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2016年6月23日(木)

きょうの潮流

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 住民を巻き込んだ戦闘で県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦。沖縄「慰霊の日」である6月23日は、東京都小金井市に住む伊藤隆さん(79)にとっても特別な日です▼江戸時代から続く医者の家に生まれた父は、愛知県名古屋市で産婦人科を開業していました。日中戦争に駆り出され、再び召集されたのは、1944年12月。行き先は沖縄でした▼翌年7月。岐阜の祖父の家に疎開していた伊藤さん母子のもとに戦死公報が届きます。残されたのは、30代半ばの母と6人の子どもたち。大黒柱を失った一家は、親類の援助と家族総出で田畑を耕すことで何とか食いつなぎます▼沖縄での父の足取りを突き止めたのは、医者になっていた姉でした。沖縄が米軍占領下だった68年3月のこと。姉は沖縄に赴任し、勤め先である琉球電信電話公社の全面協力で、父と同じ壕(ごう)にいた看護師を探しあてます。壕の入り口にいた父は、6月23日に亡くなっていました。壕には父が使っていた聴診器が遺骨と共にありました▼やはり開業医だった叔父も広島の原爆で亡くなりました。終戦当時、小学2年生だった伊藤さん。2人の息子を戦争で失った祖父が天を仰ぎ、「ばかやろう」とつぶやいたことを今も忘れられません▼戦争で亡くなった人の数だけ遺族の癒やしきれない思いがある。戦後70年が過ぎても終わらない遺骨収集。なのに再び戦争ができる国にしようとする安倍政権。「戦争だけはやってはいけない」。参院選で共産党の躍進を願う伊藤さんの原点です。


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