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2019年1月17日(木)

鼓動

稀勢の里の引退 弱点克服に努めた17年

 ついにこの日が来たか。横綱稀勢の里の引退表明をこう受け止めた人も多かったのではないでしょうか。昨年九州場所後、成績不振で横綱審議委員会から異例の「激励」決議を受け、今場所は進退をかけて臨んでいました。

 相撲界に“白鵬・稀勢の里時代”といえるような一時代を築いてきただけに「もう少し頑張れなかったか」という気持ちはぬぐえません。

 新横綱として臨んだ一昨年春場所13日目に左上腕、左胸部を痛めました。左腕が全く動かせない深刻な大けがにもかかわらず、千秋楽の優勝決定戦に強行出場。文字通り死力を尽くして2度目の優勝を飾ったものの、けがは回復せず、結局今回の引退につながる原因となりました。

 元横綱貴乃花が2001年夏場所で、歩くのも困難なような大けがを膝に負いながら優勝決定戦に出場。優勝を遂げたものの、このけがが原因で7場所連続休場し、引退に追い込まれています。

 大けがを負った力士が、たとえ出場すると主張しても、部屋の師匠や相撲協会が力士生命を守る医学的立場から防波堤となって対処していれば、貴乃花にしても稀勢の里にしても事態は全く違っていたのではないか。

 深刻なけがを負いながらの強行出場や勝利を美化する風潮も根強い中で、今後ぜひ検討していくべき重要な課題です。

 入門時から「末は大関、横綱になる逸材」と大きな期待を集め、新入幕、三賞受賞も歴代記録に迫るスピードで駆け上がりました。しかしその後は、小結在位が史上最多の12場所という不名誉な記録をつくり、大関昇進には入幕から42場所もかかりました。期待された横綱昇進は何度も跳ね返されました。

 本人も「器用じゃないんですよ」「大関になるのに7年もかかったのは、どこか慢心した部分があったのかもしれません」と、本紙で作曲家の池辺晋一郎さんと対談した時に語っています。

 気持ちも繊細な力士でした。

 稀勢の里は大一番を前にすると、土俵下や仕切りでまばたきが激しくなったり落ち着きをなくすことがありました。

 しかしその弱点にも正面から向き合い、不器用さ、指摘された諸課題に真剣に立ち向かい、克服に努めてきました。それが、白鵬の連勝記録を63で止め(2010年九州場所)、7度目の挑戦での横綱昇進につながっていきました。

 弱さを抱え、他人から“もう駄目ではないか”と言われても、気持ちさえ折れなければまた立ちあがれることを示した力士でした。

 中学を卒業するときの文章で「努力で天才に勝ちます」と書きました。この決意を胸に、コツコツと努力してきた17年の土俵人生でした。

 稀勢の里は今後、後輩の指導や、行く末は相撲界の中心になって活動していく可能性もあります。大相撲界に根強く残る暴力的体質の改善はじめ課題は山積みです。横綱まで上り詰めた貴重な努力、経験を土台に、指導者としての道を広く深く学び、大相撲界が大きな信頼を得て発展していくよう務めてほしいと思います。(金子義夫)


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