2003年2月14日(金)「しんぶん赤旗」
「廃止や中止だけはするな、そのうち知恵を出すから」─。環境破壊でムダな公共事業と批判されている長崎県・諫早湾干拓事業について、久間章生自民党政調会長代理(長崎二区)が故田中角栄元首相からそんな大蔵大臣への“指示”を引き出し、強引に事業を存続させたことが日本共産党の小沢和秋衆院議員の調査でわかりました。これは、久間氏自身が「回顧録」のなかで誇示しているもの。同議員はこの事業受注企業などから多額の献金を集めています。
小沢議員の調べによると、久間氏は「(財)諫早湾地域振興基金」が一九九三年に刊行した『諫早湾干拓のあゆみ』に「回顧録」と題する一文をよせています。
これによると久間氏は、一九八二年に長崎県出身で、現長崎県知事の父である金子岩三農水大臣が漁民の反対や投資効率を理由に、計画中止の見解を表明したのにあわて、ロッキード事件で公判中だった田中元首相の目白邸に陳情しました。同氏は、旧田中派で一九八〇年の総選挙で初当選したばかりでした。陳情を受けた田中元首相は当時の竹下登蔵相に電話。「ともかく廃止や中止だけはするな、そのうち知恵を出して解決策を見付けるから」と話してもらい「事業継承を承認してもらった」といいます。
久間氏は「この後事務当局の説得もあり、防災干拓として日の目をみることになったのだが、この時ほどひやひやしたことはない」とふりかえり、自分の実績を売り込んでいます。
小沢議員の調べによると、久間氏は、資金管理団体とみずからが支部長を務める自民党長崎県第二選挙区支部で、九五年から二〇〇一年の七年間に、諫早湾干拓事業および県内の港湾・漁港工事受注企業から五千七百九十一万円もの献金を集めています。
十二日の予算委員会でこの問題をとりあげた小沢議員は「久間議員が先頭に立って田中元首相や竹下蔵相らの政治力を使って事業続行に持ちこんだことがよくわかる。『防災干拓』などというのも後から付けた理屈だということがはっきりした。久間氏らの働きかけの結果、ゼネコンのため、無理やり工事を始めた。そのなかで受注企業からずっと献金を受ける。こんなことは許されない」と話しています。