2003年4月26日(土)「しんぶん赤旗」
長引く不況に加え、銀行の貸し渋り・貸しはがしが横行するなか、中小企業の資金繰りを楽にする国の借換保証制度(資金繰り円滑化借換保証制度)が歓迎されています。全国各地の業者運動と国会や地方議会での日本共産党の追求で実現した制度です。ところが、公明党は「借換保証制度で“実績横取り”」(公明新聞)などと日本共産党攻撃に悪用しています。国民の運動と日本共産党の追求で実現した成果を横からかすめとって、あべこべに「実績横取り」「ハイエナ」攻撃する公明党のいつもの手口です。
借換保証制度は、いくつもある保証協会の保証つき融資を一本化して、返済期間を十年に延長することで、月々の返済額を大幅に軽減する画期的な制度です。「月七十万円の返済が十七万円になり一息つける」「返済がなんとかなれば商売の見通しが出る」など各地の業者に喜ばれています。
この制度は、政府・与党が中小企業に対する「金融安定化特別保証」制度を二〇〇一年三月末で打ち切ったため、新たな特別融資制度をつくれという要求が高まってできたものです。さきがけとなった京都では、二〇〇〇年暮れの京都二信組破たんを契機に、翌年の府知事選に向けて業者の要求運動となり、〇二年一月から京都府で中小企業むけに借換融資制度を創設させました。
日本共産党は、全国商工団体連合会や中小企業家同友会などとともに特別保証制度の存続・復活とともに、特別融資制度を追求。京都府・市の借換制度実現を受けて、〇二年三月十九日の参院経済産業委員会で西山とき子議員が国での実施を求めました。
その後も、市田忠義書記局長が同年十月二十三日の参院本会議の代表質問で要求、西山議員が六回、塩川鉄也衆院議員が三回質問でとりあげるなど、繰り返し制度の実現を求めてきました。
当初は、消極的だった政府も、「研究することはやぶさかではない」(平沼経済産業相、〇二年十一月十四日参院経済産業委で西山質問への答弁)と変化。昨年十二月に補正予算に盛り込まれることが決まりました。
平沼経産相は「これは、経済産業委員会のご質疑のなかでも、西山先生からも京都の例などお出しいただいて、いろいろ審議をさせていただいた」(〇三年一月二十九日参院予算委)と明言。日本共産党と業者運動の大きな成果となりました。
公明党が、この問題をとりあげたのは、政府が〇二年十二月十二日に制度創設を決定したほぼ一週間前。塩川財務相への「補正予算に関する重点要望」(〇二年十二月四日)で「借換保証を中心とする資金繰り支援保証」を盛り込んだことでした。
国会でも、補正予算審議までは、借換保証制度についてとりあげたこともありませんでした。ところが、浜四津敏子代表代行は今年二月五日の参院本会議で「公明党が重点要望として求めていた資金繰り円滑化借換保証制度がいよいよスタートする」などと「実績」扱いを始めました。
国民の運動と日本共産党の追求で新たな制度が実現しそうになると、一言「要望」したり、質問して、自らの「実績」扱いする公明党のいつもの手口です。
公明党が「借換保証で“実績横取り”」などと攻撃する「根拠」は、「共産党は、同制度の創設を盛り込んだ2002年度補正予算に反対した」ということだけ。
補正予算は、中部国際空港などムダな公共事業に一・五兆円もつぎこみ、そのために「国債三十兆円枠」の首相公約さえ踏みにじって五兆円近い国債追加発行を持ち込んだ中身でした。肝心の個人消費をあたためる施策もなく、ムダ遣いを拡大する予算案に反対するのは当然です。
だいたい、予算は国でも地方でも「政治の顔」。なかによい施策が入っていても、全体が国民いじめの予算では賛成するわけにはいきません。それをきびしくチェックするのも野党の役目です。「予算に反対したから実績なし」などというのは、議会に野党はいらないという公明党の反民主主義の体質を示すだけです。
日本共産党は、借換保証制度の実現に努力するとともに、制度創設後も、運用の改善・充実を求めています。
二十三日の参院金融経済特別委員会では、小池晃議員が、運用の問題点を示し、積極的活用をすすめる指導を金融庁に求めました。
金融庁の五味廣文監督局長は、中小業者が金融機関から融資を受ける際、「(借換保証)制度を利用していること自体が問題になることはない」と答弁。中小業者が同制度を積極的に活用できるよう金融機関を指導していくことを明らかにしました。
小池氏は、質問で金融機関に相談にいっても、条件変更を理由に門前払いしたり、「借換保証制度を利用するとその期間中は、新規融資できない」と断る事例が各地でおこっていることを指摘。「政府が重要な政策課題としてやるきのある中小企業のための制度をつくったのだから、これが積極的に活用されるように徹底すべきだ」とただしました。
五味局長は、制度を利用したことを理由に融資を断ったり、金利を引き上げたりすることはできないと指摘。この方針を金融業界との意見交換会で伝えるとともに、「各地の財務局長が地元の中小金融機関の窓口まで徹底して指導するよう指示をだした」と答弁しました。
政策そっちのけで共産党の悪口ばかりふれまわっている公明党が、「共産党は予算に反対したから実績はない」「反対だけが実績」などと、各地で日本共産党を攻撃しています。そんな論法でいけば、国政では三十六年間も「野党」として予算に反対してきた公明党の「実績」はいったいどうなるのでしょうか。
公明党は、前身の公明政治連盟時代の一九六二年から九九年に自民党と連立を組むまでの間、細川内閣与党となった九四年度と、自民党が単独採決した八九年度を除いて、予算に反対しつづけてきました。
この間、公明党は選挙のたびに、「教科書の無償配布」「パート減税」など、“あれも実績”“これも実績”と宣伝してきましたが、公明党の論法でいけば「予算に反対したのだから実績はすべてウソ」ということになります。
たとえば、「教科書の無償配布」は六三年度から小学校一年生を対象に始まりました。その後、六九年度から小・中学校全学年で実施されました。
「児童手当」(七二年度〜)「パート減税」(八四年度〜)、「白内障眼内レンズ保険適用」(九二年度〜)「さい帯血保険適用」(九八年度〜)など、公明党がこの間「実績」として宣伝してきたものは、いずれも自分たちが反対した予算に盛り込まれたものでした。