2015年8月15日(土)
きょうの潮流
正午の時報とともに「玉音放送」は和田信賢アナウンサーの一声から始まりました。「ただいまより重大なる放送があります」。「君が代」につづき、「終戦の詔書」を読み上げる昭和天皇の声がラジオから流れました▼「朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し…」。1945年8月15日。現人神(あらひとがみ)とされ、国民から隔離されてきた天皇の声を日本人が初めて耳にした日。それは、長きにわたった戦争の終わりを告げる“降伏宣言”でした▼「熱涙垂れて止まず。この滂沱(ぼうだ)の涙はどう云う涙かと云ふ事を、自分で考へる事が出来なかった」。上着を羽織って母屋で聴いていた作家の内田百閨iひゃっけん)は当時の心境を日記にそうつづりました▼たたき込まれた「神国日本」の敗戦を受け入れるまでの心の葛藤。しかし多くの国民が疲弊の中で聴いた「玉音」の決断は、日本を破滅へと導いてきたその国体の護持が目的でした▼東京大空襲、沖縄の地上戦、広島・長崎の原爆―。もっと早く戦争を終わらせていれば、ポツダム宣言を受諾していれば、救えたはずのたくさんの命。最高責任者の天皇をふくめた戦争指導部は国民を犠牲にしながら、泥沼の戦争をつづけたのです▼70年前のあの日。疎開していた子どもは「家に帰れる、終わったのだと思って心からにっこりした」と。そこから踏み出した戦後は、戦争の惨禍、半世紀に及んだ侵略と植民地支配の反省から生まれた、憲法9条と国民の揺るぎない平和の歩みです。