2003年1月12日(日)「しんぶん赤旗」
炭焼きや田畑の用水源など暮らしにかかせなかった里山が、生活環境の変化や農業つぶしのなか、相次ぐ開発の波で破壊されてきました。近年、この里山が見直され、残そうという住民の取り組みが各地でおきています。対応する行政の動きも合わせて紹介します。
茨城県土浦市の宍塚(ししづか)大池。約三ヘクタールのため池です。池の周囲には谷津田、雑木林が広がっており、面積は約百ヘクタール(正方形にすると一キロ四方)に及びます。冬の里山は静けさに包まれています。
同市や隣接するつくば市の住民でつくっている「宍塚の自然と歴史の会」の人たちは、ここで自然の保全活動のほかに、地権者の協力も得て谷津田でのコメづくり、菜園、自然観察会など、家族ぐるみで四季折々、多彩で楽しい活動を繰り広げています。
土浦市は業務核都市の指定をにらんで同池周辺地区の開発を計画。一九八六年からこれまでに六・三ヘクタールの土地を虫食い状態で取得してきました。
これにたいして住民らは一九八九年に「宍塚の自然と歴史の会」を結成。池と里山を守る運動に立ち上がりました。会長の及川ひろみさん(59)は「当時、市は開発計画以外に選択肢を示さなかった」と振り返ります。
住民とともに運動にかかわってきた日本共産党の古沢喜幸、久松猛両議員は議会で「開発は自然を破壊し、赤字をつくるだけ。土浦市の宝として残すべきだ」と主張してきました。
昨年度からスタートした同市の第六次総合計画は、同地区について「豊かな自然の保全に留意しながら…魅力ある自然を生かした公園等として整備に努める」としながらも、「教育・文化・業務等を有する地区として整備する」と両論を併記。依然、開発対象地区としています。
住民運動の高まりや経済情勢の変化で、いま開発計画は“凍結”状態。市環境保全課は池のオニバスを守るために、昨年から「自然と歴史の会」に在来種ハスの刈り取りを委託。同課では「貴重な藻を残しながら作業をしてくれて効果があった」と話しています。
同市はさらに、今後、七つある中学校区単位で、一校区三個所ずつ、約二十一個所で、市民の協力を得ながら、里山を含む自然がどの程度残っているのか八月までに調査します。
及川さんは、「宍塚を保全するだけでなく、市が独自に自然環境を調査するのは大賛成。里山には豊かな自然、生物の多様性があり、子どもたちが自然の大切さを学ぶ絶好の場です。時間をかけて公共性、社会性を持ったものにしていきたい」と話しています。 (茨城・栗田定一記者)
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大阪府の北西部に位置する箕面市は、約六割が北摂山系の森林です。中央部は箕面の滝を含む「明治の森箕面国定公園」に指定されています。
バブル期には、箕面のシンボルともいうべき、市街地北部の山麓(ろく)開発の圧力が強まりました。日本共産党議員団は議会で、「山麓保全」を提起しました。ほかの会派や市民も残すべきだと主張しました。その結果、一九九七年四月に条例を制定し、この山麓部に保全緑地と山なみ景観保全地区の指定がされました。
山麓だけでなく、ほかの地域でも、市民と行政による自然環境保全調査活動や下草刈り、間伐、炭焼きなどもおこなっています。市による松尾山の買い取り、箕面東公園の里山公園化、最近では大宮寺跡の市による買い取りなどを、市民とともに運動して実現してきました。
箕面の山々は、元来常緑広葉樹林でしたが、古くから人が手を入れつづけてきた結果、アカマツ、落葉広葉樹とスギ、ヒノキなどに置き換わっています。里山として、農業や薪炭などに利用され、一九六〇年には二百四十トンもの炭が生産されていました。
また、里山特有の植物と生き物をはぐくんできました。箕面は日本三大昆虫の生息地としても有名です。
ところがエネルギー革命以降、デベロッパーに買い取られ、宅地開発がすすめられました。現在すすめられている国の余野川ダム、大阪府の水と緑の健康都市や都市基盤整備公団の国際文化公園都市などの大規模開発は、当時買い取られた里山の開発です。
さらに市街地ではヒメボタルなどがすむ里山の自然と景観をコンパクトに残した地域で、市施行の土地区画整理事業がすすめられています。
これにたいして、「開発を見直せ」「余野川ダムの建設中止」との市民世論と運動も広がっています。九四年に箕面市が実施した市民意識調査では、98%の市民が「緑を守っていくべき」だと答えています。
緑と環境をまもる箕面まちづくりセンターの岳野與一事務局長は「箕面の自然は市民の誇りであり財産です。ここに住みつづけられる街づくりのために、大規模開発を中止し、見直すべきです」と語っています。(神田隆生市議)
これまで「里山」という概念は、奥山に対しての里山といったぐらいの常識の範囲でとらえられていて、正確な概念規定はありませんでした。
しかし、山も森もカネにしか見えない資本の行動が、里山での宅地開発、ゴルフ場や産廃処理場の造成に乗り出してから、がぜん、里山保全の世論が盛り上がり、マスコミにも里山という文字が頻繁に登場するようになります。
環境省や林野庁も里山の存在に注目するようになり、広辞苑も、たしか五版から、初めて里山とは「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」と規定するようになります。この規定は里山の持つ重要な一側面をいい当てています。
それが、エネルギー革命によって薪炭林の存在意義が失われたうえ、外材輸入によって林業さえ成り立たなくなったため、農山村住民の「生活と結びついた」里山の持つ重要な側面が失われてしまったのです。そこに目をつけた資本による二束三文の買いたたき、ブルドーザーと大型重機による里山の乱開発が猛烈に進行した背景があります。
しかし、経済的には「無用の長物」としかとらえられなくなった里山も、一歩その中に入ってみれば、資本の論理でははかり切れない、人間の生存にとって重要な存在価値があることに気がつくはずです。
驚くほど豊かな生態系、水源涵養(かんよう)、ヒートアイランド現象の緩和、自然から切り離された都市住民の身近な憩いの場としての価値などなど。そのうえ、これまでの村人と里山とのかかわりあいの歴史の痕跡が残され文化史的にも貴重な財産であり、私たち日本人の原風景であることにも気がつきます。
「未来につなげよう森と里山」―これが昨年、埼玉で開かれた第15回日本の森と自然を守る全国集会のテーマでした。