日本共産党

2003年5月4日(日)「しんぶん赤旗」

列島だより

健闘 まちの伝統人形芝居

悩みは後継者、運営 自治体の支援もっと


 全国各地に、長い伝統をもつ郷土芸能・人形芝居が受けつがれています。人々から喝さいを浴びる豊かな芸術性を備えた芝居ですが、後継者問題などの困難もかかえています。大分県中津市の北原(きたばる)人形芝居と秋田県合川町の猿倉人形芝居にスポットをあてました。


大分・中津市 北原人形芝居

 起源は鎌倉時代

独特の人形遣い復活

 大分県中津市大字北原(きたばる)に鎌倉時代起源として伝わる北原人形芝居があります。

子どもたちが懸命に熱演

 伝統の芸を伝えるのは、北原人形芝居奉納会(中山重義会長)で、毎年二月の第一日曜に地元の神社で行われる万年願や、地域の催しなどで上演しています。今年の万年願は大寒にしては暖かい日でしたが、天下泰平や延年(長寿)の祈りを込めた神秘的な「翁渡」(おきなわたし)に始まり、野外で三時間は見ごたえがありました。子どもたちが懸命に演じた「傾城阿波鳴門」(けいせいあわのなると)の「巡礼歌の段」には、作品の力もあってほろりとしましたし、こうした伝統をもち続ける地域はすばらしいという思いを強くしました。

 この日、私が注目したのは、有名な安珍清姫の物語、「日高川入相花王」(ひだかがわいりあいざくら)の「渡し場の段」の次の段という、いまでは文楽座などにもない「道行(みちゆき=ここでは旅の場面)の段」の初見でした。いつの時代か不明ですが、北原でつくられた独自の作品です。それも北原にしかない、挟み遣い(足の指で人形のかかとを挟み、人形を一人で操る)による上演でした。清姫が夢の中で安珍を追い、山伏姿の男に声をかけるのですが、別人でした。山伏と武士、臆病武士、義太夫節などのかけことばが入ったりして、悲恋の物語に、息抜きの娯楽的な要素を加えたのでしょうか。

苦心の末に一人遣い上演

 この挟み遣いは、二年前に四半世紀ぶりに復活上演されたというので、山伏を熱演した古門孝之さんに終演後、そのいきさつを聞きました。

 九年まえ、当時二十代の古門さんは、祖父の葬儀がきっかけで北原人形に関心をもち、二年後に奉納会に入って三味線のけいこから始め、やがて三人遣いの足遣いに加わり、その後、伝承者のいない挟み遣いの復活に打ち込んできました。しかし、教える人がいないし、わずかな記録のビデオだけでは練習にも行き詰まり、名人のお墓を探して掃除したり、人形と寝てみたり、神社で一人寒げいこをしたり、試行錯誤の日々を過ごしたということです。ようやく二〇〇一年の復活上演にこぎつけたということでした。

 人形の頭や衣装の製作者が少なく、苦労した話なども聞きました。現在、行政(市)からの支援としては、浄瑠璃などの指導者講師料や人形の修理費の一部がでているとのこと。補修費も相当にかかることを考えても、貴重な文化財を守り伝えていくために、市や県からいっそうの支援がほしいものと思いました。

 中世以来の伝統をもつ人形芝居は、かつては全国各地で人びとの暮らしの中に根づいていました。江戸中期に、義太夫節による三人遣い(一体の人形を、頭と右手、左手、足とわけて三人で操る)の人形浄瑠璃が生まれ、その豊かな表現力を生かした名作によって、歌舞伎をしのぐ人気を呼びました。

 しかし、明治以降の工業と都市化の進展や大きな戦争は、地域社会と人びとの生活や意識を変え、伝統芸能を支えてきた地域共同体が弱まり、芸能の演者、後継者、観客、支援者も減っていきました。とくに人形浄瑠璃は、一体の人形を操るのに三人、それに義太夫の語り手(太夫)、三味線奏者がいなければならず、高度な技能を維持するには、指導者と後継者、支援する環境がいります。

 伝統人形芝居には、このほかにも、一人遣い、糸操り、車人形など演じる形もさまざまなら、義太夫節より古い説教節によるものなど、物語も伴奏もいろいろあり、各地に伝えられています。

 (佐藤克明・音楽評論家・伝統芸能研究者)

秋田・合川町 猿倉人形芝居

 テンポ早い演技

海外で高い評価

 秋田県北部・合川町の猿倉人形芝居は、演目が十三種類。そのうち「三番叟(さんばそう)」「鬼神のお松」「貫鉄和尚(かんてつおしょう)」などがおもに上演されてきました。その特徴はなんといっても、人形の顔形の面白さとテンポの早い演技にあります。瞬時に替わるお松のかしらは、優しい女の顔が七度替わり、次第に目を見開き、口も大きく裂けて鬼神に化していきます。

 猿倉人形芝居 明治時代前期に秋田県鳥海町出身の池田与八が創始した人形芝居の流れをくんだ芝居で、合川町の人形芝居もその一つ。「文楽」とは異なり、大陸伝来のくぐつと呼ばれる流浪の大道芸と軌を一にしています。

「マジック?」拍手喝さい

 一九七二年、フランスでの国際人形フェスティバルに出演、あまりに速い首のすげ替えに、「マジックではないか」といわれるほど拍手喝さいをうけました。

 特徴の二つ目は、単純明快なストーリーと、それを表現する声色、地方色豊かな言葉の大衆性にあります。「貫鉄和尚」は、仏門とは相いれない女性を和尚がくどくというもので、そのこっけいさと適当なエロチシズムが、自由にたいする庶民の願望として、見るものの心を歓喜させました。子どもたちまでが「はぁ、こらこら貫鉄坊。三十なってもかかあ持たねゃ(持てない)」などと口にするほど人形のせりふは浸透しました。

 一九〇九年、秋田県南部・矢島町に生まれた吉田千代勝(本名・杉渕喜代三、旧姓木村)は、三二年、合川町の杉渕ハル(芸名・吉田千代海)と知り合い、結婚。戦時中の二人は、旅芸人として辛酸をなめました。

 戦後、秋田市の市議会議員をしていた中川利三郎氏(日本共産党衆院議員、故人)が、市内での公演を次々に取ってくれ、それで命をつなぎました。また、父親が秋田市出身の川尻泰司氏(人形劇団プーク主宰、故人)の紹介により、吉田千代勝一座は、一躍世界のひのき舞台に上がることができました。

県の無形民俗文化財に指定

 東京の国立劇場での公演、三度にわたる海外公演、テレビ出演などが評価され、七四年、秋田県無形民俗文化財に指定されました。

 八九年、千代勝氏が没し、杉渕栄治氏が後を継いでいますが、イベントがあれば引き出される程度で、県や町の経済的な援助なくしてはその存続すらが危ぶまれています。

 (田中金悦・合川町議)


わが街 ふるさと

自慢の宮古上布 環境大事にする南の島

沖縄・平良市

 平良市(ひららし)は、九州から台湾の間に弧状に連なる島々で、沖縄本島から約二九〇キロメートル南西方の宮古島の北半分と池間島と大神島の有人島および、無人島のフデ岩など多数の小島と岩礁から構成されています。人口約三万五千人。亜熱帯の気候で年平均気温は二三・一度、夏には台風が襲来する厳しい自然環境です。

 畜産牛が盛んで台風に強いサトウキビが基幹作物になっています。近年は葉煙草(タバコ)、マンゴウの生産も大きく伸びています。

 日本共産党は、島の特性を生かした農・漁業、産業の振興を政策に掲げ、政党では唯一の革新・民主の市政与党として奮闘しています。世界に誇る四百年の歴史をもつ伝統産業の麻織物・宮古上布の振興も市議会で提案。宮古で初めての「宮古の織物展」が一九九八年、市の博物館で開催されました。織物組合も再建され元気を取り戻しています。

 宮古島は平らな島で山も川もありません。生活用水はすべて地下水にたよっています。上水道が普及するまで、島の各所に散在する「うりかー」(洞くつ泉)や井戸水が貴重な生活用水でした。それだけに地下水の保全にたいして関心の高い島です。日本で最初に「地下水保全条例」が制定されました。

 そんな島に昨年、産業廃棄物処理場で火災事故が起こり、島はその問題で揺れています。日本共産党は産廃火災事故の起きる以前から、ごみ問題を宮古島の産業・経済のあり方を問う重要な問題として位置づけ、「ごみ問題シンポジウム」に取り組んできました。

 それが力になり、産廃火災で悪臭や有害ガスによる被害を受けた住民とともに問題解決のため運動に取り組み、その運動が平良市を動かし、地下水を含めた環境を保全するための「環境保全条例」(案)を六月定例議会に提案するため準備中です。

 (上里 樹市議)


こいのぼり春風に

埼  玉

 「こどもの日」を前に、埼玉県飯能市内を流れる入間川の河川敷・飯能河原に、ことしもこいのぼりが掲げられました。四月二十九日、河原では家族連れがバーベキューをして楽しんでいました。“こいのぼり”たちも風にゆらゆらと、気持ちよさそうに泳いでいました。

適齢者リスト廃棄を

山  梨

 自衛官募集にかかわる「適齢者リスト」問題で、「平和・民主・革新の日本をめざす山梨の会」(山梨革新懇)と新日本婦人の会県本部、山梨母親大会連絡会は、県に適齢者名簿や中学卒業生名簿の作成・提出状況などを明らかにし、防衛庁に両名簿の廃棄を要請するよう申し入れました。

雪うさぎお目見え

福  島

 農耕の始まりを告げる福島市吾妻小冨士の雪うさぎがお目見えです。四月から五月上旬、福島市内から見えます。農耕を始める時期なので「種まきうさぎ」とも呼ばれ、地元の人々に親しまれています。

原爆症認定へ会結成

広  島

 原爆症認定を求める集団訴訟を支援する広島県民会議が結成されました(四月二十六日)。札幌、名古屋、長崎で七人が集団提訴したのに続き、広島でも六月十二日に提訴を予定しています。結成集会には学者、弁護士や提訴する被爆者など九十人が参加しました。

天竜舟下りに歓声

長  野

 天竜川を小舟で下る、天竜舟下り。飛び込む水しぶきに歓声があがります。四月二十九日は、強風でコースを変更、高森町・市田港から弁天港までの舟下りに。行楽客は「ゆったりした流れもいいが、水しぶきが飛び込んでくる激しい流れも楽しい」と話していました。

被爆樹二世の公園

高  知

 広島で被爆したアオギリの「二世」を植えた公園が四月二十九日、高知市内で落成しました。この親木は、爆心地から一・三キロのところで被爆しましたが、一九四六年春に芽を吹き、被爆者に勇気を与えたといいます。公園に植えたのは、種から育てた三本。

陶器まつりドッと

長  崎

 日用食器で人気が高い、長崎県波佐見町の「波佐見陶器まつり」が同町のやきもの公園を中心に開かれています。茶わんや湯のみなど、お目当ての品を求めて、百三十の店の前は終日おおにぎわい。五日までの期間中に二十三万人の人出が予想されます。

たてがみ抜けて

青  森

 メーデー青森県中央集会では、デコレーション審査で最優秀賞となった青森生活と健康を守る会の「生健勧進帳」が人気を集めました。「小泉ライオン たてがみ抜けて 色あせる」。「自民党をぶっ壊す」といった首相のメッキのはげっぷりを痛烈に批判。

「改正」反対が68%

福  岡

 北九州市立大学の学生アンケートで、憲法九条「改正」反対が68・3%にのぼることが二日までに明らかになりました。同大の上脇博之教授(憲法学)が四月、受講生におこなったもの。回答総数百八十人。「改正」に賛成は18・9%で二〇〇一年より大幅に減少。

干潟でシジミとり

大  阪

 公害環境デー実行委員会による自然観察会「十三干潟(大阪市淀川区)で遊ぼう」が四月二十九日に開かれ、親子連れなど約百人がシジミとりなどを楽しみました。「おる、でっかいで。小さいのは逃がしたろか」。子どもたちが歓声をあげていました。

最大級の古書即売会

京  都

 国内最大級の古書大即売会が京都市みやこめっせで一日から開かれています。近畿中心に四十二店が古書籍、文庫、マンガや尾形光琳作の絵など約五十万点を出品。主催の京都古書研究会は「文化に触れてもらう機会に」とよびかけています。五日まで。

不当配転訴訟が結審

北海道

 渡島信用金庫の星野憲治さんが不当配転、降格・減給撤回を求めている控訴審が四月二十五日、札幌高裁で結審しました。一審の函館地裁は、配転を無効としましたが、降格の撤回は認めませんでした。判決は七月二十三日。「判決までがんばりたい」と星野さん。


もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp