2003年2月9日(日)「しんぶん赤旗」
国民の立場ではっきりした目標、政策をもっている政党らしい政党が日本共産党――。日本共産党の不破哲三議長は八日の東京・日本武道館での演説で、このことを三つの分野(国民の暮らしと経済、外交と平和、東京の地方政治)にわたって浮き彫りにしました。
第一は、国民の暮らしと経済の問題です。
サラリーマン世帯の実収入はこの五年間で六十八万三千円の減。完全失業者数(三百五十九万人)は石油ショック時(七八年)の三倍、円高不況時(八七年)の二倍、高校卒の就職内定率はわずか五割……。こうした危機的な状況は戦後、日本が経験したことのないものです。
不破氏は、「複合不況だから」という小泉首相の説明をとりあげ、「確かに『複合』だ。景気が悪いときに、それをいっそう悪くする政策をやったからだ」と批判。二年前の小泉政権発足直後に、「不良債権の早期処理」が中小企業をつぶし、不景気をいっそうひどくすると主張した政党は、日本共産党以外なかったと振り返りました。
「こういうときに政治は何をすべきか。国民の苦しみと困難をとりのぞくことが政党のなによりのつとめ」。こう述べた不破氏は、それとは全く反対に、四兆四千億円もの国民負担増をおしつける小泉政権と自民、公明党を批判。失業が過去最悪なのに失業手当を減らして、これを「雇用促進」と呼んでいることを告発すると、会場からはどよめきが起こりました。
これに対し日本共産党が「四つの緊急要求」を掲げ、それが、日本医師会など医療関係四団体、日本商工会議所など商工関係四団体など、自民党の足場になっていたような団体の要求になっていることを紹介。国会でも、野党共同で健保三割負担凍結法案の提出に向けた作業が始まっているなど、日本共産党の政策が国政を動かす力を発揮しつつあると指摘しました。
不破氏は「日本共産党はなぜこういうことができるのか」と述べ、「重い病の根源を診断し、それを治す『日本改革』という処方せんを持っているからだ。日本経済の明日をひらくためともにがんばろう」と呼びかけました。
世界の平和と日本の外交の問題ではどうか。不破氏は、まずイラク問題について語りました。
不破氏は、査察の継続によって平和的解決の道が開かれているのに、これをとりやめて早く戦争をしかけようとしているアメリカの無法を告発しました。
不破氏が「この問題で世界の国々がみんなはっきり発言しているのに、はっきりしない国が一つある」と述べると、会場からは大きな笑いが。小泉首相は、国会では「まだ戦争は始まっていない」といってあいまいな態度をとっているが、実際は「ハラは決まっている」と指摘。しかし、「国連でも、国会でも、これが日本の主張だと説明することができないのは、アメリカがやるから賛成するというしか理由がないからだ」と述べると、「そうだ」の声が上がりました。
不破氏は、日本共産党がアメリカによる対イラク軍事攻撃反対、国連のルールでの平和解決を訴えてきたばかりでなく、それを実現するため、積極的に展開してきた野党外交を詳しく紹介。このなかで、日本共産党の緒方靖夫国際局長(参院議員)らがイラクを訪れ、直接、査察の無条件受け入れを迫ったのに対し、日本政府はイラクの周辺国に頼むだけという「日本の外交の貧しさ」を指摘すると、会場からは笑いが起こりました。
「なぜこういうことができるのか」。不破氏はこう問いかけ、第一に、どんな大国でも対等・平等に堂々とものをいってきた、自主独立の立場、第二に、アジア諸国が求める日本像――「過去の侵略戦争を反省した日本、米国追随でなくアジアと心を交流できる日本、平和な日本」という姿を体現している、第三に、これらのことを知った国々が近くの国々に宣伝してくれるからだと指摘。九九年に不破氏が訪問したマレーシアの政府が昨年タイで開かれたアジア政党会議に日本共産党を推薦したエピソードを紹介しました。
北朝鮮問題でも他党との違いは鮮明です。七〇年代以降目に見えてきた北朝鮮の国際的な無法行為を、正面から批判し、拉致問題で北朝鮮の疑惑を政府に認めさせたのも日本共産党でした。不破氏はその一方、北朝鮮の無法が明らかになってから「卑屈な政党外交をやってきた政党」があるとして、公明党などの迎合ぶりを浮き彫りにしました。
拉致問題の解決の方法についても、相手が無法国家であればあるほど交渉ルートを持たないのは危険として、拉致問題を含めた包括的交渉を提起した(九九年)ことを紹介。それが同年末の超党派訪朝団に結びつき、そのレールの上に小泉首相の訪朝がおこなわれたことを指摘しました。
また、「断固たる交渉」とは何かについても言及。超党派訪朝団で他党代表が金日成廟(びょう)などでおじぎしたり、ほめ言葉を書くなか、党代表がそれには同調せず、会談では堂々と筋道たてて主張したことを紹介しました。
そして、「野党の立場で世界の平和、日本の安全で、こういう外交活動を展開している党はない」「日本とアジア諸国との友好と信頼関係の確立は二十一世紀の日本の未来がかかること、そのためにも日本共産党の躍進を」と訴えました。
「東京では、国政と都政の両方から冷たい風が吹いている」――こうのべた不破氏は、石原都政での四年間で三百三十億円の福祉費削減は、全国でも例のない大削減だと指摘。都政の場で福祉切り捨て政策に反対を貫いてきた政党は日本共産党だけだと述べるとともに、「この冷たい風に抗して、どの区市町村でも住民の利益のためにがんばってきた党議員団の実績は抜群」だと、いくつかにしぼってその実績を説明しました。
一つは、子育てにかかわる乳幼児医療費の無料化です。この運動は一九六八年に東京から始まり、一九七三年には清瀬市で最初の実施をかちとり、以後実施の自治体は確実に広がり、いまでは都と区市町村の制度をあわせて、就学前までの無料化が都内全域で実施されて、全国トップの水準になっています。その推進力は住民運動と連携した日本共産党議員団の奮闘でした。
二つは、小、中学校のボロボロ校舎の改善です。党議員団は千九百六十六校のうち、八百十校を四年間に訪問、実態を調査して、学校の修理改善を促進してきました。井上美代参院議員の国会での努力で小規模修理にも国の補助がつくようになり、修理校舎は年間九十校台から百三十校台に増加しました。
この問題は、四年前のいっせい地方選挙の際、公明党が「ぼろ校舎とは日本共産党のデマ宣伝だ」と攻撃をしかけてきたことでしたが、四年間の実績でこの宣伝のデマぶりも明らかになりました。
不破氏は、さらに介護保険制度での減免制の導入、ムダな大型開発のストップの成果などを具体的数字をあげて紹介。「住民の要求の実現したところ、住民運動と組んだ日本共産党議員団の活動あり」と述べて、大きな拍手に包まれました。
「『政党の衰退』がいわれる時代に、国民の利益を一筋につらぬく日本共産党の役割がこんなにはっきりしている時代はない」――不破氏はこうのべるとともに、だからこそ日本共産党の前進をおさえようとする相手側の策動を打ち破ろうと呼びかけました。
とりわけ、反共作戦の先頭にたっている公明党について「国民がどうなろうが、自民の悪政を助け、日本共産党打倒に熱中するこんな政党が国民に必要かが問われている」と指摘。医療事故・事件を利用した反共攻撃について、「国民の命と安全の問題まで無理無体なこじつけで他党攻撃の道具にするこのやり方は、人間離れした正体を示すもの」ときびしく批判しました。
そして、告示前に反共作戦をやってしまおうという公明党・創価学会の戦術を指摘し、「先手必勝。いくら道理があり、勝利の条件があってもおくれたのでは間に合わない」とのべ、目標達成に意気高い取り組みで「東京を動かす大波を」と呼びかけました。
最後に不破氏は、「二十一世紀は、国民が主人公の政治をみんなの力でこの日本に実現する時代。自民党政治の危機とゆきづまりは、その条件の発展をしめしているが、その道は、死に物狂いでこの間違った政治を守ろうとする自民党・公明党などを、一つひとつの政治戦で確実に打ち破ることで、一歩一歩開かれてゆくもの」と指摘。「いっせい地方選挙と総選挙――国民の利益と日本の未来のかかった二つの政治戦の勝利を、首都東京にもつ知恵と力のすべてをそそいでかちとろう」と訴え、会場全体の拍手のなかで話を結びました。