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2016年9月18日(日)

きょうの潮流

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 きょうで満州事変から85年。鉄道爆破という卑劣な謀略で始まった戦争です。中国東北部で戦闘に入った日本人兵士にも犠牲者が生まれました▼21歳で亡くなった佐藤隼太(はやた)2等兵もその一人です。仙台市の市電電気部で働いていましたが、歩兵第4連隊に入隊、1931年9月18日の戦争勃発とともに出動しました。19日朝、手帳に「遂(つい)ニ戦死セリ」と同僚の死を記したのが最後となりました▼第2師団は、「満州」の主要都市を次つぎ制圧しました。師団長の中将は33年1月に凱旋(がいせん)帰国したとき、声明を全国放送しました。「勇士は何(いず)れも壮烈なる奮闘の後、笑って国難に殉じた」と▼同師団の地元仙台では、土井晩翠(ばんすい)作の「凱旋歌」が歌われました。「凱旋、凱旋、誉れの凱旋」「万歳、万歳あゝわが勇士」の文句を勇ましく繰り返して。以前仙台で出会ったお年寄りは、この歌をよく覚えていました▼一方、侵略を受けた中国では、「松花江(しょうかこう)のほとり」という悲憤の歌が広がりました。「九・一八、九・一八、その悲惨な時から/わが故郷を離れ、あの無尽の宝を捨て、流浪、流浪…いつになったら一家団欒(だんらん)を楽しめるだろうか」▼満州事変の発端となった柳条湖事件を18日夜に起こし、19日の未明に攻撃命令が出されました。くしくも、昨年戦争法が国会で強行成立させられた月日と重なります。アジア・太平洋戦争が終わるまで15年にわたる侵略戦争のきっかけとなったこの日に、殺し・殺される戦争法を廃止に追い込む決意を新たにしたい。


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