2003年3月15日(土)「しんぶん赤旗」
名古屋刑務所での受刑者への相次ぐ暴行事件が判明した問題で、野党四党は予算委員会での追及に続き、衆院法務委員会でも一致して真相の徹底解明のためのとりくみを強めています。
七日の法務委員会理事懇談会の場で、野党四党の要求をもとに、法務省から行刑問題に関する膨大な資料(第一次)が提出されましたが、ここには多くの重大な新事実が含まれていました。
注目されるのは、昨年五月に名古屋刑務所で発生した受刑者の革手錠死亡事件が、病死などではない不自然死であることが事件直後からわかっていたことを示す資料です。
死亡翌日の五月二十八日、名古屋刑務所長から法務省矯正局長等に出された「変死事案追報告」には「(司法解剖)立会(たちあい)検察官から『複雑な事案になるかな』との感想があった」「執刀後の(執刀医の)コメントとして、『肝臓に挫裂創(ざれつそう)が認められる』『この創(きず)は、急激な圧迫によって生じることがある』」など重大な事実が記述されています。これを読んだ時点で、矯正局長はことの重大性がわかったはずですが、九月におきた革手錠傷害事件とともに昨年十月四日に公表されるまで隠され、法務省矯正局による積極的な調査もなされませんでした。
五月事件について、死亡の数日後に矯正局長から森山法相に「名古屋刑務所で保護房に収容し、革手錠を使用していた被収容者が死亡したこと、司法解剖した後において、捜査機関による捜査が行われることになった」旨報告されている事実も、資料から明らかになりました。
この時期に法相が的確な措置をとっていれば、四カ月後に起きた九月の革手錠傷害事件は防げたことになります。
国会で追及をうけ二月二十八日に行われた、名古屋刑務所事件の関係者に対する処分理由も明らかにされました。多くの関係者が「(五月事件の死亡原因について)真相究明を怠った」「(革手錠使用が異常に多いことを放置するなど)職務を怠った結果、九月事案を発生させた」との理由で処分されています。
その責任を問うなら、戒告や訓告、最高でも停職三カ月という処分内容は、あまりにも軽すぎます。九月事件を防げなかったという点では、最高責任者である森山法相が、給与三カ月分の自主返納ですませていることなど、とうてい許されるものではありません。
刑務所と、法務省矯正局・管区(矯正局の地方出先機関)との人事交流は、二〇〇二年度だけで百一件もありました。現場の刑務所とその指導監督にあたる法務省矯正局が“同じ穴のむじな”であることを示しており、刑務所内の人権侵害の実情を大臣に直訴できる「情願」が矯正局どまりになっていたことの不当性、法務省ぐるみの隠ぺい体質を裏づけています。
「情願」以外にも、受刑者が捜査機関あてに発信した告訴・告発状と題する信書が、二〇〇二年度だけで約三百五十件あったこともわかりました。重大問題がなお残されており、徹底的な真相究明と森山法相、法務省の責任追及が今後の焦点となります。