2003年5月30日(金)「しんぶん赤旗」
「私のこの車を見てくれ! 米軍車両が逆走してぶつかってきたんだ」。記者団が詰めるホテルの駐車場で大声を上げた小学校教師のアルワン・モーセンさん(58)の車は後部がへこんでいます。
「抗議したら銃を付きつけられた。こんな状態で誰が米軍占領を許せるか」
改善しない水道、電気、燃料の供給。「フセインが倒れれば生活がよくなる。米国はそういって戦争したのに何一つよくなっていない」「アメリカの目的はイラクと石油の支配だけだ」。市民の怒りの声は米主導の暫定統治機構づくりに影響を与えています。
バグダッドから車で南に二時間のナジャフ。イラク国民の六割以上を占めるイスラム教シーア派住民にとっての聖地です。ここに拠点を構えるシーア派有力組織で、暫定統治機構設立にむけた協議にも加わっているイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の事務所を訪ねると、広報担当のアブ・アルサイール氏がこう断言しました。
「われわれはいかなる外国勢力による政権も認めません。イラク国民にとってなんらかの利益があればと考え協議に参加していますが、米国の構想はいまだ不明確でイラク国民のためになるとは思えません。われわれは協議のなかで米軍撤退の時期を明確にするよう要求しています。現在のような状況が続くなら暫定統治機構参加を拒否する可能性もあります」
暫定統治機構づくりでは、四月十五、二十八日と二回、準備会合を開催。米軍が招請した反フセイン体制組織が参加し、二回目の会合では、五月中の統治機構立ち上げを目指すとしました。しかし現在は事実上、立ち往生の状態。米国のイラク占領の現地責任者、ブレマー文民行政官は二十一日、同機構の立ち上げが七月にずれ込まざるを得ないと表明しました。この見通しさえ実現が疑問視されています。
同じシーア派の政治組織で、暫定統治機構設立協議に加わるダアワ党の幹部、クデアル・ジャファル氏もバグダッドの本部で「われわれの協議参加はそのまま統治機構への参加を意味するものではない。米主導の政権づくりは成功しないだろう。状況次第では協議からの撤退もあり得る。いずれにしてもわれわれは米軍の占領には反対であり、米軍は速やかにイラクから出て行くべきだ」と語りました。
こうした中で、新たな方向も模索されています。四月半ばに週刊の機関紙を発行し活動を公然化したイラク共産党のサラム・アリ中央委員はこうのべました。
「共産党はイラク戦争反対と独裁政権反対を掲げてきました。今後のイラクの国づくりでは、米国の影響力を排除し、広範な政治、宗教、社会組織から構成される国民会議をつくり、これが新たな暫定政府を準備すべきだと考えます。すでにその方向で多くの組織と共同を開始しています」
イラク共産党の「広範な国民会議」の提唱にはダアワ党も「基本的に支持できるし共同も可能だ」(ジャファル氏)としています。
現在、バグダッドではさまざまな組織が米軍撤退とイラク人民自身の手による政権づくりを求め、連日のように街頭で集会を開いています。
同市内で二十三日開かれた労働者の集会では、米軍撤退と復興における国連の関与を求める署名行動をおこなっていました。目標百万人分にたいし、六日間ですでに十万人分が集まったといいます。
同集会でハンドマイクを握り訴えた元大学教授のジャセム・アルサエディ氏はいいました。
「イラクの大半の国民は米主導の暫定政権づくりに反対しています。それは、いまの状況が明らかな占領状態であり、いいことが何もない上に、米国がイラクのすべてのシステムを変えてしまおうとしていると知っているからです。どんな困難があろうとも、イラク人自身の手で新たな国づくりを進めなければなりません。それが戦争で犠牲になった人々に報いることにもなるのではないでしょうか」 (バグダッドで岡崎衆史、小泉大介)(第一部おわり)