2003年5月22日(木)「しんぶん赤旗」
二十一日の衆院政治倫理審査会で行った松浪健四郎議員(保守新党)の弁明と質疑は、同議員の政治活動と暴力団関係者との尋常ではないつながりを明らかにしました。
焦点となったのは(1)暴力団組員(当時)が実質的に経営する会社から二百五十万円にのぼる私設秘書給与の提供を受けた(2)この事実を政治資金収支報告書に記載しなかった(3)指名手配されていた同組員の依頼で大阪府警に問い合わせをし、情報を元組員に提供した――の三点でした。松浪議員は基本的に事実関係をすべて認めました。反社会的集団である暴力団との関係をここまで認めた以上、議員を辞職する以外に道は残っていません。
松浪議員は、私設秘書給与を提供した元組員を「熱心な支援者」と説明、当初は暴力団関係者との認識がなかったと釈明しました。しかし、友人から「(この人物は)入れ墨があり、暴力団関係者であるらしい」と知らされた九七年十二月以後も、秘書給与の提供を受け続けています。この元組員が、松浪議員の有力後援会役員と「仕事仲間」だったともしており、釈明は不自然です。
なぜ秘書給与の提供を強く断らなかったのかと、自民党議員からも「不自然だ」とする声があがりました。松浪議員は「選挙で応援してくれた人を前にして、そういう行動はとれない」とこの元組員をかばう姿勢さえ示しました。
政治資金収支報告書に記載しなかった理由については、元組員との「約束」をあげました。
弁明によると、松浪議員は九八年四月、この元組員と面談。元組員は、松浪議員が持参した私設秘書の給与明細などをすべて焼却した上で、「秘書給与は返さなくていい。今までの話はなかったことにしよう」とのべたとしています。松浪議員は「(収支報告書に記載すれば)約束を破ることになり、その葛藤(かっとう)が大きな重荷になった」とのべました。
政治資金規正法という法を守ることよりも元組員との「約束」を上に置く姿勢で、国会議員としての責務を投げ捨てていたことになります。
大阪府警に問い合わせた問題では、松浪議員は「捜査状況の照会というものではなかった」と釈明しました。
しかし、九八年三月、わざわざ上京してきた元組員と渋谷・道玄坂の喫茶店で面談。指名手配中のこの組員から、「大阪府警の刑事から事情を聞きたいので協力してほしいと連絡を受けている」と相談を受け、「刑事に電話しておくから、後で議員会館に電話してください」と返答したとしています。
なぜ、わざわざ大阪府警に問い合わせまでしたか。松浪議員の釈明は「長時間(この人物と)同席するのはいやなので、なんとなく、(府警に)電話しておくからといって別れた」というもので、これも不自然です。
そのうえ、審査会では、別の暴力団関係企業からの献金問題が指摘され、松浪議員の暴力団関係者との根深い関係がさらに明らかになりました。松浪議員は「本件以外に客観的事実としても暴力団関係者と一切関係をもったことはない」と明言しましたが、この弁明がその日のうちに崩れたことになります。
松浪議員は、「反省しています」「だらしなかった」と繰り返しましたが、議員辞職については「さらに精進して、国民の負託にこたえたい」と拒否。「ネバーギブアップ」と開き直る姿勢さえみせました。
暴力団関係者とのつながりを断ち切ることができず、ずるずると関係を深めていった松浪議員が、国会議員の職にとどまりつづけることはできません。
(小林俊哉記者)