しんぶん赤旗

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日本共産党

2018年3月10日(土)

きょうの潮流

 警戒警報のサイレンがうなるなか、陣痛がはじまりました。敵機が先か、お産が先か、息詰まるとき。やがて大きな産声とともに、元気な赤ちゃんがこの世に誕生しました▼1945年3月9日夜から10日未明のこと。当時の本所区(現墨田区)堅川に住んでいた武者みよさんは病院で女児を出産。安心もつかの間、強風にあおられた無数の火柱が渦を巻きながら押し寄せてきます▼赤く染まった夜空には米爆撃機B29の群れ。生まれたばかりの赤ちゃんをかかえた武者さんは、担架に乗せられて火の海のなかに。避難先を探し回った病院職員の尽力で2人は生きのびましたが、自宅にいた両親と夫、そして12人の子ども全員を亡くしました▼「子どもたちの名前を一人ずつ呼びながら、どんなに泣いたかわかりません。もう涙は出尽くしてしまいました」。みよさんから体験を聞いた作家の早乙女勝元さんは最近、『赤ちゃんと母(ママ)の火の夜』と題する児童書にその話をまとめました▼一夜にして10万人もの命を奪った東京大空襲。山のような黒焦げの死体は戦争にひた走った軍国主義の犠牲になった庶民の痛ましい姿でした。生き残った体験者はあの悲惨をくり返すまいと、今も高齢をおして語り続けています▼活動の拠点となってきた戦災資料センターも今秋に展示を新装。次の世代への継承に努めています。「子ども向けの本もその一助にと。バトンを渡し、なんとしても平和を守り抜かなければ」。体験者でもある早乙女館長の強い思いです。


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