2017年9月24日(日)
横浜・米軍機墜落から40年
悲劇二度と 市民集う
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横浜市の住宅街に米軍機が墜落し母子3人が犠牲になった事件からことしで40年。悲劇を繰り返さないために事件を語り継ごうと23日、「渡そうバトン ―米軍ジェット機墜落40年」が同市内で開かれ、約500人が参加しました。主催は、市民らでつくる「米軍ジェット機墜落40年事業実行委員会」。
1977年9月27日、同市緑区(現青葉区)に米軍ジェット機ファントムが墜落し炎上。家屋2棟が全焼、3棟が半壊するなどしました。重いやけどを負った幼い兄弟と母親の林(土志田)和枝さんが亡くなりました。
吉池俊子実行委員長は、いまだ基地の危険性は変わっていないと指摘し、「学び、忘れず、受け継いでいきたい」とあいさつ。当時を知る市民や、「バトンを受け取った」若い世代がリレートークしました。
第5次厚木爆音訴訟弁護団の関守麻紀子弁護士は、「米軍優先の理不尽な現状から目をそらさず、事件を自分のこととして考えたい。爆音訴訟で米軍機の飛行差し止めを勝ち取りたい」と決意を述べました。
同区在住の母子が、日本国憲法9条を読み上げ、「事件を風化させず、憲法を守り平和を守ることが私たちの使命ではないでしょうか」と語りかけました。
講談師の神田香織さんは同事件を題材にした「哀(かな)しみの母子像」を披露しました。
同市の76歳の女性は、「墜落当時、自宅近辺ではサイレンが鳴り響いていました。墜落事件は、人ごとではなく、いつでも自分の身に起きることだと、痛切に思います」と話しました。
日本共産党から畑野君枝衆院議員、党県議、党市議らが参加しました。