日本共産党

2003年2月20日(木)「しんぶん赤旗」

公明党

拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望

“知らなかった”ではすまない

署名の1年前に橋本議員追及

88年3月26日参院予算委 2公明議員が出席


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辛光洙事件がとりあげられた参院予算委員会に公明党の猪熊、和田両議員が出席していたことを記録した88年3月26日の同委議事録(上)、辛光洙らの釈放要望書(89年7月)の猪熊、和田両氏ら公明党の6議員の署名(下)

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 昨年十月、公明党が北朝鮮による拉致問題で党略的な日本共産党攻撃をおこなってきたのにたいし、本紙は、「『反省』すべきは公明党ではないのか」という根拠の一つとして、韓国に潜入を企て逮捕された日本人拉致実行容疑者の辛光洙(シン・グァンス)とその共犯者の金吉旭らの「釈放」をもとめる要望書に、公明党の六人の国会議員(衆院議員三人、参院議員三人)が署名していることを指摘しました(昨年十月二十七日付)。その後も、十一月二十三日付特集では、六人の署名の写真を付けて報道。「これこそ、拉致問題解決の妨害」と批判してきました。

 公明党はこの指摘に四カ月近くも沈黙していましたが、最近になって“知らないで署名した”といい始めました。「当時は辛が日本人拉致の実行者だとは分かっていなかった」「今から14年前の話であり……辛が拉致実行者であると知っての釈放要望でない」(公明新聞二月十六日付)といっています。

 しかし、辛光洙と共犯者をふくむ「政治犯」二十九人の釈放要望書が来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出されたのは、八九年七月。それより一年も前に、国会の参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦議員が辛光洙事件をとりあげていました。この参院予算委員会には、公明党から署名した六人のうち猪熊重二、和田教美の二人の国会議員が出席していたことになっています(八八年三月二十六日、参院予算委員会会議録)。

 原敕晁さんを一九八〇年に拉致した辛光洙について、日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が七八年に「四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにしました。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました。

 辛光洙事件そのものは、摘発された八五年に「日本人を北朝鮮にら致、韓国、工作員ら3人拘束」(「朝日」八五年六月二十八日付夕刊)と大きく報道されました。そして八八年のこの橋本質問です。

 公明党は、こうした事実の指摘に「反省」しないばかりか、公明党パンフの「公明党は拉致解明にどう取り組んだか」という記事では、一九八〇年の「国会で最初に質問、一貫して努力」といっていたものです。これほど明々白々な事実を知らなかったこと自体おかしな話ですが、だとすれば拉致解明の「一貫した努力」がなかったことを「反省」すべきではないでしょうか。(S)


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