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2016年12月26日(月)

きょうの潮流

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 「わたしの背中の、水俣病の判ば剥いで下さいまっせ。わたしゃ、この年まで、愛も、恋も、知らずに来ました。人間な、なんのために、生まれてくるか、なんのために生まれてきたか」▼公害の原点といわれる水俣病の姿を広く知らせた石牟礼道子さんの『苦海浄土』。そこに記した女性患者の声です。親の命を返せ、子どもの命を返せ、体を返せ―。公式確認から60年たった今も▼「原因不明の小児奇病が発生」。1956年、熊本・水俣市の保健所に医師から報告がありました。患者は田中静子5歳、実子(じつこ)2歳の姉妹。静子さんは2年後に亡くなりましたが、実子さんは現在も故郷で命を刻んでいます▼言葉にならない声を発し、膝立ちで回り続ける。介護する姉は「実子にとってこの部屋の中だけが人生のすべて」。当初は移り病と恐れられ、村八分に。患者や家族は病の重さとともに差別にも苦しみました▼今月1日、全被害者の救済を求めた集会が国会で開かれました。今も多くが患者認定を待ち、訴訟も続いていると。10日には日本共産党の国会議員が天草地域の被害調査に。「海はつながっているのに、なぜ対象地域に指定されないのか」と患者らの訴えは切実です▼猛毒のメチル水銀を海に垂れ流し続けたチッソは社名を変えて今も操業しています。責任を棚上げし、加害企業を助けるため被害者に追い打ちをかける国。逆立ちした姿勢は東電の原発事故にも。水俣病の心の叫びを抱きながら、不知火(しらぬい)の海は今年も暮れていきます。


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