2003年6月25日(水)「しんぶん赤旗」
軽自動車のトップメーカー、スズキ(本社・静岡県浜松市、約一万三千人)は、労働者に総額で約七千万円のサービス残業(ただ働き)代を支払いました。日本共産党が労働基準監督署へ申告するなどして運動してきたことが大きな力になりました。本社・工場のある浜松市では、労働者から喜びの声があがっています。
サービス残業代が労働者に戻ってきたのは昨年十一月から今年一月までの三カ月分。十一万円が戻ってきた労働者は、「まだ使っていませんが、生活費になるでしょう。こんなことは、スズキでは例のないことですよね」と、いまだに信じられないという顔つきです。
「共産党の運動を、非常に評価します。会社も動かざるをえなかったと思います」
この十年間、毎日一―二時間、一カ月に二十―四十時間のサービス残業をしてきたという事務系職場の男性のAさん(五十代)は、「十年ぶりに二時間半分の残業代が付きました」とにっこり。
午前八時四十五分―午後五時半までが定時。パソコンに毎日、午後五時半に帰ったと「ウソの退社時刻を入力していた」といいます。まったく残業がつけられなかった職場でした。「もし、付けたら上司が会社からいじめられる。逆らえなかった」
「生活費にまわしました。うれしいですね」
約五万円が戻ってきた三十代の事務系の男性の声ははずんでいました。スズキに入社し、サービス残業というものがあることに、まず、びっくりしたといいます。「それ以上に驚いたのが“サービス残業をなくせ”という声をあげている人がいたことです」
本社の前でハンドマイクで訴えたり、ビラを配布していたのが日本共産党スズキ委員会でした。同委員会は、今年一月二十八日、浜松労基署にスズキにサービス残業代を支払わせるよう申告しました。パソコンの稼働状況や電子メール(eメール)の交信記録の調査などを求めました。
二月十八日には、労基署が労働実態を調べる「臨検監督」を実施しました。
スズキでは、約二十年前から「サービス残業をなくしてほしい」という声があがり、党委員会はねばり強く運動してきました。また、国会でも日本共産党が一貫して取り上げ、政府にサービス残業をなくすことを迫ってきました。
こうした運動の結果、三月から四月にかけてスズキ本社の営業・事務・技術部門では、昨年十一月から今年一月までの勤務記録とパソコンの通信記録などの違いの見直し作業が始まりました。
Aさんは、「午後五時半の定時に帰ったことになっていたのに、パソコンなどのeメールの履歴には発信時刻が残っているんです。私の場合は、午後七時台にメールを発信していた記録があった」といいます。
「実際のサービス残業の十分の一にもなりませんが、それでも不払い分の残業代がでた。サービス残業をなくそうという流れがうち(スズキ)にもきたんですね」と顔をほころばせます。
これまで五十時間のサービス残業はザラで、百二十時間もやったことがあるという設計部門の労働者(五十代)はいいます。
「今回、私は支払いの対象になりませんでしたが、若い人には支払われ、いい結果になりました。職場の“ゴミ”(サービス残業)採りができたと思うが、また“ゴミ”がたまらないようにしてほしい。運動してきた共産党には敬服している」
四万円が支払われた二十代の男性は強調します。「(残業代は支払うという)あるべき姿にもどった。本来、労働組合(連合・自動車総連加盟)がやるべきことを共産党がやってくれた」
日本共産党スズキ委員会の太田泰久委員長(58)の話。「支払われたのは氷山の一角です。実際には、もっと多くのサービス残業が行われています。厚生労働省が五月に出した指針は、使用者の労働時間の管理責任を明らかにしています。IDカードで出退勤の記録をとることなどを会社に要求し、サービス残業が根絶できるよういっそうがんばりたい」