2003年6月3日(火)「しんぶん赤旗」
「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」――麻生太郎・自民党政調会長の暴言が韓国の人たちの怒りを呼んでいます。他国を植民地支配した犯罪性を自覚しないばかりか、歴史的事実としてもまったく間違った議論です。(藤田健記者)
「創氏改名」は、日本が朝鮮半島の植民地支配を始めて三十年後の一九四〇年に、二つの朝鮮総督の命令(制令)―制令第十九号「朝鮮民事令中改正の件」、制令第二十号「朝鮮人の氏名に関する件」―によって開始された制度です。
朝鮮式の姓を日本の家族制度である「氏」に変えさせ(創氏)、さらに名前の日本化(改氏改名)を図ったのです。
民族のアイデンティティーを捨てさせた暴挙を“朝鮮人が望んだもの”などという麻生氏の議論は、この制度を朝鮮に押しつけた朝鮮総督府と全く同じ議論です。
当時、朝鮮総督府は「創氏改名」を合理化するためにさまざまな理屈を持ち出しますが、そのうちの一つが「半島在住ノ朝鮮人ニ於(おい)テ、法律上内地人式ノ氏ヲ認メラレンコトヲ熾烈(しれつ)ニ要望」しているというものでした。(宮田節子・金英達・粱泰昊『創氏改名』)
また、日本の朝鮮支配を「善意」だったと語った日韓交渉の高杉晋一首席代表も「創氏改名もよかった。それは朝鮮人を同化し、日本人と同等に扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいったものではない」(日本ジャーナリスト会議「高杉発言の経過と内容―調査報告」から、不破哲三『歴史教科書と日本の戦争』所収)とのべています。
植民地支配の実行者やその後継者と同じ立場に立っているのが麻生氏なのです。
しかし、「創氏改名」が朝鮮の人たちが望んだものでなかったのは、実施経過をみれば明らかです。
四〇年の「紀元節」(二月十一日)を機に鳴り物入りですすめられた「創氏」の届け出は、二月中に全戸数のわずか0・36%、三カ月後の五月二十日にいたっても7・6%にすぎなかったことをみても明らかです。(前出『創氏改名』)
その後、国民精神総動員朝鮮連盟や学校教育を通じて強制を強めるとともに、教育現場での差別(教師が「創氏」しない生徒をしかり、殴打するなど)や、進学・就職での差別などを通じて、「創氏改名」を徹底していったのです。
しかも、「創氏改名」は、神社参拝、宮城(いまでいう皇居)遥拝、国旗掲揚、君が代普及、志願兵制度実施などと一体の「皇民化政策」の一環でした。A級戦犯となった南次郎・朝鮮総督が朝鮮統治の目的の一つに「朝鮮に徴兵制度を敷くこと」を掲げたように、太平洋戦争を前に侵略戦争遂行のための徴兵制度実施に大きな目的があったのです。
“天皇の軍隊に「金某」「李某」などという朝鮮名がまじるのは許しがたい”という発想もあったことは、当時の内務省文書にもでています。「朝鮮人が望んだ」などという理屈が成り立たないのは明白です。
日本の朝鮮支配を美化する麻生氏の暴言は、“植民地支配にもいい面があった”とする「新しい教科書をつくる会」の『新しい歴史教科書』で展開されている議論と軌を一にしたものです。
こうした主張は「植民地支配者の思い上がった傲慢(ごうまん)さ」(不破氏、前出著書)をむき出しにしたものです。
侵略戦争遂行のために朝鮮の人たちに「創氏改名」を強制した歴史的事実をも無視した麻生氏の暴言は、侵略戦争美化の立場にたつ自民党政治の醜悪さを示すものです。
朝鮮人の姓名を日本式氏名に変えることを強制した創氏改名は、戦前の天皇制政府が朝鮮人民を天皇の臣民とし、日本の侵略戦争に動員することを目的として実施したものでした。民族の誇りを踏みにじる露骨な政策であり、いわば朝鮮民族の民族的自立性を根底から抹殺するものです。その歴史的事実を「当時の朝鮮人が望んだことだ」などとごまかすのは、政権党の堕落が行きつくところまで行ったと言えるでしょう。
そもそも「朝鮮人が望んだことだ」などというのは、とんでもないでたらめです。創氏改名の届け出は一九四〇年二月十一日から八月十日までとされましたが、期間の半分に達した五月になっても届け出はわずか7・6%にとどまりました。それが八月十日までに80%にもなったのは、日本が強制したからです。麻生氏の発言は、こうした基本的な事実さえおさえないものです。政権党の最高幹部がこういう発言をするのは、戦前の日本が行った侵略戦争、植民地支配への根本的反省がないことを示しています。
今月には韓国の盧武鉉大統領が来日し、首脳会談が開かれます。そうしたときの今回の発言は、両国の関係を大変傷つけるものです。国益をなんと考えているのでしょうか。
過去の植民地支配清算の努力は、日本政府自ら「日韓共同宣言」「日朝平壌宣言」でもうたったはずです。こうした立場からも麻生氏の発言は許されるものではありません。
(日韓併合について)「形式的にも事実の上でも両国の合意の上で成立している。韓国側にもやはりいくらかの責任なり、考えるべき点はあると思う」(1986年9月、藤尾正行文相)
(韓国併合条約について)「強い国と弱い国、ほかに方法がないわけだから心理的圧迫、政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時は自分の国が弱くてやられたときだから仕方なかった」「(植民地支配のなかで)日本はいいこともした」(95年10月、江藤隆美総務庁長官)
「当時の日本には公娼(こうしょう)制度があった。だから従軍慰安婦といってもそれほど驚かない」「公娼になった人は貧しく、金のためにいった」(97年1月、梶山静六官房長官)
(従軍慰安婦問題を)「教科書に載せるのは疑問だ。強制性があったかなかったかはっきりしない」(98年7月、中川昭一農水相)
在日本大韓民国民団(民団)は二日、自民党の麻生太郎政調会長が五月三十一日に東京大学で講演し、日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に朝鮮の人々の氏名を日本名に変えさせた「創氏改名」について「当時、朝鮮の人たちが名字をくれと言ったのが始まりだ」との趣旨の発言をしたことに対し、抗議文を出して遺憾の意を表明しました。
抗議文は民団中央本部の宣伝局長名で、「盧武鉉韓国大統領が訪日する時期にあえて与党の幹部からこのような悪意に満ちた妄言がなされたことは驚がくの思いである」とし、発言の撤回と公式な場での謝罪を求めました。