日本共産党

2003年1月1日(水)「しんぶん赤旗」

"もう一つの地球"への挑戦

イラク問題 米の暴走に歯止め

広がる"国連中心で"の声
国際政治が動いた


 米国のアフガニスタン戦争に続く対イラク戦争計画の黒い影。昨年、世界は、軍事力で世界を支配しようとする米国の覇権主義に覆われたかに見えました。しかし、その中で、世界の新しい秩序を求める流れが力強く表れてきたのも確かです。米国の対イラク軍事攻撃を阻止し、国連の枠内で問題の平和的解決を求める動きはそれを象徴しています。二十一世紀に入って三年目の今年、その流れをどう大きくしていくかが問われています。


 「二〇〇二年は戦争の年だ」。ブッシュ米大統領がこう述べたのは、一昨年の十二月二十五日。主要通信社のインタビューの中ででした。

 同年末発行の米週刊誌『ニューズウィーク』は、ブッシュ大統領と国家安全保障チームが「イラクのフセイン大統領排除を決定した」とし、「対イラク軍事作戦が米軍内部ですすめられている」と書きました。

 以後ブッシュ政権が追求したのは「二〇〇二年を戦争の年」にすることでした。

 一年後の同誌〇三年新年特集号は、著名な歴史学者ポール・ケネディ氏の論文「超大国に迫る『退場』の日」を大きく掲載。ケネディ氏は「アメリカは国際政治の非難の的だ。国連を無視して先制攻撃を正当化する行為も、アメリカを孤立させる危険をはらんでいる」と書いています。

●覇権と先制

 ブッシュ政権は、国際テロへの報復と称して、新たな覇権主義の道にふみ出しました。それを象徴したのが二〇〇二年年頭の大統領一般教書での「悪の枢軸」論です。イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、米国の意図を貫くためには軍事力の行使もといいだしたのでした。中でも一番の「悪」がイラクです。

 「最善の方法は、敵を先制攻撃することだ」(ラムズフェルド国防長官)「イラクが現実に核兵器を手にするまで先制攻撃すべきでない、というのは誤りだ」(チェイニー副大統領)

 八月末、ラムズフェルド国防長官は、湾岸地域出動準備中の海兵隊員を前にいいました。―米国は孤立しているようにみえるが、イラク攻撃が必要だという米国の判断は正しい。そのうち世界各国も米国の正しさがわかる。かつて、ドイツとたたかう必要をチャーチル英首相が主張したときも最初は同じだった―。

 核兵器の使用も含めた先制攻撃戦略を包括的にまとめ上げたのが、八月に明らかにされた国防報告。そして、九月に公表されホワイトハウスの国家安全保障戦略でした。「脅威となりうる国がアメリカの力を追い越したり、肩を並べたりするのを許さない」

 しかし、その裏で単独でも、国連決議なしでも、イラクに「先制行動」をとることもあるという主張に若干の異論が登場し始めていたのでした。

●秘密の会談

 八月半ばのある日、ブッシュ大統領の父親の元大統領と息子の現大統領が秘密裏に話し合いました。元大統領は、現大統領の露骨な単独行動主義を戒めました。「孤立してはいけない」

 同様の慎重論が浮上しました。ブッシュ元大統領のブレーンを務めたスコウクロフト元大統領補佐官など有力者、そして、パウエル国務長官。

 八月十四日、パウエル長官は、大統領を休暇先のテキサスの別荘に訪れて“説得”したといいます。単独で一方的な戦争を行うのはよくない。「中東地域を大混乱に陥れ、テロとのたたかいもぶち壊しになる」

 さらに、九月七日。英国のブレア首相がキャンプデービッドを訪れ、ブッシュ大統領と会談しました。「あの時がイラク問題の決定的瞬間だった」。英国外務省の高官はこう述懐します。ブレア首相は、イラクにたいする軍事力行使には賛成しつつ、「武力行使の前に国連安保理決議の採択を追求すべきだ」と必死で説得したといいます。

 米英首脳会談の五日後の国連総会。一般討論に立ったブッシュ大統領は、イラクのフセイン政権を非難しつつも、国連との協調を主張し、新たな国連安保理決議を採択するよう求めました。イラクを攻撃するのに、新たな国連決議など不要としてきた従来の立場からの転換でした。

●国民と外交

 パウエル国務長官やブレア英首相の「説得」は、軍事攻撃をするためにも、国連の名のもとでやった方がいい、という立場からのものでした。とはいえ、彼らにそういわせた力は、世界中で盛り上がった戦争批判、一国主義批判の声でした。

 〇二年三月のアラブ首脳会議で出された「イラク攻撃拒否」の声は夏にかけて世界に広がりました。西欧諸国では数十万単位のデモが相次ぎ、ワシントンでも「戦争ノー」の声が響きました。

 「ブレアは当時、相当追いつめられていた」。ある英人記者は、当時ブレア政権は危機的状態にあったといいます。ブレア首相は、国内で戦争反対の世論にさらされ、欧州諸国の間でも「米国のプードル(忠犬)」とたたかれていました。「ブレア首相を動かしたのは毎週のデモや議員の圧力」(英核軍縮運動=CND=のマーチン広報部長)です。

 米英首脳会談と同じ九月七日ベルリンでは、安保理常任理事国のフランスのシラク大統領とドイツのシュレーダー首相が会談し、米国による単独で一方的な軍事攻撃反対を表明していました。

 八月二十八日には、中国共産党の江沢民総書記(国家主席)が日本共産党の不破議長と会談。初めて公式にイラクへの軍事攻撃反対を表明したのでした。

 安保理で米国は軍事力行使に都合のよい決議の採択を狙いました。しかし、非同盟諸国会議が呼びかけた安保理緊急公開討議では世界の圧倒的な国と国際組織から武力行使批判と平和解決を求める声が上がりました。日本共産党の代表が訪問した中東・湾岸諸国や南アジア諸国の政府も、同代表との会談で米国の一方的軍事行使反対で一致しました。

 約一カ月にわたる激論を経て採択された安保理決議一四四一は、イラクに誠実な査察受け入れを求める一方で、米国の自動的な武力行使を退け、米国の思惑を封じ込める決議となりました。

●国連の原則

 米国は、安保理としてイラクが決議に違反と判断した場合、米国などが自由に軍事行動できるとする解釈を主張します。しかし、常任理事国の仏中ロ三国は共同声明で、対応を決めるのは安保理だとクギをさしました。

 ロシアのラブロフ国連常駐代表は、安保理で「アラブ諸国を代表するシリアを含む全理事国が容認できる」決議にするために激論を重ねたといいます。決議採択直後、ドビルパン仏外相は「国際法の尊重と国際的道義と正義の尊重」の二つの原則が「全面的に盛り込まれた」と強調しました。

 安保理で議長国を務めた中国の唐家〓外相は「国連の枠組みの中で、政治的に解決するよう追求してきた。安保理は全会一致で決議を採択し、国連の権威を守った」(人民日報十二月十六日)と振り返ります。

 在京のある中東外交幹部はこう指摘します。「安保理決議一四四一は、国際社会の努力の結果だ。米国の勝手を許さなかった。だから、イラクがこれを受け入れたのも重要な意味を持つ」

 その後、中国とロシアの首脳は、イラク問題の解決は「政治的努力でのみ解決される」とまで言明しました。

 米国は、軍事力行使も含む対イラクの画策をまったくすてていません。

 しかし、この一年間、国際政治は画期的な動きをみせました。その中で浮き彫りになってきたのは、覇権主義への警戒と国連重視を基礎にした紛争の平和的解決という原則の復権です。九九年のNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビア空爆が国連抜きで開始されるなどしたのと比べても、重要な変化といえるでしょう。

 イラクへの軍事攻撃に反対し、国連中心の平和的解決を求める国際的共同の広がりは国際政治を動かし始めています。


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