日本共産党

2003年1月26日(日)「しんぶん赤旗」

開院 私たちの手で

社会保険病院 突然の移転中止 東京


写真
玄関に廃院にむけ告知をはりだした社会保険都南総合病院=東京都品川区

 中小企業の労働者が加入する政府管掌健康保険から三百億円投じて社会保険庁が建てた東京都北区の東京北社会保険病院。品川区にある社会保険都南総合病院が新病院に移転し、四月に開院する予定でしたが、同庁の突然の方針変更で開院のめどがたっていません。都南病院の職員は「数年来、開院準備してきた労力をむだにしたくない。私たちの手で開院を」と訴えています。(海老名広信記者)

職員ら「夢奪わないで」

青天のへきれき

 一月六日のこと。職員は「新病院の開設は四月にできない。都南病院は三月をもって廃院」と通告されました。「青天のへきれき」と、皆ぼうぜんと立ちつくしました。

 職員は新病院に設計段階から携わってきました。レントゲン技師は、必要最小限の人員で効率的に動けるよう十数室ある撮影室をレイアウト。薬剤師は安全を考え、点滴の調合をすべて薬局の担当と決め、設備を発注。看護助手は、併設される老人保健施設で働くため、仕事のあとに三カ月間講習に通い、ヘルパー二級の資格を取得。八万円の費用は自腹で。

 昨年末も深夜まで、新病院でコンピューターをカルテのように扱う「オーダリングシステム」の準備作業をしていました。閉鎖された病室には、備品を詰めた段ボール箱が、新病院に発送するばかりの状態で山積みになっています。

 移転に向け都南病院は業務を徐々に縮小。収益は悪化、職員の一時金はカットされました。職員は減りました。「残った職員は新病院に夢を託してきた。その夢が打ち砕かれた」と、健康保険病院労働組合都南病院支部の広野信一支部長(49)。若い事務職員は、「廃院に向け患者さんを他院に紹介する毎日。まるで自分の墓穴を掘っているようでつらい」。

自公政権が強行

 昨年七月に自公政権が強行した健康保険法改悪に、社会保険病院のあり方を見なおす付則が盛り込まれました。同年九月に公明党の坂口力厚生労働大臣が「二、三割の削減」と明言。職員は不安になりました。不穏な動きがあるたびに「新病院の開設は大丈夫か」と、都南病院は社会保険庁に問いかけました。回答はいつも「粛々と準備しなさい」。

 暮れも押し迫った十二月二十五日。社会保険病院の統廃合方針が示されました。病院運営をまかせてきた全国社会保険協会連合会(全社連)への委託をやめるというもの。「適切な病院については、迅速に対処する」とあり、四月開設が暗礁にのりあげました。

 賀古眞院長(59)は「開院直前になって何が『適切』か」と憤ります。職員にわびる気持ちで髪をばっさり切り、社会保険庁長官に抗議しました。

 賀古院長は新病院立ち上げのため三年前、私立大学医学部の教授から転任。陣頭にたって指揮してきました。「雇用を促進するはずの厚生労働省が、夢をもってがんばってきた百人の職員と採用内定者百二十人を失業させた。税金と保険料のムダ遣いだ。決して泣き寝入りはしない」

 看護師は「お金だけの問題じゃない。国民の医療と雇用を守るはずの国がこんなことしていいのか」と怒り、院長は「なぜこんなことになるのか、政治の矛盾をただせないか」と訴えます。


4月開設求め区議ら要望書

東京・北区 

 東京都北区議会の福田伸樹議長をはじめ超党派の区議らは二十四日、社会保険庁を訪れ、堤修三長官に「東京北社会保険病院を既定方針どおり四月に開設するよう」求め、坂口力厚生労働大臣と同長官あての要望書を手渡しました。

 同長官は「新病院の運営を全国社会保険協会連合会に委託しないという方針変更は、医療制度改革の一環。四月開設は非常に難しいが、早期に新しい委託先を探したい」とのべました。福田議長は重ねて、四月開設の約束を守るよう求めました。


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