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2019年11月9日(土)

きょうの潮流

 壁の向こう側でレストランを開きたい。それが夢だったといいます。1989年の2月5日夜。友人と東西の境界を越えようとした20歳の青年は警備兵の銃弾に倒れました▼クリス・ギュフロイ。その名はベルリンの壁“最後の犠牲者”として刻まれています。自由と豊かさを求める人びとによって、その壁が崩される9カ月前のことでした▼目を疑うような光景が突然現れたのは61年8月。東西ベルリンの間に有刺鉄線が張り巡らされ、鉄道や電話線も断ち切られる。通っていた大学や職場にも、愛する人にも会いに行けない現実に市民は衝撃を受けました▼戦後、ソ連に従属する一党独裁政権の下で270万もの国民が逃亡したといわれる東ドイツ。脱出を防ぐため壁は高く、強化されていきます。恐怖と不安によって国民を支配する政治体制の強まりとともに。しかしそれは、自由への欲求と民主化を求める思いをひろげていきました▼少なくとも140人が命を落とした壁の崩壊から、きょうで30年。熱狂とともにハンマーをもった市民が次つぎと壁を壊すシーンは、歴史を変えた20世紀を象徴する出来事として伝えられています。しかし統一後の道のりは平坦(へいたん)ではなく、東西の格差は現在もドイツの課題になっています▼いまベルリンの大通りには、この30年の思いが記された色とりどりの短冊の巨大な波が揺れています。国家によって築かれた支配と抑圧の壁。どんなものであれ、それは市民の手によって打ち砕かれることを示しながら。


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