2003年3月17日(月)「しんぶん赤旗」
「私たちにとって川崎協同病院は命綱です」と話すのは、川崎公害病患者と家族の会の北島幸会長(79)です。
川崎市の公害認定患者は二千百十八人(一月末現在)。その二割にのぼる人たちが川崎協同病院で治療をうけています。その背景には同病院の公害病との長いたたかいの歴史があります。
一九六六年ごろから川崎医療生協の公害病との取り組みは始まります。
地域での健康診断のなかで「屋根のトタンが腐る」「洗濯物が汚れる」などの声とともに、「ぜんそく患者が増えている」という状況が報告されました。
同医療生協内に「公害対策委員会」を発足させ、健康アンケート活動、公害発生源地帯の見学などの調査活動に着手。翌六七年、同委員会はアルカリろ紙法による亜硫酸ガス濃度の測定を始めました。こうした活動をもとに川崎市との交渉、市議会には「川崎の公害に関する意見書」を採択するよう求める請願書の提出――。命と健康、環境を守る市民運動を掘り起こし、励ましてきたのです。
公害病発生にいたる実態を追及してきた取り組みのうえに立って、八二年、公害病患者たちは国、道路公団、加害企業十四社を相手に被害者の完全救済を求めて提訴。九六年に企業と勝利和解、九九年五月に国と道路公団との和解を勝ち取りました。
「病院は私たち公害病患者のとりでとして命と健康を守り、運動を支えてくれています。裁判の原告が行動するときには病状が悪化したときのために看護師と医師を派遣してくれました。だから安心して運動がやれた」と北島会長は振りかえります。
北島会長は「創価学会員の友だちが『あんな病院に行かないほうがいい』といってくる。私はいま眼科に通院しています。もし入院などということになったら他の病院ですと差額ベッド代を取られ大変。一日一万円もするベッドしか空いていなくって二十日間入院して二十万円とられた公害病患者もいます。学会員の友だちには『悪口言わずに差額ベッドをとらないなど、いいことも宣伝してちょうだい。つぶすつもり』といっているのですよ」といいます。
そして「創価学会員もないしょで川崎協同病院にいっているんですよ」と教えてくれました。
川崎市も「地域において公害病患者さんを非常に熱心に診ていることを、決して我々は否定することではありません」(昨年五月十五日の市議会健康福祉委員会での健康部長の答弁)と評価しています。
同病院で医療相談を担当しているソーシャルワーカー荻野郁子さんは「うちの病院に入院したいという相談が増えています」といいます。
これまで川崎協同病院にかかっていた川崎市内に住む七十九歳の女性は、ことし一月にぜんそくの発作で入院を余儀なくされました。ベッドがいっぱいで他の病院に入院。「一日差額一万五千円の部屋しかない」といわれやむなくその病院に入院しました。しかし、高額の差額ベッド代で泣かされています。
この女性の家族は「改めて川崎協同病院のよさがわかりました。空きができたら転院させてほしい」と訴えています。(つづく)