独占資本主義として復活・強化してゆけばゆくほど、その活動が帝国主義的な特徴、性格を強めてゆく、という見方に立っていました。一九六一年に採択した最初の文章では、「日本独占資本は、……経済的には帝国主義的特徴をそなえつつ、軍国主義的帝国主義的復活のみちをすすんでいる」とありました。一九九四年に改定した現在の綱領では、「日本独占資本は、海外市場への商品、資本のよりいっそうの進出をめざし、アメリカの世界戦略にわが国をむすびつけつつ、軍国主義、帝国主義の復活・強化の道をすすんでいる」という規定をおこないました。
この規定の根底には、独占資本主義として復活・強化すれば、その対外活動は、必然的に帝国主義的な性格をもってくる、また、独占資本主義の段階での商品、資本の海外進出は、経済的な帝国主義の役割をする、こういう見方がありました。この見方は、二〇世紀のある時期までは成り立つものでしたが、いまでは、世界経済の現実には合わなくなっています。
実際、アジア諸国が、日本の対外活動について警戒の目を向けているのも、日本の大企業の経済活動ではなく、軍国主義の復活につながる日本の対外活動であります。大企業・財界の対外的な経済進出にたいしては、そのなかの問題点について、個々の批判はあっても、対外進出そのものについての批判や告発はありません。これは、偶然ではありません。
現在の世界の政治・経済の情勢のもとでは、独占資本主義国からの資本の輸出、即“経済的帝国主義”とはいえない状況が展開しているわけです。ですから、日本の大企業や政府のかかわる対外活動で、進出先の国の経済主権を侵すような抑圧的な性格の行動が問題になるとしたら、それは、事実の具体的な調査にもとづいて批判し告発することが、求められるものであります。
そういう意味で、この綱領改定案では、日本独占資本主義の対外活動を分析するさい、帝国主義の復活・強化という角度からの記述はやめ、問題点は、軍国主義の復活・強化という側面からとらえる、という規定づけにあらためました。
この問題の、より詳しい内容的な説明は、さきほどのアメリカ帝国主義の問題とあわせて、第三章でおこないたい、と思います。
この章は、二一世紀を迎えた立場で、大幅に書き換えました。全体を四つの節に分け、第七節で二〇世紀の変化と到達点、第八節で社会主義の流れの総括と現状、第九節で世界資本主義の現状への見方、第一〇節で国際連帯の諸課題、を扱っています。
まず、二〇世紀の変化と到達点についてのべた第七節です。二〇世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配によって始まり、その世紀のあいだに、二回の世界大戦、ファシズムと軍国主義、一連の侵略戦争など、人類がたいへんな惨禍を経験した世紀でした。この世紀を評価するさい、重要なことは、これらの惨禍に直面した人類が、努力と苦闘をつくしてそれに立ち向かい、その惨禍を乗り越えて、人類史の上でも画期をなす巨大な進歩を、多くの方面でなしとげた、という点です。綱領改定案は、その点で、三つの進歩をあげています。
第一の変化は、植民地体制の崩壊であります。それも、事実の問題として、植民地がなくなった、その体制が崩壊したというにとどまらず、植民地の存在を許さない国際秩序が形づくられた、というところに、大事な点があります。そして、かつては植民地・従属諸国ということで、いわば国際政治の枠外におかれていた諸民族が、非同盟諸国首脳会議などに結集して、国際政治を動かす有力な力の一つになってきている、これも、二〇世紀が実現した巨大な変化であります。
第二の変化は、各国の政治体制として国民主権の民主主義の流れがますます大きくなって、世界の多数の国で、それが政治制度の大原則となってきました。いまでは、民主主義の政治は、世界政治の主流といえる地位を占めるにいたった、といってよいでしょう。
第三の変化は、戦争と平和の問題をめぐる国際秩序の問題です。一九四五年に国際連合が設立され、国連憲章が定められて以後、平和の国際秩序をきずくという課題が、国際政治の現実の課題になってきました。
国際連合の設立そのものは、二〇世紀の半ばにおこなわれたことでしたが、二〇世紀後半の侵略戦争にたいしては、国際連合は本来の役割を果たしえませんでした。実際、アメリカのベトナム侵略戦争にたいしても、国際連合はまったく無力でした。ソ連のアフガニスタン侵略戦争にたいしても、国際連合はまったく無力でした。はっきりいって、その時期には、米ソ両覇権主義の対決が障害となって、国際連合は、発足のときにせっかく平和の国際秩序をきずくルールを定めながら、平和の危機にさいして、その侵略戦争を押しとどめるために、そのルールに力を発揮させることが、できなかったのです。米ソ覇権主義の対決という時代のほぼ全体にわたって、こういう状態が続きました。
この点で、今回のイラク戦争をめぐる国際状況は、国際連合の歴史の上でも、そしてまた、平和の国際秩序をきずくという世界史的な流れのなかでも、一つの画期的な意味をもったように、思われます。国連発足以来はじめて、不正義の先制攻撃戦争を許すか許さないかということが、国連の舞台で真剣に取り組まれ、激しい討論が最後まで交わされました。また、国連が定めた“平和の国際秩序をまもる”という問題が、世界の反戦平和の勢力の共通の大義、共通の要求となりました。
二一世紀には、この方向をさらに強力に発展させなければならないことは、明白であります。
改定案は、第七節での二〇世紀の到達点についてこういう総括的な評価と分析をおこなったうえで、第八節で社会主義への流れの、第九節では世界資本主義の現状の、いわば各論的な特徴づけにすすんでいます。
第八節では、社会主義への流れについて、一九一七年のロシア十月革命から今日までの八十六年の歴史の全体をふりかえる形で、分析をくわえています。
ここでの分析の重要な点の一つは、ソ連の評価の問題です。最初に社会主義への道に踏み出しながら、スターリン以後、変質の過程をたどり、ついに崩壊にいたった歴史をどう評価するか、という問題です。これは、党としてすでに詳細な分析をおこなってきた問題です。綱領の上でも、九年前の第二十回党大会で、ソ連が、覇権主義の誤りによって、世界に害毒を流してきただけでなく、ソ連社会の体制そのものも、社会主義とは無縁な、人間抑圧型の社会であったという結論的な認識を明らかにしました。
私たちは、旧ソ連社会にたいするこの評価をぬきにして、世界の現状を的確に分析することも、また社会主義・共産主義の未来社会の二一世紀の展望を語ることもできない、と考えています。そのことを、いまの綱領よりも簡潔な表現に圧縮していますが、第八節で、明確に記述しています。
社会主義の流れの問題では、もう一点、第八節の最後の段落に注目してほしい、と思います。
「今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである」
これは、一九一七年に始まった、資本主義を離脱して社会主義へという世界的な流れは、ソ連・東欧の崩壊によって終わったわけではない、ということです。中国、ベトナム、キューバなどでの社会主義への前進をめざす努力に、私たちは注目していますが、なかでも、中国とベトナムが、九〇年代に、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みをそれぞれ開始し、新しい経済的活力を発揮していることは、大いに研究に値する新しい動きです。中国は人口約十三億人、ベトナムは八千万人、あわせて地球人口の20%を占める地域で起こっている発展ですから、その動きが世界的にも大きな注目を浴びているのは、当然であります。
なお、呼称の問題ですが、九四年の党綱領の改定のさいに、「社会主義」を名乗っていた国ぐにを総括してどういう言葉で表現すべきか、という問題を検討しました。「社会主義」の最先頭を行っているのだといって自慢していたソ連が崩壊し、実態は社会主義とは無縁な、覇権主義と専制主義の社会――人間抑圧型の社会であったことが、明らかになったわけですから、その教訓をふまえれば、いくらその国の政府や政権党が「社会主義」を名乗っていても、そのことだけで、社会主義国と呼ぶわけにゆかないことは明らかでした。そこで、私たちは、これらの国ぐにの総括的な呼称として、九四年の党大会では、「社会主義をめざす国」という言葉を使うことを決めました。
そして、大会への報告では、この言葉の意味について、きわめてきびしい説明をおこないました。その要点は、
――「社会主義をめざす」という言葉は、その国の人民、あるいは指導部が、社会主義を目標としてかかげている、という事実を表しているだけで、これらの国ぐにが、社会主義社会に実際に向かっているという判断をしめす言葉ではない、
――その社会の実態としては、(1)その国が現実に社会主義社会に向かう過渡期にある、(2)その軌道から脱線・離反して別個の道をすすんでいる、(3)資本主義に逆行しつつある、(4)もともと社会主義とは無縁の社会である、など、いろいろな場合がありうる。その国の実態が何かという問題は、国ごとの個別の研究と分析によって、明らかにすべき問題だ、
こういうものでした。これだけの厳格な解説をおこなった上で、この言葉を使ったのです。しかし、その後の実際を考えてみますと、「社会主義をめざす国」という表現自体が、その対象になっているすべての国を、社会主義への方向性をもった国とみなしているかのような誤解を生み出します。これでは、わざわざこの言葉を使う意味がありません。
そこで、今回の改定案では、「社会主義をめざす国」という表現はやめ、これらの国を総称する時には、「資本主義を離脱した国」あるいは「離脱に踏み出した国ぐに」と呼ぶことにしました。
したがって、新しい改定案で、「社会主義をめざす」という言葉が使われている時は、そこで問題にしている国や過程に、社会主義にむかう方向性がはっきりしているときだと、ご理解ねがいたいと思います。
第九節、世界資本主義の現状分析にすすみます。
冒頭、「ソ連などの解体は、資本主義の優位性を示すものとはならなかった」とのべて、現在、資本主義世界がぶつかっている諸矛盾を、七つの代表的な項目をあげて示しています。七つの項目とは、「広範な人民諸階層の状態の悪化、社会的な格差の拡大〔あとで「貧富の格差の拡大」に修正〕、くりかえす不況と大量失業、国境を越えた金融投機の横行、環境条件の地球的規模での破壊、植民地支配の負の遺産の重大さ、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの多くの国ぐにでの貧困の増大」ですが、それらのすべてを、「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」の現れとしてとらえているところが、重要です。
しかも、いまあげた七つの事態は、その一つひとつが、二一世紀に資本主義の体制の存続の是非を問うような深刻な内容をもって、進行しているのです。
たとえば、地球環境条件の破壊の問題ですが、いまオゾン層の破壊や地球温暖化の危険として問題になっていることは、この地球がもっている“生命維持装置”――人類やその他の生物が地上で生存できるようにしている環境条件――を根底からくつがえす環境破壊です。この“生命維持装置”は、科学がすでに明らかにしているように、地球に生命が誕生して以来、三十億年以上の年月をかけた自然と生命体の共同作業でつくりあげられてきたものです。その装置が、世界資本主義の最近わずか数十年の経済活動で崩壊の危機にさらされるようになったのですから、今日の資本主義にこれを解決する能力がないとしたら、それはまさに、資本主義が地球の管理能力を失っているということの証明にほかなりません。
同じような深刻さが、ここに代表としてあげた七つの矛盾のすべてに現れています。
政治的な諸矛盾も、重大です。第九節の四つ目の段落でのべているように、アメリカが、ソ連の崩壊後、自分が世界で唯一の超大国として残ったことをよりどころに、国連憲章も平和のルールもすべて無視するような一国覇権主義の無謀な行動をくりかえしています。これは、アメリカ資本主義の強さの現れでは、けっしてありません。現実に、アメリカのこの行動は、世界資本主義の全体に、大きな政治的亀裂と矛盾を引き起こし、拡大しています。
しかも、この一国覇権主義が、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立の意思とのあいだの矛盾を重大化しただけでなく、アメリカとならんで資本主義世界の中心をなしている他の独占資本主義諸国とのあいだの矛盾を大きくしていることも、きわめて大きな問題です。こうして、アメリカの一国覇権主義は、結局は、それ自身が、世界資本主義の矛盾と危機を激しくする重要な要素の一つになりつつあるのです。
ここで、何回か予告してきたことですけれども、今日の世界資本主義を分析する上での大きな理論問題として、帝国主義をどうとらえるべきか、という問題に入りたいと思います。
二〇世紀のはじめ、帝国主義が地球全体をほぼ支配するにいたった時期に、最初に帝国主義の全面的な分析をおこなったのは、ご承知のように、レーニンの『帝国主義論』でした。レーニンは、第一次世界大戦のさなかに書いたこの本のなかで、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」という定義を与え、これをもっと具体的に展開したものとして、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成され、資本輸出が卓越した意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、そして最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」とのべました。
この特徴づけのうち、最後の、地球の全領土が資本主義諸大国によって植民地として分割され終わった、という点は、帝国主義の時代が始まる転機として、レーニンがもっとも重視した点でした。これ以後は、ある独占資本主義国が植民地を獲得したり、拡大しようとすれば、世界の分割のしなおしを要求するしか道はなくなります。だから、帝国主義時代に入ると、世界の再分割、植民地の奪い合いの戦争が起こるのだ、と分析したのでした。
これは、いわば帝国主義時代の特徴づけですが、各国の分析をするときにも、独占資本主義の段階に達した国は、いやおうなしに帝国主義の政策、領土や植民地拡張の政策をとるようになる、というのが、当時は、世界政治と世界経済の自明の方向でした。
たとえば、日本のように、あとから追いつく形で独占資本主義の段階にすすんだ国は、おくれをとりもどして自分の植民地を獲得しようとして、アジアで、もっとも凶暴な帝国主義の道をすすみました。また、ドイツのように、第一次世界大戦で敗北し、すべての植民地をとりあげられた独占資本主義国は、その力を回復すると、ヨーロッパでの大規模な領土拡張戦争にのりだして、西方における第二次世界大戦の最大の火付け人となりました。
つまり、この時代には、帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ、あるいは、独占資本主義の国は帝国主義国となる、こう規定してほぼ間違いなかったのです。
ところが、二〇世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています。
独占資本主義というのは、独占体が中心ですから、独占体に固有の拡張欲とかそれを基盤にした侵略性とか、そういう性格や傾向を当然もっています。しかし、今日の時代的な変化のなかでは、それらが、植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくなりました。
そういうときに、すべての独占資本主義国を、経済体制として独占資本主義国だから、帝国主義の国として性格づける、こういうやり方が妥当だろうか。この点は、根本から再検討すべき時代を迎えている、というのが、ここでの問題提起です。
党の綱領というのは、経済学の文献ではなく、政党の政治文書であります。その綱領で、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、それは独占資本主義にたいする学問的な呼称だということではすまないのです。「帝国主義」という呼称には、その国が、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする政治的な批判と告発が、当然の内容としてふくまれます。
問題は、そういう立場で考えたときに、「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方で世界を見てよいだろうか、という問題です。最近でも、イラク戦争の問題をめぐって、独占資本主義国のあいだで、先制攻撃戦争という道に国連無視で踏み出したアメリカ、イギリスと、これに反対するフランス、ドイツが対立しました。この対立を、帝国主義陣営内部の対立、矛盾と見てすむか、そうではなくなっているというところに、世界情勢の今日の変化があるのではないでしょうか。
「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方についていえば、私たちが、綱領問題でとってきた立場は、従来から、この見方ですべてを見るという機械的なものではありませんでした。日本は独占資本主義の国であることは明らかですが、アメリカに支配された従属国家という一面をももっています。私たちの党の綱領的立場は、そのことを重視して、日本は独占資本主義の国だが、帝国主義の国ではない、この面では復活の過程にある段階だと規定してきました。
しかし、現在では、もっと立ち入って、対米従属下の日本の特殊問題としてではなく、より一般的な意味で、帝国主義という規定を再検討する必要があると、私たちは考えています。
すでに説明してきたように、植民地体制の変化をふくむ現在の世界情勢の変化のもとでは、独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、つまり、非帝国主義的な政策や態度をとることは、ありえることです。さきほど紹介した、イラク戦争におけるフランス、ドイツの態度は、その一つの現れであります。
こういう時代に、私たちが、ある国を帝国主義と呼ぶときには、その国が独占資本主義の国だということを根拠にするのではなく、その国が現実にとっている政策と行動の内容を根拠にすべきであり、とくに、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているときに、その国を帝国主義と呼ぶ、これが政治的に適切な基準になると思います。
こういう見地で見て、現在アメリカがとっている世界政策は、まぎれもなく帝国主義であります。
かつてアメリカは、ソ連との対決、あるいは「共産主義との対決」を看板にして、ベトナム侵略戦争のような、帝国主義の侵略戦争をおこないました。
しかし、そのソ連が解体しても、アメリカは侵略と戦争の政策を捨てませんでした。綱領改定案は、そのアメリカの世界政策を次のように記述しています。
「なかでも、アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦争を実行し、新しい植民地主義を持ち込もうとしていることは、重大である。アメリカは、『世界の憲兵』と自称する〔自分を『世界の保安官』と自認する・修正〕ことによって、アメリカ中心の国際秩序と世界支配をめざすその野望を正当化しようとしているが、それは、独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性を、ソ連の解体によってアメリカが世界の唯一の超大国となった状況のもとで、むきだしに現わしたものにほかならない。これらの政策と行動は、諸国民の独立と自由の原則とも、国連憲章の諸原則とも両立できない、あからさまな覇権主義、帝国主義の政策と行動である」(第九節の四つ目の段落)
綱領改定案が、アメリカの現状を指して「アメリカ帝国主義」と呼んでいるのは、その政策と行動にたいするいまのような認識に立ってのことです。
「いま、アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威となっている」(第九節の五つ目の段落)
私たちがいま、このアメリカの世界政策を見るときに重視する必要があるのは、「悪の枢軸」と呼んだイランや北朝鮮だけでなく、将来、軍事的に自分のライバル(競争者)になる可能性をもつすべての国を先制攻撃の対象とする(そのなかには、中国まで公然とふくめています)、その覇権主義がそこまで肥大化している、ということです。世界情勢を見る場合に、私たちは、この危険性から目をそらすわけにはゆきません。
私たちは、いま、アメリカの世界政策にたいして、「アメリカ帝国主義」という規定づけをおこなっていますが、そのことは、私たちが、アメリカの国家あるいは独占資本主義体制を、固定的に特徴づけている、ということではありません。「アメリカ帝国主義」という特徴づけ自体が、改定案のその部分をいま引用したように、ソ連解体後に形づくられ、体系化されてきた一国覇権主義の政策と行動を特徴づけたものであります。
私たちは、アメリカについても、将来を固定的には見ません。
従来、「帝国主義の侵略性に変わりはない」などの命題が、よく強調されました。レーニン自身、独占資本主義の土台の上に現れてくるのは、帝国主義の政策以外にない、非帝国主義的政策が独占資本主義と両立すると考えるのは、カウツキー主義だといった議論を、よく展開したものでした。
しかし、いまでは、状況が大きく違っています。私たちは、国際秩序をめぐる闘争で、一国覇権主義の危険な政策を放棄することをアメリカに要求し、それを実践的な要求としています。そして、これは、世界の平和の勢力の国際的なたたかいによって、実現可能な目標であることを確信しています。
さきほど、日米関係について、綱領改定案が、「アメリカの対日支配は、……帝国主義的な性格のものである」と明確に規定していることを、紹介しました。しかし、その対日支配を終結させることは、アメリカが独占資本主義の体制のままでも、実現可能な目標だと、私たちは考えています。そして、安保条約が廃棄されたあと、アメリカがこの事実を受け入れて、日米間の友好関係が確立されるならば、帝国主義的な要素の入り込まない日米関係が成立しうる、私たちは、そういう展望をもっています。第二章の日本の現状規定で、私たちが、アメリカ帝国主義という用語を使わなかったのは、そういう見地からであります。
日本の帝国主義的復活の問題も、理論的には同じ角度の問題であります。
私たちは、いまの綱領でも、日本の現状を帝国主義とは規定していません。しかし、さきほど、六一年および九四年の時点での綱領の文章を引用したように、独占資本主義として復活・強化の道をすすんでゆけば、それはおのずから帝国主義的な発展に結びつく、こういう見方がありました。
しかし、日本独占資本主義と日本政府の対外活動に、帝国主義的、あるいは他民族抑圧的な、侵略的な要素があるかないかという問題は、独占資本主義の復活・強化がどこまですすんできたかという基準によってではなく、日本の大企業・財界および日本政府の政策と行動の全体を、事実にもとづいて調査・点検し、それにもとづいて判断してゆくことが、重要であります。
以上が、帝国主義の概念をめぐる理論問題について、私たちがいま到達している考え方であります。
国際連帯の諸課題では、新しい問題は、二つの国際秩序の衝突、闘争を重視したことです。綱領に書くのは初めてのことですが、これは、第二十二回党大会で提起した課題であります。
当時は、日本では、ガイドライン法・戦争法が強行される、ヨーロッパでは、NATO(北大西洋条約機構)で「新戦略概念」という新たな侵略的な行動方針が具体化される、こういう形で、国連憲章にそむく戦争体制の準備が始まろうとしていました。私たちは、東と西で相呼応する形で起こったこの動きを重視し、その根底には、「二つの国際秩序の闘争」があるという分析をおこなって、この問題を国際的な闘争課題として提起したのでした。
その後の情勢の経過、とくにイラク戦争をめぐる事態の流れのなかで、この問題は、文字通り世界政治および反戦平和の運動の重大問題として、位置づけられることになりました。私たちが第二十二回党大会で提起した問題が世界の現実にかなった焦眉(しょうび)の問題であったことを、世界政治の展開そのものが実証したのであります。
第二十二回党大会の決議は、「二つの世界秩序の衝突――干渉と侵略か、平和秩序か」の項で、こうのべています。
「二十一世紀の世界のあり方として、二つの国際秩序が衝突している。アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の国際秩序か、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か――この選択がいま、人類に問われている。戦争の違法化という二十世紀の世界史の流れを逆転させようとする方向には、けっして未来はない。日本共産党は、平和の国際秩序をきずくための国際的連帯を、世界に広げるために、力をつくすものである」
私たちは、最近の世界的なたたかいの経験もふまえて、第二十二回党大会の決議で確認したこの方向を、綱領の改定案に反映させることを考えたのであります。
これから第四章に入りますが、この章については、まず表題について、説明をおこなう必要があります。
これまでの綱領では、「民主連合政府」というのは、革命にすすんでゆく過程の中間段階の政府であって、民主主義革命の任務を遂行する政府は、「民族民主統一戦線の政府」であり、この政府が、権力をにぎって「革命の政府」に成長・発展するのだ、と説明されていました。今回の綱領改定案では、この区別をなくして、民主連合政府こそが、日本社会が必要とする民主的改革を実行する政府であり、この政府が実行する民主的改革が、民主主義革命の内容をなすものだというように、問題の発展的な整理をおこないました。
だいたい、「民主連合政府」と「民族民主統一戦線の政府」との区別というのは、いまの綱領路線を最初に採択した一九六一年の第八回党大会での確認をもとにするものです。わが党は、その前の年、一九六〇年にたたかわれた安保改定反対闘争のなかで、はじめて「民主連合政府」のスローガンをかかげたのですが、その内容は、「安保条約反対の民主連合政府」というものでした。安保改定反対闘争の推進力となったのは、日米安保条約反対の一点で結集した統一戦線でしたから、その統一戦線に対応する政府ということで、この旗がかかげられたのです。第八回党大会では、当然、こういう性格の民主連合政府を前提にしていたわけで、日米安保条約反対だけを統一の基礎とするこの政府と、各分野にわたって革命の任務を実行する「革命の政府」との違いは、この時点では明白でした。
しかし、その後の十年間に、民主連合政府の内容は、一歩一歩と発展をとげ、一九七一年には、革新三目標という、政治のほとんど全領域での改革を目標とする政府のスローガンとして、位置づけられるようになりました。
詳しいことは、あとで説明しますが、民主連合政府が、こうして政策的な任務を拡大してくる、安保の問題だけでなく、経済の改革も問題にする、教育の改革もやる、等々となってくる。こうなりますと、いったい、この政府と「革命の政府」あるいは「民族民主統一戦線の政府」との違いはどこにあるのか、といった疑問が、当然起こってきます。
今回の綱領改定案では、この点に抜本的な検討をくわえ、はじめにのべたように、民主連合政府を、民主主義革命の段階で日本社会が必要とする民主的な改革を実行する政府と位置づけ、その立場から、政府や統一戦線をめぐる綱領上の規定を大きく整理するようにしたのです。この問題は、あとで説明することにします。
ともかく、第四章の表題を「民主主義革命と民主連合政府」としたのは、こういう立場からのことです。
この章は、四つの節からなっています。第一一節は、民主主義革命の性格・任務、第一二節は、この革命によって実行される民主的改革の内容、第一三節は、革命にいたる道すじにかかわる問題、第一四節は、この革命がおこなわれた場合、それが日本の歴史のなかでどういう位置をもつかの解明――こういう問題にそれぞれあてられています。
民主主義革命の性格・任務を主題とする第一一節ですが、いまの綱領のこれにあたる部分を見ますと、革命で倒す相手がアメリカの対日支配と大企業・財界の横暴な支配であること、革命の性格は民主主義的なものであること、革命の任務は「真の独立と政治・経済・社会の民主主義的変革」であること、こういうことは規定されていますが、この革命によって、どんな内容の改革を実行するかについての具体的な規定は、ほとんど見当たりません。
そこには、国民の闘争も政治闘争も、まだそういう改革を具体的に問題にするところまで前進していなかったという、当時の日本の情勢の反映がありました。
日本の現状を打開するには、一方ではアメリカの対日支配の打破(反帝独立)が、他方では日本の大企業・財界の横暴な支配との闘争(反独占民主主義)が必要であり、この任務を民主主義的な性格の闘争としてやりとげることが、日本社会が必要とする当面の変革の中心をなすのだ、という理論的な認識と展望は、明確にされました。しかし、その変革の内容を改革の諸政策として具体化するよう、綱領の上で踏みこむことは、当時はまだできないことだったのです。
そのことは、実際の状況をふりかえれば、よくわかります。
まず、アメリカの対日支配をどうやって打破するか、という問題です。いま、私たちは、安保条約第一〇条にもとづき、国民の合意のもとに日本政府が廃棄を通告することで、一年後に条約を廃棄する、という方針と道すじを明確にしています。
しかし、この綱領の草案が最初に書かれたときには(一九五七年)、存在したのは旧安保条約で、この条約には、廃棄の手続きについての規定はいっさいありませんでした。第八回党大会で、綱領が採択されたときは、改定安保条約成立の翌年で、廃棄条項をもった条約に変わっていましたが、十年間は固定期間でしたから、当面の問題としては、合法的な廃棄の道はふさがれていました。ですから、対日支配打破の問題についても、なかなかその道すじを明確には見定めえない状況がありました。
十年間の固定期間が終わって、安保条約を合法的に廃棄できる条件がととのったのは、一九七〇年以後のことで、わが党が廃棄通告による安保条約の廃棄という道すじをはじめて提起したのは、その二年前の一九六八年でした。アメリカの対日支配の打破という変革の課題を具体化する点でも、実にこれだけの歴史があったのです。
大企業・財界の横暴な支配に反対する、いわゆる「反独占民主主義」の闘争には、ある意味では、それ以上のむずかしさがありました。これはまだ、日本の国民にとって、本格的な経験のなかった分野でした。綱領をめぐる当時の党内論争の記録を見ても、“独占資本の支配を倒す闘争なら社会主義革命ではないか”、という綱領反対論者にたいして、“いや独占資本との闘争でも、民主主義的な性格の闘争があるのだ”といって民主主義革命の路線を擁護する議論が展開されるのですが、全体が理詰めの性格の論争で、率直にいって、具体的な内容をともなってはいませんでした。
実は、この問題が、国民の現実の運動や闘争のなかで試されて、「反独占民主主義」という問題が、具体的な姿で登場してくるようになったのは、六〇年代の後半から七〇年代の前半にかけての時期――公害問題や物価問題などで大企業・財界の横暴に反対するたたかいが、広範な国民の問題となり、いろいろな団体が経団連などの財界団体に要求をもちこむことも普通になる、この時期が一つの大きな転機だったように思います。党の側でも、この時期に前後して、公害問題等々で、大企業にたいする民主的な規制の課題を具体化する仕事が、いろいろな形で開始されるようになりました。
私が鮮明におぼえているのは、一九七三年の第十二回党大会のときのことです。これは、私がやった最初の大会報告でしたが、そのなかで、「反独占」なら社会主義しかない、という人たちがいたが、現実に日本の国民のあいだで、公害問題や物価問題で経団連に要求をぶつける運動がこれだけ起こっているじゃないか、私たちの綱領が見通した「反独占民主主義」の運動――大企業・財界の支配と横暴に反対する民主主義的な性格の運動がまさしく現実の問題になっているじゃないか、こういうことを強調したのです。
これらの経験をへて、「反独占民主主義」の課題も具体化の道をたどってゆきました。
それから今日まで、さまざまな活動の経験が重ねられてきましたが、それをもとに、九〇年代以降に、私たちは、「日本改革」と呼ばれる民主的改革の提案をつくりあげてきたのです。
こういう歴史をふりかえりますと、今回の綱領改定にあたっては、綱領制定以来の国民的な諸闘争および党の政策活動の到達点をふまえて、党綱領の政策的な側面を大きく発展させる――こういう任務が、改定案作成の重要な任務の一つとしてある、そのことは明白だ、と思います。
以下、文章に即しての解説に入りたい、と思います。
第一一節です。この節では、まず、「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破―─日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である」という、革命の性格と内容についての規定をおこなっています。これは、私たちが「資本主義の枠内での民主的改革」としてのべてきたことを、民主主義革命の任務としてきちんと位置づけ、この民主的改革の先に、なにか革命としてやるべき課題が余分にあるわけではないことを、明確にしたということです。
では、なぜ、それを革命と呼ぶのか。その解明が次に続きます。
「それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる」
つまり、そういう形で、国の権力を、ある勢力から別の勢力の手に移すことによって、はじめて民主的改革を全面的に実行することができるようになるわけだし、この変革を革命と意義づける根拠もそこにあります。
こうして、民主的改革と民主主義革命との関連を明確にしたところに、第一一節での整理の重要な点があります。
そして、その次に、この革命による民主的改革の実現は、現在、国民が直面している諸困難を解決し、国民大多数の利益にかなった日本の進路を開くところに最大の意義があることを、明らかにしています。
「この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである」
次の第一二節では、根本的な変更をおこないました。
現在の綱領は、これにあたる部分の冒頭に、「わが党の当面する行動綱領の基本はつぎのとおりである」と書いてあります。つまり、私たちが実現しようとしている革命の内容ではなく、いま、日本共産党が活動のなかでかかげる「行動綱領」――こういう要求をもって活動するということの内容が書かれています。そこにあるのは、諸階層・諸階級の当面の要求、また社会生活の各分野での当面の要求や課題、こうしたものの一覧であって、そういうものが、「行動綱領」として、かなり詳細にあげられています。
しかし、では、どういう改革を達成することによって、これらの要求にこたえるのか、という問題にはふれていないのです。さきほど説明したように、当時の段階では、国民的な運動も、私たちの活動も、その発展状況からいって、民主主義革命における改革のプログラムをまとまった形で問題にするところまで熟していなかった、ここには、その状況の反映があると、私たちはいま見ています。
これにたいして、改定案は、「現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである」として、各階層・各分野の要求の一覧ではなく、革命によって実現すべき改革の内容をあげる、ということに変わりました。
そして、改革の内容を、「国の独立・安全保障・外交の分野」、「憲法と民主主義の分野」、「経済的民主主義の分野」という三つの分野に整理して提起しています。
「国の独立・安全保障・外交の分野」の改革としては、四つの項目をあげています。
第一項は、日本を従属国家から真の独立国家に転換させることで、その中心は、日米安保条約を条約第十条の手続き(日本政府が廃棄の意思をアメリカ政府に通告する)によって廃棄し、対等・平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶことにあります。
現在の従属関係は多面的ですし、条約や協定にも関連するいろいろなものがありますが、要(かなめ)をなすのは、日米安保条約ですから、そのことを中心にすえて国の独立の問題を解決してゆく、という方向です。
第二項は、主権回復後の日本のあり方として、非同盟・平和・中立の道をすすむこと、その立場で非同盟諸国首脳会議に参加すること、こういう非同盟・中立の方向です。
非同盟諸国首脳会議への加盟は、将来の日本の問題ですが、日本の国際連帯運動は、すでにこの道を実際に歩んでいます。日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が、一九九五年以来、九八年、今年(二〇〇三年)と、連続三回にわたって首脳会議に参加してきました。アジア・アフリカ人民連帯機構という国際組織が、首脳会議のオブザーバー組織となっていて、その代表団の一員としての参加ですが、今年の首脳会議では、日本の連帯委員会自体がゲスト組織として参加が認められ、その資格で独自の代表団を派遣しました。わが党自身も、この間、非同盟諸国とのあいだで大いに野党外交を展開して、主要な国ぐにの政府と緊密な交流と連携の関係をきずいてきました。
これらの活動は、将来の非同盟・中立日本の外交路線にとっても、開拓的な意味をもっていると位置づけることができるものだと思います。
第三項は、自衛隊についての問題です。
この問題では、第二十二回党大会で、「自衛隊問題の段階的解決」として、安保条約廃棄前の段階、安保条約を廃棄して軍事同盟からぬけだした段階、国民の合意で憲法九条の完全実施にとりくむ段階と三段階にわたる解決策を明確にしました。このことを、簡潔に要約したうえで、綱領の上で明記したものであります。
第四項は、新しい日本が展開すべき平和外交の基本方向で、柱となる八つの方向を規定しています。
(1)は過去の侵略戦争や植民地支配の反省を踏まえたアジア外交、(2)は平和の国際秩序を擁護し、それを破壊するいかなる覇権主義の企てにも反対する活動、(3)は核兵器の廃絶、民族自決権の擁護、軍事ブロックの解体などの諸課題の追求、(4)は無差別テロにも報復戦争にも反対する活動方向、(5)は領土問題、(6)は民主的な国際経済秩序をめざす活動、(7)は人道的な諸問題での、非軍事的手段による国際支援の活動、(8)は平和共存の問題です。
最後の平和共存の問題は、これまでは、社会制度の異なる諸国、資本主義諸国と社会主義をめざす諸国のあいだの平和共存の課題としてとりあげてきましたが、今回は、それにくわえて、「異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立」を、新たに提起していることが、重要な点です。
私たちが、報復戦争が問題になった一昨年来、世界平和の重要な課題として提唱してきたことで、とくにイスラム諸国との関係を考えるとき、非常に大きな意味をもってきます。私たちの野党外交の活動のなかでも、異なる文明の共存というこの問題提起は、各国でたいへん熱烈な共感をよび、世界の平和をめざす今後の活動で、大きな意味をもつことが、実感されてきています。
さらに一言つけくわえますと、イラク戦争に反対する世界的な反戦平和の運動のなかで、ヨーロッパの運動とイスラム諸国の運動とが、同じ旗印をかかげて、その声をあげたことは、そこには十字軍以来の長い複雑な歴史があるだけに、異なる文明間の平和共存につながる重要な意義をもつことでした。
次は、「憲法と民主主義の分野」での改革です。
第一項で、現行憲法の前文をふくむ全条項をまもるという基本態度が、明記されています。
第二項は、国会を最高機関とする議会制民主主義の問題、第三項は、憲法の精神にたった各分野の改革の問題、第四項は地方自治の問題、第五項は人権にかかわる問題、第六項は、男女の平等・同権と女性の人格の尊重の問題、第七項は文化の発展の問題、第八項は信教の自由と政教分離の原則の問題、第九項は政治腐敗の根絶の問題で、改革に取り組む基本点があげられています。
大事な点は第一〇項にあります。すでに戦後の情勢変化についてのべたところで、憲法の天皇条項の分析をおこないましたが、ここでは、天皇制にたいする、現在および将来におけるわが党の基本態度を、明確にしました。
現在の態度では、「国政に関する権能を有しない」ことなど、憲法の制限規定を厳格にまもることが、非常に重要であり、憲法の規定からの不当な逸脱を許さないという態度をつらぬいてゆきます。現在、わが党の国会議員団は、国会の開会式に参加していませんが、これは、天皇制を認めないからではありません。戦前は、天皇が、帝国議会を自分を補佐する機関として扱い、そこで事実上、議会を指図する意味をもった「勅語」をのべたりしていました。いまの開会式は、戦後、政治制度が根本的に転換し、国会が、独立した、国権の最高機関にかわったのに、戦前のこのやり方を形を変えてひきついできたものですから、私たちは、憲法をまもる立場に立って、これには参加しないという態度を続けてきたのです。
一方、現実の政治の動きのなかには、憲法の規定を無視して、天皇を事実上「君主」扱いしたり、政治利用をくわだてる動きが、強まっています。それだけに、日本共産党が先頭に立って、憲法の諸条項を厳格にまもるという態度を明確にすることは、日本の民主主義にとって重要な意義をもちます。
次に、将来の問題ですが、この項の後半に、まずわが党の認識と立場を書いています。
「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民の統合』〔『国民統合』・修正〕の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」
これが、私たちの認識であり、立場であります。
しかし、現在の天皇制は、憲法の制度であって、その制度を存続するか廃止するかという問題は、一つの政党の認識や判断で左右される問題ではありません。改定案では、この立場から、将来の問題については、党は、こういう展望をもって活動する、ということを、次のような文章で明らかにしました。
「しかし、これは憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」
なお、現在の綱領には、「君主制の廃止」ということが、民主主義革命のなかで実行されるべき課題としてあげられています。これは、綱領を最初に決めた当時、現行憲法の枠内での改革と、憲法の改定を必要とする改革との区別が十分明確にされなかった、という問題点と結びついていたものだったと思います。
今回の綱領改定案では、そういう点も明確に整理して、戦前戦後の天皇制の変化、現在の天皇制にたいする現時点での態度と将来の展望、こういうものを、民主主義の党として一貫した形で明確にすることにつとめました。
「経済的民主主義の分野」では、改革の内容を六項目に整理して示しました。
さきほどものべたように、階層的・分野的な要求の一覧は、ここではやめました。それは、諸階層、諸分野の切実な要求を軽くみるということでは、もちろんありません。こういう改革を実行することによって、各階層・各分野の要求に現実にこたえ、その実現に道を開くという意味でのことですから、その基本的な構えをよくつかんでほしい、と思います。
第一項は、「ルールある経済社会」をつくる問題、第二項は、大企業にたいする民主的規制を通じて、国民生活と日本経済の発展をはかる問題、第三項は、「経済的安全保障」〔国民生活の安全の確保・修正〕および国内資源の有効活用という立場から、農林水産政策とエネルギー政策の転換をはかる問題、第四項は、社会保障制度および子どもと母親への援助の問題、第五項は、「逆立ち」財政の転換の問題、第六項は、経済面で民主的な国際関係への貢献の問題――こういう形で、経済分野での改革の基本方向を提起しています。
第一三節では、民主主義革命の道すじにかかわるいくつかの問題がとりあげられています。
ここでまず、第一に説明しておきたいのは、統一戦線および政府に関する問題です。
この章の冒頭にのべましたが、現在の綱領では、統一戦線についても、革命の主体となる「民族民主統一戦線」が将来の目標としてあって、そこにすすむ過程での「統一戦線」とは、言葉の上でも、かなり厳格に区別されています。
また、政府になりますと、いまの綱領には、規定としても、性格の違ういろいろな「政府」が、登場しています。「民族民主統一戦線の政府」が目標ですが、そこへすすむ前に、まず「アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打破していくのに役だつ政府」があります。そしてそのなかにも、「民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲」でつくられる「統一戦線政府」と、そこまではゆかないが「打破」には「役だつ」という政府との区別もありました。
さらに、「民族民主統一戦線の政府」についても、最初に成立した段階と、国の権力をにぎって「革命の政府」に発展した段階が、用語の上でも区別されています。
しかし、実際に展開する政治過程では、いろいろな時期に、それぞれなりの民主的な性格をもった政府が生まれるでしょうが、それらの政府の性格、その役割などのあいだには、絶対的な境界線はないはずです。
私たちはもちろん、民主的改革の諸課題の全体に取り組める民主連合政府の確立をめざして活動します。しかし、諸政党、諸勢力の関係や国民世論の動向などからいって、「民主連合政府まではゆかないけれど、この線ならば一致できる」という統一戦線が、運動の過程で生まれることは、ありうるでしょう。その統一戦線が国会で多数を占めた場合には、統一戦線の政府が生まれるでしょう。しかし、この政府は、いつまでも成立した時の状態で変わらないというものではありません。現実の政治問題に実際に取り組みながら、また政府自身の経験の蓄積と国民的な運動やたたかいの前進のなかで、政治的にさらに前へすすむ場合もあれば、残念ながら後退を余儀なくされるという場合もあるでしょう。こうして、ジグザグの過程を経ながら、前進の道を切り開いてゆくのは、国の政治を変革してゆく現実の政治過程であります。
こういう点では、私たちが、民主連合政府を目標として、その基盤になる統一戦線をめざすけれども、そこにすすむ過程では、民主連合政府に近づいてゆくさまざまな段階があり、それに対応する統一戦線やその政府のさまざまな形態が問題になります。これについては、そういうことがありうるのだということを、きちんと踏まえて対応してゆけば十分であって、あらかじめ、いろいろな段階を予想して、政府の区別をこまかく規定することは、実際的ではありません。
こういう考え方で、改定案では、「統一戦線の政府・民主連合政府をつくる」ことを目標とすること、発展の過程では、「さしあたって一致できる目標の範囲」での統一戦線の形成とその上にたつ「統一戦線の政府」が問題になってくること、この二つの点を書くこととし、その立場から、全体をより簡潔に整理しました。
政府の問題では、もう一つの問題点として、選挙管理内閣の問題があります。
わが党は、一九六〇年の安保闘争のなかで、選挙管理内閣の提唱をおこないました。この提唱は、その後、統一戦線の政府ではないが、相手側の「支配を打破していくのに役だつ政府」の一例として、位置づけられてきました。
たしかに、安保闘争のなかでの選挙管理内閣の提唱は、たいへん特殊な経験で、これを統一戦線の政府の一つとみなすことはできない状態がありました。岸内閣による安保条約の衆院での強行採決が生み出した議会政治の危機的な状態を打開するために、国会解散の声が自民党の有力政治家のなかからもあげられる、そういう情勢のもとで、暴挙を強行した岸首相ら一部勢力をのぞく「全議会勢力」が力をあわせ、国会の解散と「選挙の民主的施行」を最低限の目標にして、「選挙管理内閣」をつくろうと呼びかけた(一九六〇年五月三十一日の中央委員会幹部会の声明)のが、このときの提唱の趣旨でした。
私たちは、その後も、いろいろな時期に、選挙管理内閣の提唱をおこないました。しかし、その時には、背景となる情勢が安保闘争当時とは違っていますから、選挙管理内閣といえども、解散と選挙施行だけが任務だとするわけにはゆきません。私たちは、その時点における緊急の課題での政策の実行を結びつける形で、選挙管理内閣の提起をおこないました。
そういう点では、これも、広い意味で、「統一戦線政府」の一つの形態とみなすことができます。
考え方の基本点さえ明確にしておけば、いろいろな点で予想をこえた複雑な状況が起こっても、それに柔軟に対応することができます。こういう考え方から、今回の綱領改定案では、いろいろな段階をふくめて、すべてを「統一戦線」および「統一戦線政府」という言葉で、表現することにしました。
第二の問題は、私たちの選挙活動、国会活動の目標を書いた次の文章です。
「日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、『国民が主人公』を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する」(第一三節の三つ目の段落)
この態度は、綱領を最初に決めた段階から、私たちが党大会などで一貫して明らかにしてきたものですが、綱領の文章は、直接、政府の確立の問題としては書かれていませんでした。今回の改定案では、そのことを、よりわかりやすく明記したわけであります。
なお、この根底にある理論問題については、わが党は、一九六七年のいわゆる四・二九論文以来、詳細な見解を発表してきました。四・二九論文とは、この問題で党綱領の路線に攻撃をくわえてきた内外の主張に全面的な反撃をした無署名論文で、国会の多数をえて革命を実現するという路線を理論づけたものでした。私たちは、その後も理論的な探究を続けて、マルクス、エンゲルス以来、議会制民主主義の有効な制度をもった国では、議会の多数をえて政権をめざすという方式が、社会変革の大道の一つとして追求されてきたことを、明らかにしてきましたが、これは、綱領路線の重要な理論的裏づけをなすものであります。
第三に、改定案は、政府問題に続く文章で、地方での政治革新の意義と、そのことの国政革新の事業との関連をのべています(第一三節の五つ目の段落)。これは、綱領に新しくとりいれた問題であります。
第四点は、民主連合政府が成立したあとの問題、政府が国の権力をにぎる過程の問題についてであります。
これまでの綱領では、統一戦線の政府が国の権力をにぎる過程の問題について、かなり立ち入った規定をしてきました。
国家論的にいいますと、国家権力というのは、国家機構の全体からなりたっているもので、政府というものは、その全体からいえば、頭にあたる部分にすぎません。制度の上で国家機構の全体を指揮する権限は与えられていますが、実際の行政は、官僚集団からなる機構が執行します。だから、新しい勢力が政権についた場合にも、「頭部」をなす政府をにぎっただけでは不十分で、国家機構の全体を実際に動かすところまですすまなければ、国の権力をにぎったとはいえません。ここに、国家論からみた、政権交代の問題点があります。
この問題は、国家論という難しい形でもちださないでも、実は、日本の政治の現場で日常的に経験されていることです。日本の国政について、いったい日本の政治を実際ににぎっているのは誰か、政府を構成している自民党や公明党なのか、国家機構を毎日動かしている官僚なのか、という形で、国の権力の本当の所在はどこにあるのかが、たえず話題になります。また地方政治でも、選挙で選ばれた知事は、県政の最高責任者ですが、その知事が、県政の日常の執行にあたる行政機構とどういう関係に立つのかは、現場でたえず問題になることです。
自民党政治が継続している現在でも、それだけの問題がある分野ですから、国の政治の流れが変わるというときには、そこにいちだんと大きな問題が起こることは明らかです。ただ、これは、問題の性格からいえば、国民から選ばれた政府が、その責任において、国家機構の全体をしっかりにぎるという過程にほかなりません。そういう見地から、この問題も、国家論的な叙述というよりも、より実際的な形でわかりやすく叙述することにつとめました。
この過程は、多くの抵抗や妨害にぶつかることが予想されます。私がここでのべたいのは、こういう抵抗や妨害は、たんなる将来展望ではなく、私たちが現に経験している問題だという事実であります。私たちが、国会勢力としてある程度の前進をしたというだけで、七〇年代には「第二の反動攻勢」とも呼ばれた大規模な妨害・抵抗が起こりました。また、九〇年代の前進にたいしては、いまさら指摘するまでもない反共攻撃が全国で大規模に展開されています。これを綱領で指摘していることのいわば予告編だと位置づけて、読んでいただければ、この指摘もわかりやすいと思います。
ここは、民主主義的な変革が、日本の歴史の転換点として、どういう意義をもつかを、歴史的に意義づけた部分です。
なぜ、とくにこういう意義づけの文章があるか、という問題ですが、民主連合政府の成立ということは、同じ政治の流れ、同じ政治の枠組みのなかで、多少毛色の変わった政府ができたという程度のことでは、決してありません。それだけのことではすまない、文字通り、歴史の転換点をなす問題であります。
毛色の変わった政府といえば、これまでに、一九四〇年代に社会党の参加した片山・芦田内閣が生まれました。九〇年代には細川内閣が生まれました。しかし、どちらの場合にも、政権党の交代ではあったが、政治の流れは変わりませんでした。
民主連合政府の場合には、事情は根本的に違ってきます。この政府が生まれ、安定した形で政治のカジをとるようになったら、確実に政治の流れは変わり、日本国民の歴史の転換点と呼びうるだけの政治の革新が実現されることは、間違いありません。そのことを、ここで指摘しているわけであります。
この問題で、改定案が新たにつけくわえた点に、それが日本における転換点であると同時に、「アジアにおける平和秩序の形成の上でも大きな役割を担」う、という指摘があります。これは、国際秩序をめぐる闘争という課題に関連する見方です。
次は、「第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして」であります。
私たちは、当面の問題としては、日本における民主主義革命、民主連合政府の樹立をめざして、これを最大の目標にしています。その点では、社会主義・共産主義の問題は、日本の将来にかかわることであります。しかし、将来のことだからといって、これは、その時が来てから考えればよい、という性質の問題ではありません。日本共産党が、将来どんな社会をめざしている党なのか、ということは、今日ただいまの問題です。
この目標をわかりやすく日本の国民の前に示すことは、党綱領のになう重大な課題であって、そのことのもつ意味は、今日、いよいよ切実なものとなっています。わが党の当面の任務は民主主義革命ですが、その段階でも、日本共産党が将来の目標としている社会主義・共産主義の社会について、的確な理解を多くの国民のあいだに広めることは、党の前進の上でも、また、民主主義革命の課題に取り組む国民的な力を発展させる上でも、さらには、未来社会像を材料にした各種の反共宣伝を打ち破る上でも、重要であります。
今回の改定では、この章は、抜本的に書きあらためました。
この章の現行の綱領での叙述は、基本的には、六一年の綱領採択のさいの叙述をうけついだものですが、その骨組みは、だいたい一九五〇年代の国際的な“定説”を前提としたものでした。しかし、それ以来四十年をこえる歴史のなかで、未来社会の問題についてのわが党の理論的認識には、大きな発展がありました。
第一は、ソ連の覇権主義がこの間に表面化し、社会主義の精神に反するその実態をさらけだしながら、最後には崩壊にいたったことであります。私たちは、ソ連の覇権主義との闘争に正面から取り組みながら、それを生み出したソ連社会の実態についても研究をおこない、「ソ連社会は、対外関係においても、国内体制においても、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会であった」という結論的な認識に到達しました。この面からいえば、党綱領の制定以来の四十二年間は、こういう認識の確立にいたる過程だった、といってよいと思います。
若干経過的にふりかえると、最初にぶつかったのは、社会主義の立場に立っているはずのソ連からの、日本共産党にたいする無法な干渉攻撃でした。こんな無法な行動に出る相手は、社会主義ではありえない、というのが、当時の私たちの直感的な認識でした。そして、私たちは、わが党にたいする干渉だけでなく、ソ連の国際政治の上でとる覇権主義の政策と行動にたいして、きびしい批判と告発、三十年にわたる闘争をおこない、世界におけるその役割は、進歩と平和への逆流、「巨悪」だと位置づけました。私たちは、ソ連社会の実態についても、研究をおこなってきましたが、この「巨悪」が崩壊したときに、崩壊のなかで明らかになってきた諸事実を綿密に分析し、ソ連社会の実態についても、第二十回党大会で、さきにのべた結論的な認識に到達し、これを定式化したのであります。
第二の問題は、私たちが、それと並行して、科学的社会主義の未来社会論そのものを、より根源的にとらえなおす努力をつくしたことであります。この努力のなかから、現在の綱領が六一年以来よりどころにしてきた国際的な“定説”について、それが大きな問題点をふくんでいることが、浮き彫りになってきました。
その問題点はなにかというと、第一は、それが、社会主義段階から共産主義段階へという二段階論に立っていることです。
第二は、この二つの段階の区分を、主として生産物の分配の方式の違いによって、特徴づけていることであります。実際、綱領の文章でも、社会主義段階は、「能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる」の原則が実現される社会であり、共産主義段階は、「能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる」状態に到達した社会として、説明されています。
第三は、そのことから、社会主義社会や共産主義社会の特徴づけにおいて、「生産手段の社会化」という根本問題が中心にすえられず、人間社会の進歩・発展としてのその意義も十分に明らかにされていない、こういう弱点が明らかになってきたことであります。
これらの諸問題は、理論的には、マルクスの「ゴータ綱領批判」(一八七五年)にもとづくものだとされてきました。果たしてそうだろうか。この問題もふくめて、検討する必要があります。
ここで、問題の性格上、理論問題にやや立ち入ることをご了解願いたいと思います。
まず、第一に検討したいのは、社会主義社会、共産主義社会という二段階の呼称の問題であります。
実は、こういう表現での二段階論は、マルクス、エンゲルスにも、レーニンにもないものであります。マルクス、エンゲルスは、未来社会の特徴づけについて、著作によって、「共産主義」という用語を使うことも、「社会主義」という用語を使うこともありました。たとえば、『資本論』では、「共産主義社会」という特徴づけは、くりかえし出てきますが、「社会主義社会」という言葉は、未来社会をさす言葉としては、いっさい使われていません。また、『反デューリング論』や『空想から科学へ』では、未来社会はすべて「社会主義社会」として語られ、「共産主義社会」という呼称は、まったく出てきません。つまり、マルクスとエンゲルスは、時によって二つの言葉を使いましたが、どちらの言葉を使う場合でも、未来社会の全段階を表現する言葉として使っているのであって、いま使われているように、未来社会の低い発展段階が「社会主義」で、高度な段階が「共産主義」だといった使い分けをしたことは、一度もないのです。問題の「ゴータ綱領批判」にしても、全体を「共産主義社会」で通し、そのなかの「生まれたばかりの」段階と「より高い」段階との区別を論じているわけで、低い段階を「社会主義」とするなどの呼称の使い分けはしていません。
では、同じ未来社会を呼ぶのに、なぜ、著作によって、ある場合には「共産主義」、別の場合には「社会主義」の言葉が使われたのか、というと、それは、その著作を書いた時点の社会的な背景に、主な理由があったようです。たとえば、マルクス、エンゲルスの若い時代、『共産党宣言』を書いた時代には、社会主義者といえば、多少まがいものの流れの呼び名になっていて、マルクスとエンゲルスは、彼らとの区別も意識しながら、未来社会を論じるときには、誇りをもって「共産主義社会」について語ったのでした。しかし、一八六〇年代の後半から、ヨーロッパの各国で労働者政党が生まれる段階になると、どの党も「社会主義」何々党といった名称を使いはじめます。おそらく、未来社会を社会主義の名で語る風潮が強くなったのではないでしょうか。『反デューリング論』で「社会主義」の呼称がもっぱら用いられているのは、その風潮を反映したことだ、と思います。
では、レーニンは、どうか。レーニンは、『国家と革命』を書くとき、「ゴータ綱領批判」を集中的に研究し、そこでの未来社会論について解説を書くのですが、そのなかで、マルクスのいう「共産主義の第一段階」(低い段階)のところに注釈をつけて、「普通、社会主義と呼ばれている」と書いたりしています。しかし、十月革命後のいろいろな論文や演説を見ても、レーニン自身が、社会主義、共産主義という用語について、段階的な使い分けをしている、という例はほとんど見当たりません。
実際、レーニンの有名な言葉に、「共産主義とはソビエト権力プラス全国の電化である」という合言葉があります。これは、内戦から抜け出した一九二〇年、今後の経済建設の展望をわかりやすい形で示そうとして、これから取りかかる全国電化計画が完成したら、共産主義ができあがるぞ、という展望をたて、これをスローガン化したものでした。ソビエト権力があるということは、まだ共産主義の低い段階にもゆきつかない過渡期にある、ということなのですが、そういう時期の特徴づけとしてでも、レーニンは平気で「共産主義」という言葉を使ったわけです。
こう見てくると、未来社会の低い段階を「社会主義」、高い段階を「共産主義」というのは、マルクス、エンゲルスのものでも、レーニンのものでもない、もっと後世に属する使い方だということが、はっきりしてきます。
次に、未来社会を二つの段階に区分する内容的な問題にはいります。
この二つの段階を生産物の分配の方式で分けるという考えは、「ゴータ綱領批判」のなかで、マルクス自身がのべていることです。しかし、ここにもやはり大きな問題があるのです。
実は、マルクスにしても、エンゲルスにしても、未来社会のいろいろなしくみについて、未来はこうなるよという青写真を示すことについては、非常に慎重でした。そういう問題は、その問題に現実にぶつかる世代の人たちが、その状況に応じて解決することで、いまから解決策を書いて、将来の人たちの手をしばるようなことをすべきでない、この態度をつらぬきました。
分配方式の問題でも、基本は同じでした。たとえば、『資本論』の第一部(一八六七年刊行)、商品論のところで、商品社会と未来の共産主義社会を比較する話が出てきます。その時、マルクスは、二つの社会を対比するために、分配の話をするのですが、その話し方は実に慎重でした。未来社会での分配の仕方は、その社会の特殊な性格や生産者たちの発展段階に応じて変化するものであって、一律には言えないということをまず断り書きをします。その上で、この未来社会は、各人の労働時間に応じて生産物が分配されるという話になるのですが、そのさいにも、これは商品社会との対比のために、一応そういう想定をするにすぎないんだ、ということをまた断り書きをする(『資本論』(1)一三三ページ、新日本新書版)。そういう念の入れ方で、未来社会では、こうなるはずだ、というきめつけ的な言い方は絶対にしないのです。
また、エンゲルスにしても、マルクスの死後、ドイツのある活動家から未来社会での分配の問題で、質問を受けたことがあるのです。この手紙にたいして、エンゲルスは、それは、「社会主義社会」の発展とともに変化するものとしてとらえるべきで、何か不変の分配方法を考えるべきではない、と答えました(エンゲルスからシュミットへ 一八九〇年八月五日 全集(37)三七九〜三八〇ページ)。エンゲルスは、マルクスの「ゴータ綱領批判」の内容をよくよく知っているのですが、それにもとづいて、未来社会の分配方式は、この段階ではこうなり、次の段階ではこうなるものだといった回答は、まったくしなかったのです。
マルクス、エンゲルスのこういう基本態度にくらべると、「ゴータ綱領批判」でのマルクスの論じ方は、未来社会の分配問題を、青写真に近いところまで書いているという印象を受けます。実は、マルクスは、この分配論のあと、たいへん大事な注意書きをしているのです。
要約してみますと、
――ここで分配の問題にやや詳しく立ち入ったのは、安易に間違った分配論を党の綱領に持ち込むと、どんなひどい結果になるかを、示すためだった。
――未来社会の問題で、いわゆる分配のことで大さわぎをしてそこに主要な力点をおいたり、未来社会を主として分配を中心とするものであるかのように説明するのは、俗流派のやることで、そんなやり方は、受け継いではならない。
――未来社会論の中心問題は、分配ではなく、生産のあり方、生産の体制の変革にある。
「ゴータ綱領批判」というのは、ドイツの二つの党派が合同して新しい党が生まれた時に、マルクスが助言として書いた文書でした。
マルクスが、分配論について詳しい批判を書いた意味も、マルクスのこの注意書きを読むと、たいへんよくわかります。マルクス流の分配論――未来社会の分配方式の二段階論を綱領に書けなどということは、マルクスは少しも提案していないのです。未来社会を党の綱領で論じるなら、混乱した分配論をふりまわすことはやめて、生産体制の変革をしっかり中心にすえなさい――これが、マルクスの忠告の本旨でした。
マルクスが展開した未来社会の分配論そのものも、こういう文脈で論じられたものですから、金科玉条として絶対化するわけにゆかない検討問題が多くふくまれていますが、なによりも大事なことは、マルクスがドイツの党に与えた忠告の本当の意味をよくとらえることだと思います。
私たちは、こういう立場から、マルクスが「ゴータ綱領批判」で展開した二段階論ではなく、未来社会について青写真主義の態度をとることをきびしく排除したマルクス、エンゲルスの原則的な態度の方を選ぶことにしました。
なお、つけくわえて言えば、マルクスがのべた共産主義社会での分配論にも、単純には絶対化するわけにはゆかない問題点があるように、思います。
マルクスは、共産主義社会の低い段階では、生産物の量に制限があるから、なんらかの分配の基準がいる、それには、「労働におうじて」の分配という方式がとられるのが普通だろう、しかし、この方式では、いろいろな実態的な不公平が避けられない、こういう調子で議論をすすめます。
そこから、この不公平を乗り越えて、各人が必要なだけの生産物を自由に受け取れるようになるためには、「協同的富のすべての源泉」から、生産物が「いっそうあふれるほど湧き出るように」なることが必要だ、生産がそこまで豊かに発展することが、高度な共産主義社会にすすむ条件の一つになる、こういう議論が、二段階論の重要な柱の一つになっています。
しかし、すべての源泉からあふれるほどに生産物が湧(わ)き出るから、「必要におうじた」分配が可能になる、ということは、人間の欲望の総計を超えるような生産の発展を想定し、そのことを、共産主義の高度な段階の条件にする、ということです。はたして、そのような段階がありうるか、人間社会のそういう方向での発展を想定することが、未来社会論なのだろうか、ここには、私たちが考えざるをえない問題があります。
すでに、一九世紀に生きた人びとの日常生活と現代人の日常生活をくらべるなら、生活の必要な物資の総量の違いには、ケタ違いの格差があります。しかも、人間の欲望は、今後の社会的な発展、科学や技術の発展とともに、想像を超える急成長をとげることが予想されます。その時に、簡単に、人間の欲望を超えて「あふれるほど」の生産、あるいはありあまるほどの生産を、未来社会の条件として安易に想定することは、それ自体が、未来社会論に新しい矛盾を持ち込むことになりかねません。
ここにも、私たちが、今回の綱領改定にあたって「ゴータ綱領批判」でのべられた二段階論を採用しなかった根拠の一つがあります。
ここで注意をしておきたいもう一つの大事な問題は、マルクスが「ゴータ綱領批判」のなかのさきほどの注意書きのなかで、未来社会論で大事なことは、生産のあり方だとのべていることです。
これは、なによりも「生産手段の社会化」のことをさしているのですが、「ゴータ綱領批判」を書いた五年後(一八八〇年)に、マルクスは、フランス労働党の幹部に頼まれて、この党の綱領の前文を書いてやったことがあるのです。それは、「生産者は生産手段を所有する場合にはじめて自由でありうる」という文章に始まり、現代社会では、生産者が集団で生産手段をにぎること、言い換えれば生産者の集団に生産手段を返還させることが、社会変革の目的になるということの解明に、前文のすべてをあてたものでした。そこでは、分配論には、一言もふれていないのです。
以上、未来社会をめぐる理論問題を、かなり立ち入った形で説明しましたが、私たちは、そういう理論的な点検の上に、「第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして」をつくったわけであります。
第五章は、三つの節に分けました。第一五節は、社会主義・共産主義の社会の目標、第一六節は、変革の過程にかかわる諸問題、第一七節は、世界的な諸条件、であります。
まず、目標の問題ですが、未来社会を社会主義社会(共産主義社会の第一段階)と共産主義社会の高い段階に区分してとらえる、これまでの二段階論はとらず、一つの社会の連続的な発展として、未来社会をとらえる立場を明確にしました。
この社会の呼称ですが、わが党は、日本共産党として、共産主義社会をめざす立場を名乗っており、理論は科学的社会主義であって、社会主義をかかげていますから、どちらか一つをはずして、呼称を一つにするわけにはゆかないのです。さきほど説明したように、古典家たちの文章でも、時期や著作によって、両方の呼称が使われています。こういうことをふくめ、いろいろな事情をあわせて考慮したうえで、一番妥当な解決として、綱領での未来社会の名称としては、「社会主義・共産主義の社会」と表現することにしました。
三年前に改定した日本共産党規約には、第二条で、わが党のめざす未来社会の目標を、「終局の目標として、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現をめざす」と書いていますから、今回の綱領改定案での呼称の変更は、党規約には影響を及ぼさないわけであります。
この章の冒頭で、日本における社会主義・共産主義の事業がもつ特徴をとくに指摘しました。
「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である」(第一五節の最初の段落)
実際、もし私たちが民主主義革命をやりとげて、国民の合意のもとに、未来社会の建設にむかってすすむとしたら、それは、世界史のなかでまったく新しい事業に足を踏み出すことになります。
それは、世界のさまざまな部分で、これまでに、社会主義の名のもとにおこなわれてきたどのような経験をも超える、新しい性格、特徴をもった事業となるでしょう。
たとえば、私たちの隣国の中国では、「市場経済を通じて社会主義へ」という旗印で、活力に満ちた新しい社会と経済の建設への取り組みがすすんでいます。私は、その中国を昨年訪問して、その大規模で新鮮な、活気に満ちた発展に、強い印象を受けましたが、経済の発達の程度というモノサシで見ると、現在の中国の経済水準と日本の経済水準のあいだには、まだ非常に大きな開きがあります。国民総生産(GNP)の数字をとって、国民一人当たりの総生産をくらべてみますと、二〇〇一年の時点で、中国の八九〇ドルにたいして、日本は三万五九九〇ドルです。四十倍の違いがあるわけです。
こういう状態が現にありますから、中国は、あれだけの活力を発揮して急成長のさなかにありながら、経済建設の目標としては、五十年間で世界の中進国の水準に到達し、百年間で社会主義の初級段階を卒業するという、控えめな目標を長期的な視野でたてているわけです。
中国のこういう状況を考えても、もし日本が、現在到達している発展の水準から出発して、新しい発展の道に踏み出したとしたら、それは、生産力の面でも、各分野の経済の発展水準の面でも、はるかに前進した地点からことを始めることになることは、間違いありません。
その日本における社会主義・共産主義の事業の前途を、まったく違う経済条件のもとで社会主義に取り組んだ外国の例をもちだして、その目安で測ろうとする議論は、よくあるものです。第一五節の冒頭の文章は、そうした議論の間違いを、大もとから明らかにする力をもっています。
この節では、つづく文章で、社会主義的変革の内容が、生産手段の社会化にあることを、明確にしています。
「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」(第一五節の二つ目の段落)
この問題は、二段階論を未来社会の中心においていた時には、あまり前面に出なかったことですが、改定案では、これを社会主義的変革と未来社会論の正面にすえました。
社会主義的変革の内容を、マルクス、エンゲルスが「生産手段の社会化」という形で定式化するようになった転機は、実は、一八六七年の『資本論』第一部の完成にありました。マルクスは、『資本論』で資本主義社会のしくみを徹底的に研究し、そこから、共産主義社会への移行の必然性が、どのようにして生まれるのかを分析しました。なかでも、マルクスが注目した一つの点は、工場の現場では、すでに現実に、集団としての労働者が、巨大な生産手段を自分たちの手で動かしている、この労働者の集団が、資本家の指揮のもとにではなく、自分たちで生産手段をにぎり、自分たちの管理のもとに動かすようになることが、社会主義・共産主義への前進となるのだ、ということでした。そこから、マルクスは、社会主義的変革の目標についての「生産手段の社会化」という定式化を生み出したのです。
この定式化は、もう一つの重大な成果を生み出しました。それは、いわゆる私有財産の問題に、きちんとした解決を与えることができるようになったことです。
すなわち、社会化と私有財産の関係について、
――この変革によって社会化されるのは、生産手段だけで、生活手段を社会化する必要はない、
――逆に、生活手段については、私有財産として生産者自身のものになる権利が保障される、
こういう形で、問題が理論的に整理されるようになりました。
『資本論』の刊行から間もない時期に、こういう事件がありました。当時、インタナショナル(国際労働者協会)という国際組織ができて、マルクスがその指導的なメンバーとなっていましたが、この組織に、いろいろな方面から、激しい反共攻撃がくわえられました。その一つに、インタナショナルは「労働者から財産を奪う」という非難があったのですが、インタナショナルの会議で、エンゲルスがただちに反撃をくわえました。その立場は明確です。
「インタナショナルは、個々人に彼自身の労働の果実を保障する個人的な財産を廃止する意図はなく、反対にそれ〔個人的財産〕を確立しようと意図しているのである」(全集(17)六一五ページ)
反撃はきわめて明りょうです。「生産手段の社会化」という定式を確立したことが、私有財産の問題でも、反共攻撃を許さない明確な足場をきずくことに結びついたのです。
この立場は、私有財産の問題での原則的なものとして、改定案に明記されています。
「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」(第一五節の二つ目の段落)
続く文章は、「生産手段の社会化」が、どういう意味で、人間社会の進歩に役立つのか、その効能を、三つの角度から特徴づけています。
第一。「生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす」(第一五節の三つ目の段落)
この文章で注意してほしいのは、一般的な生活の保障、向上の問題とあわせて、人間の全面的な発達を保障することを、未来社会の非常に大事な特徴としていることです。社会を物質的にささえる生産活動では、人間は分業の体制で何らかの限られた分野の仕事に従事することになります。しかし、労働以外の時間は、各人が自由に使える時間ですから、時間短縮でその時間が十分に保障されるならば、そこを活用して、自分のもっているあらゆる分野の能力を発達させ、人間として生きがいある生活を送ることができます。この人間の全面的発達ということは、社会主義・共産主義の理念の重要な柱をなす問題でした。労働時間の短縮にも、こういう意義づけが与えられてきたのですが、人間の発展のこういう大道が開かれる、というのが、大事な点です。
第二。「生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の成員の物質的精神的な生活の発展に移」す。つまり、もうけのための生産から、社会と社会の成員の生活の発展のための生産にきりかわる、ということです。これによって、「経済の計画的な運営」が可能になり、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大を引き起こさないような、有効な規制ができるようになる、ということです(第一五節の四つ目の段落)。
第三。資本主義経済というのは、利潤第一主義ですから、これは本質的に不経済なものです。一方では、利潤第一主義につきものの浪費が、あらゆる分野に現れます。日本の各地に無残な姿をさらしているむだな大型公共事業の残がいは、資本主義的浪費の典型の一つでしょう。また他方では、くりかえしの不況で、せっかく生産手段もあれば労働力もありながら、それが遊休状態におかれ無活動に放置されるということも、日常の現象になっています。そういう浪費や遊休の土台がなくなりますから、本来なら、その点だけからいっても、改定案でいうように、「人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展」が、社会主義・共産主義の社会の特徴になるはずです。
これまでのソ連型の体制は、非効率と生産力の貧しさが特徴でしたから、非効率が「社会主義」の代名詞のように思われがちですが、ソ連の経験は、社会主義の失敗ではなく、官僚主義、専制主義の失敗の現れにほかなりません。
このように、「生産手段の社会化」が、どういう点で、人間社会の進歩のテコになるかを、三つの点で簡潔に解明したことは、改定案の大事な特徴となっています。
次に、改定案は、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」ことを、「自由と民主主義の宣言」(一九七六年の党大会で採択)に対応するものとして、明記しています(第一五節の六つ目の段落)。「自由」といっても、「搾取の自由」だけは、まず制限され、ついで廃止がめざされます。搾取がなくなってこそ、私たちが民主主義と呼んでいるもの、「国民が主人公」ということが、政治の分野でも、経済の分野でも、本当の意味で社会の現実となります。
その次は、内容的に、自由と民主主義の問題の続きです。
「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。『社会主義』の名のもとに、特定の政党に『指導』政党としての特権を与えたり、特定の世界観を『国定の哲学』と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる」(第一五節の七つ目の段落)
特定の政党やその政党がかかわる特定の世界観に特権をあたえて、その社会で特別扱いする、それが「社会主義」だという誤解がよくありますが、この誤解は、ソ連の政治体制に根源がありました。私たちは、社会主義・共産主義の日本では、このようなことは絶対に許されないということを、「自由と民主主義の宣言」で強く規定しましたが、私たちのこの考え方は、実は、その前の年、一九七五年の中央委員会総会で決めた「宗教問題に関する決議」のなかで、より詳細に明らかにしたものです。
ソ連は、その二年後の一九七七年に、憲法を改定して、この異常な政治体制を、わざわざ憲法に書きこみました。当時はブレジネフの時代でしたが、「ソ連共産党」の存在を「ソビエト社会の指導的かつ嚮導(きょうどう)的な力」、「ソビエト社会の政治制度、国家機関と社会団体の中核」と規定し、「マルクス・レーニン主義の学説で武装した共産党」が「ソ連の内外政策の路線を決定する」ということまで、うたいこみました(憲法第六条)。国家機関でもなく、国民から選ばれたわけでもない政党に、憲法の上で、国の政策の基本を決定する権限まで保障する、ソ連の政治制度は、「社会主義」を看板にここまで異常化していたのでした。改定案のこの文章は、そのような民主主義の侵犯は絶対に許されないという宣言であります。
第一五節の最後の部分は、社会主義・共産主義の社会のさらに高度な発展への展望、それは、当然、世界全体の変化をともなって進行することですが、その展望がのべられています。
マルクスは、『経済学批判』という著作の「序言」で、資本主義社会をもって、「人類の前史は、終わりを告げる」、言い換えれば、それに続く社会主義・共産主義の社会とともに、人類の本史が始まる、ということをのべたことがあります。改定案が、社会主義・共産主義の目標についての第一五節を、「人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる」という文章で結んでいるのは、その思いをこめてのことであります。
第一六節は、社会主義的変革、社会主義・共産主義社会への前進のすじ道にかかわる問題についてのべた部分です。
「社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」(第一六節の一つ目、二つ目の段落)
ここで詳しくのべているように、日本でおこなわれる社会主義的な変革は、出発点からその過程の一歩一歩まで、すべての段階が国民の合意のもとにおこなわれるのであって、社会主義をめざす政権がいったんできてしまったら、あとはあなた任せの自動装置のようにことがすすむのではない、「国民が主人公」の基本が全過程でつらぬかれる、このことを、念には念をいれて、ここで明記しています。
この文章にある「社会主義をめざす権力」という言葉は、いまの綱領で、「労働者階級の権力」といわれているものです。一九七六年の第十三回臨時党大会、この問題についての綱領の一部改定をおこなった時の報告で、なぜ社会主義をめざす権力を「労働者階級の権力」と呼ぶのか、という問題について、理論の歴史をふくめて詳しい解明をおこないました。今回の改定案では、そういう特別の説明がいらないように、最初から、この権力の役割そのものを表現したものです。
その次の、統一戦線政策についての文章は、いまの綱領の文章を、ほぼ受けついだ表現になっています(第一六節の三つ目の段落)。
社会主義・共産主義の未来社会をつくるということは、人類史にとって本当に新しい問題ですから、どこかに青写真があって、その設計図どおりにことをすすめればすむ、というものではありません。将来、日本でこの道をすすむという情勢が熟したとき、発達した資本主義国のなかで何番目の国になるのか最初の国になるのか、それももちろんわかりません。いずれにしても、この事業が無数の新しい問題にぶつかり、日本国民が英知をもってこれに挑戦する、そしてそのなかで、状況にあい道理にかなった解決策を探究しながら前進する、そういう創造的な開拓と前進の過程となることは間違いありません。
改定案は、そのことをのべたあと、そのなかで、私たちがとくに注意したいと考える点を、二つ上げています。
一つは、生産手段の社会化が多様な形態をとるだろうが、どんな場合でも、「生産者が主役」という社会主義の原則を踏み外してはならない、という問題です(第一六節の五つ目の段落)。これは、非常に大事な点で、私たちがソ連の崩壊の過程から引き出すべき大事な教訓の一つもここにあります。
さきほども触れたように、マルクスは、『資本論』のなかで、機械制大工業の現場を研究し、労働者が集団として巨大な生産手段を動かしている、その集団が、他人の指揮のもとではなく、自分が名実ともに生産の主役となって、生産手段を動かして社会のための生産にあたる、そこに社会主義的変革の最大の中身がある、という結論を引き出しました。
マルクスは、『資本論』第三部では、社会主義・共産主義の経済体制を特徴づけるさい、そのことを特別に重視して、「結合された生産者たち」が生産と社会の中心になるという点をくりかえし強調し、この経済体制を「結合的生産様式」と規定したりもしました。「結合された生産者たち」とは、生産体制のなかで結びついた集団的な労働者のことで、こうして「結合された」労働者たちが、連合してその力を自覚的に発揮するようになる、それを社会主義・共産主義の経済の主役として描きだしたわけです。
ところが、ソ連では、「国有化」して国家が工場などをにぎりさえすれば、これが「社会化」だ、「社会主義」だということで、現実には官僚主役の経済体制がつくりあげられました。そこには、「国有化」の形があり、農業では「集団化」の形がありましたが、社会主義はありませんでした。こんなことは、絶対にくりかえしてはならないことであります。
私たちが、日本で「生産手段の社会化」を実現してゆくとき、どんな問題にぶつかるか、いまから予想することはできませんが、「生産者が主役」という大原則は、「社会化」がどんな形態をとる場合でも、追求する必要がある、そのことを、社会主義へ向かう道のなかで、党がまもるべき注意点として、ここに書いているわけであります。
第二の点は、市場経済を通じて社会主義へすすむ問題であります。
中国やベトナムの場合には、いったん市場経済をしめだしたあとで、市場経済を復活させる方針に転換し、いま「市場経済を通じて社会主義へ」という道に取り組んでいます。しかし、日本の場合には、いま資本主義的市場経済のなかで生活しているわけですから、社会主義に向かってすすむという場合、社会主義的な改革が市場経済のなかでおこなわれるのが、当然の方向となります。市場経済のなかで、社会主義の部門がいろいろな形態で生まれ、その活動も市場経済のなかでおこなわれる、そういう過程がすすむし、その道すじの全体が「市場経済を通じて社会主義へ」という特徴をもつでしょう。
そこで、どのようにして、計画性と市場経済とを結びつけるのか、農漁業や中小商工業などの発展をどのようにはかってゆくのか、それらは知恵の出しどころですが、そういう点を重視しながら、日本らしい探究をすすめることを、わが党の注意点として書きました。
なお、「計画経済」を国民の消費生活を規制する「統制経済」に変質させてはならないという点は、「自由と民主主義の宣言」をはじめ、わが党が一貫して重視してきたことです。
第一七節では、私たちが社会主義・共産主義の社会をめざす二一世紀の時代的な条件を叙述しました。これは、いまの綱領には、まったくない部分で、内容的には、第三章の世界情勢論に続くものです。
ここでの主題は、日本での社会主義・共産主義への前進の道の探究は、どんな世界的な条件のもとでおこなわれるのか、という問題です。
発達した資本主義の諸国、資本主義を離脱して現実に社会主義をめざす道にある国ぐに、それから資本主義世界の一部をなしてはいるが、植民地・従属国としての歴史をもち、独立した経済的発展への道を探究しているアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐに、この三つの世界が問題になります。この三つの世界のそれぞれで、資本主義を乗り越えて新しい社会を探究する流れが必然となる、ここに二一世紀の時代的な特徴があるということを、私たちはよく見る必要があります。
発達した資本主義の諸国が直面している情勢については、第三章で基本点をのべました。現在、各国の運動状況は、ソ連覇権主義のかつての支配とその崩壊の影響をうけて、現状はたいへん複雑です。しかし、いま資本主義世界がおちいっている諸矛盾は、それらを社会進歩の方向で解決しようとする運動を生み出さざるをえない性格をもっています。日本共産党は、その世界で活動している党として、新たな激動の道を切り開く役割をしっかりと果たしたいと思っています。
資本主義を離脱して社会主義への道に現実に取り組んでいる国ぐにが、二一世紀に世界のなかでのその比重をいよいよ大きくしてゆくだろうことは、疑いない方向でしょう。改定案の第三章で、これらの国ぐにが「政治上・経済上の未解決の問題を残し」ていることを率直に指摘しましたが、これらの問題も、いつまでも同じ形のままにはとどまらないでしょう。そして、「市場経済を通じて社会主義へ」という新しい取り組みの経験では、日本の今後にとっても研究の価値のある多くの教訓がふくまれるでしょう。私たちは、その足どりを注意して見てゆく必要があります。
アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカは、文字通り世界人口の過半数を占める人びとが生活する広大な世界です。重要なことは、これらの国ぐには、二〇世紀後半に政治的独立をかちとった国ぐにであり、その多くが、独立後の最初の時期には、資本主義の枠のなかで経済的発展への道を見いだそうという探究に取り組みました。しかし、それにある程度でも成功したのはごく少数の国でした。いま多くの国ぐには、自国、自民族の独立した発展への道はどこにあるのかを、より広い視野で、あるいは資本主義の枠にこだわらない立場で探究する、という問題に直面しています。
これらの国ぐには、すでに世界政治では、有力な発言権をもっています。新しい社会を探究する二一世紀の流れのなかでも、この地域が、多くの新しいものを生み出すことは、間違いないと思います。
私たちは、日本の今後の進路を、民主主義革命から社会主義・共産主義の社会まで、二一世紀の全体にわたる広い視野で展望しながら、今回の綱領改定に取り組むものですが、日本の未来を探究するこの仕事は、二一世紀のこういう世界的な条件のなかで取り組まれる、というのが、大事な点であります。
私たちは、二一世紀が、日本の国民の英知が発揮されて、日本と国民の歴史にとって画期的な意義をもつ世紀になるであろうという展望とその確信、そしてまた、第二十三回党大会に向かって、私たちがいまつくりあげようとしている綱領改定案が、この発展の有効な指針になるであろうという展望とその確信、それをもって奮闘したい、と思うものであります。
以上をもって、綱領改定案の提案報告を終わります。どうも長いあいだ、ご苦労さまでした。