2003年4月15日(火)「しんぶん赤旗」
東京・北区の高台に新築された東京北社会保険病院。四月に開設の予定だったこの病院は、厚生労働省、社会保険庁の突然の方針変更で、いまも開設がいつになるのかわかりません。
田杭(たぐい)サダさんは三月三十一日に三人目のひ孫が生まれた八十六歳。「病院開設にあわせ薬局の準備や喫茶店の開店をした人もいたのに」と、まちの医療や経済への影響を心配します。
病院開設の住民運動に当初からかかわって十七年。「そもそもはね」で始まる、ことの発端は一九八〇年代なかばに出された、地元の国立王子病院廃止の動きでした。住民は「国立王子病院を守る会」をつくり運動を起こし、田杭さんも参加。「差額ベッド代をとらない国立王子病院は、私たち都営住宅にくらす年寄りには、なくてはならない病院でした」
自治会など地域ぐるみの運動が広がりましたが、国立王子病院は九五年に廃院。「高齢の患者は不便になるし、とくに透析で有名な病院でしたから、透析患者は右往左往して大変でした」
住民はあきらめませんでした。国の責任で国立病院を継承する病院建設を追求。それが、社会保険庁の建設する病院として実を結びました。三百億円かけて建物は完成。品川区の社会保険都南総合病院の職員が異動してくるなどスタッフも決まって今年四月の開院を待つばかりだったのです。
「待ちに待った八年間」の願いは、もう実現するばかりでした。ところが、今年に入って社会保険庁は、運営を予定していた全国社会保険協会連合会の運営委託のとりやめを突然、地元に通告。
「まさに、寝耳に水の出来事。いち早く教えてくれたのは、日本共産党の区議さんでした」と田杭さん。「守る会」が呼びかけた緊急の住民集会には、自治会長や商店会長などが参加して怒りの発言が次々。区議会も全会派一致して「既定方針どおり」四月に開設を求める決議をあげました。自治会独自の署名を集めた地域もあります。
田杭さんは、地域住民ぐるみ、党派をこえて急速に運動がもりあがるなか、公明党の動きに不信をもちました。
方針変更を決めた責任者、公明党の坂口厚生労働大臣は超党派の北区議会代表には会いません。一方で地元の公明党には一月に会って「早急に委託先を決める」と回答しました。
創価学会員が「早期に開設するから大丈夫。共産党が不安をあおってる」などと、とんでもないデマを流しています。
「冗談じゃない。大体、住民を不安におとしいれたのは公明党の大臣でしょ。公明党は、区議会も要望する『既定方針どおり』四月開設を、と大臣に訴えるべきではなかったのですか」と怒る田杭さん。
責任を持つ公明党大臣がご破算にしてしまったのに、これから委託先を「早急に」決めるからなどと宣伝するとは…。
「まったく人をバカにしている。無責任な政党がいる一方で、住民の間に事態を正確に伝え、運動を励ましてくれたのが共産党です。この議席は何があっても守らないといけません」と田杭さんは語ります。(海老名広信記者)