2003年6月3日(火)「しんぶん赤旗」
沖縄県で戦後初のレール使用の交通機関として、沖縄都市モノレール(通称「ゆいレール」)が八月十日開業するのを前に、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員と同那覇市議団は二日、ゆいレールに試乗し、那覇市内の那覇空港駅―首里駅間(十五駅、十二・九キロメートル)を往復、職員から車両性能や安全面などの説明を受けました。
「ゆいレール」の「ゆい」は「結ぶ」という意味で、沖縄のモノレールを県民みんなで支え、地域を結び、人と人を結ぶというイメージをあらわしています。
日本共産党は、祖国復帰前の一九七〇年の国政参加選挙(沖縄人民党公認・日本共産党推薦で瀬長亀次郎氏が衆院当選)で、「縦貫鉄道の導入」を政策にかかげました。
その後、屋良朝苗革新県政、平良良松革新那覇市政のもとで、モノレール建設計画が決定。自民党県政時代に「断念」寸前まで追い込まれましたが、当時の那覇革新市政と市民が団結して、実現を勝ちとりました。
試乗後、赤嶺議員は、「沖縄には鉄道がなく、交通渋滞など県経済に多大な悪影響を与えてきました。さまざまな妨害をはねのけて実現したことを県民とともに喜びたい。今後は中南部への延伸も検討し、県民の身近な足として活用されるように全力を尽くしたい」と語りました。