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2020年1月6日(月)

シリーズ安保改定60年

在沖海兵隊 「日本防衛」から除外

日米作戦計画で80年決定

「抑止力」根拠なし

 1978年、初めて策定された日米軍事協力の指針(ガイドライン)を契機とした日米共同作戦計画をめぐり、当時のカーター米政権は自衛隊の軍事分担を大幅に拡大し、在沖縄海兵隊を「日本防衛」から除外する方針を決定していたことが分かりました。米国防総省が2017年に公表した歴史書(1977~81年版)などに経緯が記されています。

米国防総省文書に明記

 政府は、沖縄県での海兵隊駐留は「日米同盟の実効性を確実にし、抑止力を高める」と説明し、同県名護市辺野古の新基地建設を強行していますが、もともと沖縄の海兵隊は地球規模の“殴りこみ”部隊であり、日本の平和や安定とは無関係です。海兵隊の「日本防衛」からの除外方針の決定は、その裏付けとなる重要な事実であり、辺野古新基地建設に何の大義もないことが浮き彫りになりました。

 歴史書によれば、日米両政府は「日本有事」と朝鮮有事での対応に関する「緊急事態対処計画5098」の作成に着手。米軍の最高機関である統合参謀本部は在沖縄海兵隊を「日本防衛」に割り当てるよう要求しました。

 これに対してブラウン国防長官は80年5月、「大統領が承認するとは思えない」と強調。「日本に自国防衛での支配的な役割を果たさせる」ために、「(米本土から)陸軍2個師団を日本防衛に割り当てるが、海兵隊は韓国への増強のために(日本防衛には)使わないでおく」との考えを示し、統合参謀本部も同意しました。米太平洋軍コマンド・ヒストリー80年版によれば、計画は81年2月に承認され、「防衛計画5098」となりました。

 また、ブラウン長官は「自衛隊の役割を拡大することで、以前は日本防衛に専念していた米軍をどこにでも、とりわけインド洋やペルシャ湾への展開のために自由に使える」と主張。カーター政権は79年のイラン革命など中東情勢に対処するため、米軍の即応展開能力の強化を掲げ、海兵隊はその重要な柱とされていました。

 ワインバーガー国防長官は82年4月、米上院歳出委員会に提出した書面で、「沖縄の海兵隊は、日本の防衛には充てられていない。それは米第7艦隊の即応海兵隊であり、同艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のどの場所にも配備される」と証言。在沖縄海兵隊は88年、現在の「第3海兵遠征軍」に改組し、海外への侵攻能力を飛躍的に強化しました。90~91年の湾岸危機・湾岸戦争では8000人が中東に投入され、2004年にはイラク・ファルージャの最前線で2度にわたり凄惨(せいさん)な「対テロ」戦争を繰り広げ、6000人とも言われる住民虐殺に加担しました。

在日米軍は日本を守るか

 「対米従属国家・日本」の根幹にある日米安保条約は19日、改定から60年を迎えます。戦後75年たった今なお、日本には78もの米軍専用基地がおかれ、その面積の7割が集中する沖縄県では、世界でも類のない過剰な基地負担を強いられています。

 基地内は治外法権で、米軍機が昼夜関係なく爆音とともに自由勝手に飛び回り、国民生活は後回しで莫大(ばくだい)な「思いやり予算」を負担させられる…。そうした植民地的な状態を正当化する最大の口実は、「米軍は日本を守るための抑止力だ」―“だから我慢しろ”というものです。

 しかし、本当にそうなのか。そもそも、1951年9月に最初の安保条約が結ばれたのは、(1)ソ連や中国を念頭に、日本全土を米本土の「防衛ライン」とするため(2)50年6月に開戦した朝鮮戦争への出撃拠点として、日本全土を基地にするため―であることが、米側の解禁文書に繰り返し明記されています。

 実際、旧安保条約では「日本国内及びその附近に(米軍を)配備する権利を、日本国は、許与」(第1条)するとあるだけで、米国の「日本防衛」義務は明確に除外されています。

ベトナム侵略の拠点

 これに対して、60年の安保改定では(1)「日本や極東」の平和と安定のため、第6条に基づいて日本は米軍に基地を提供する(2)米軍は第5条に基づき、日本に対する武力攻撃で共同対処することで「対日防衛義務」を負うようになった―と、日本政府は説明します。しかし、米側の見解は全く異なります。

 「日本防衛の第一義的な責任は完全に日本側にある。われわれは地上にも空にも、日本の直接的な非核防衛に関する部隊は持っていない。今やそれは、完全に日本の責任である」

 70年1月26日、米上院外交委員会の秘密会(サイミントン委員会)で、ジョンソン国務次官はこう断言しました。さらに、日本の基地は「韓国、台湾への関与、東南アジアへの後方支援のためである」と述べています。

 ここで言う「東南アジア」が、50年代以降のベトナム侵略戦争を指すことは明らかです。国際問題研究者の新原昭治氏は「フランスがディエンビエンフーでベトミン(ベトナム独立同盟)に敗れ、米国が前面に出始めた54年を前後して、日本や沖縄がベトナムへの攻撃拠点になっていった」と指摘。具体例として、(1)54年から沖縄への核配備が始まり、ベトナムへの核攻撃準備が行われてきた(2)ベトナム作戦のための軍事空輸を中心任務として、50年代半ばから立川基地(東京都)の滑走路拡張が始まった―などをあげます。

 60年代半ばから、米軍は日本や沖縄を経由して出撃を繰り返します。在日米軍基地なしに、米軍はベトナム戦争を遂行できなかったのが実態です。

中東への出撃にも

 75年のベトナム戦争終結後、在日米軍は太平洋から中東までを視野に入れた侵略能力の強化に突き進み、「日本防衛」とはますます無縁になっています。

 在日米軍の兵力は5万5254人(2019年9月現在、米国防総省の統計)。このうち、最大勢力が海軍の2万392人で、次いで海兵隊が1万9607人。いずれも主力部隊(空母打撃群、第31海兵遠征隊など)は1年の半分をインド太平洋地域への定期遠征にあてており、残る半年は整備・休養や次の遠征に向けた訓練に費やしています。

 一方、日本への武力攻撃で「防衛」の要となる陸軍はわずか2626人で、戦闘部隊は一兵も存在しません。

 空軍は1万2602人いますが、1959年9月の「松前・バーンズ協定」でレーダーサイトや防空指揮所を日本に移管。米軍ではなく自衛隊が「防空」を担うことが公式に確認されています。

 91年の湾岸戦争や2000年代のイラク・アフガニスタンへの先制攻撃戦争では、在日米軍の多くが動員されています。イラク戦争開戦の一撃を放ったのは、横須賀基地のイージス艦でした。在日米軍基地は文字通り、地球規模の出撃拠点として機能しています。さらに、現在は米国の対中戦略の足場にもなっています。

 わけても、「海兵隊=抑止力」論への疑問は絶えません。95年に沖縄のキャンプ瑞慶覧に駐在していた元米海兵隊員のマイケル・ヘインズさん(VFP=退役軍人平和会メンバー)は、こう証言します。「『日本を守る』ことが、われわれが沖縄にいる正当性だと教えられました。しかし、実際は日本防衛の訓練をしたことはなく、遠征部隊としての強襲上陸・攻撃任務に特化したものでした」

 2003年、イラク戦争に従事し、「テロ掃討」と称して毎日、民家を襲撃したといいます。「今も泣き叫ぶ女の子の声が耳を離れない。自分こそがテロリストでした」

 ヘインズさんは断言します。「もし日本への攻撃が起こるとすれば、それは米軍がいるからです。膨大な基地は沖縄を安全にするのではなく、標的にします。海兵隊は米国の利益のために存在しており、日本や沖縄の防衛に不必要です」

新しい「国のかたち」を

 米国は本当に日本を「守る」のか―。

 「『条約などに書かれた約束というのは、実際の状況に適用される場合にはいくらでも解釈の仕方を変えることが可能だ』―1940年代の地政学者ニコラス・スパイクマンの言葉が、その答えです」。NPО法人・国際地政学研究所の林吉永事務局長(元航空自衛官・空将補)はこう指摘します。

 「安保条約5条の解釈は、日米それぞれの都合のいいように解釈できる。少なくとも、人のいない尖閣問題で犠牲を払ってまで米軍が動くはずはない」

 林氏は、米軍と自衛隊との「データリンク」(連接)が、「1980年代、憲法違反の集団的自衛権の行使につながる」と批判されていたものの、国会での俎上(そじょう)に載らず、なし崩し的に進められてきた政策経緯や、制服レベルでいったん国産化が決定した次期支援戦闘機F2が米国の要求に沿って日米共同開発となった政策に「日本の防衛・安全保障政策の変革」を見てきました。「米国にとって、日本は要求したことをすべてのんでくれる国。日米安保は米国にとってきわめて都合のいい条約になった」と実感しています。

 「自分の国は自分で守るのは当然。しかし、軍事大国化が日本の歩むべき道なのか」。林氏は欧州の中立国家、わけても国民ぐるみで専守防衛を貫徹したオーストリアをモデルに、米ロや米中の間を取り持つような政治力・外交力を持った「ミドル・パワー」になることが、これからの日本の「国のかたち」だと訴えます。

 安倍政権の下で進行する、異常な「アメリカ言いなり」政治。その根源にある日米安保条約とは何なのか。シリーズで検証します。

図

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