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2015年8月6日(木)

きょうの潮流

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 ねんねんころりよ、おころりよ―。包帯のすき間から聞こえてきた母の子守唄。広島で被爆し、生死の境をさまよった鳥越不二夫さんは、84歳になった今もその唄に包まれています▼朝から晴れ渡ったあの日。爆心地から2キロの山裾にある自宅前の畑で、14歳の鳥越さんは空から落ちてくる黒い物体を見ました。瞬間、ものすごい閃光(せんこう)が目を刺し、周りはオレンジ色に。煮え湯をかけられたような熱風に襲われ、地響きとともに吹き飛ばされました▼真っ赤に焼けただれた顔と両腕。包帯でぐるぐる巻きにされ、高熱と出血が続き、寝たきりで意識を失っていたその時。瀕死(ひんし)のわが子を抱きよせて歌っていた母の子守唄で生き返りました▼被爆した時、半袖シャツを着ていた鳥越さんの首元にはV字の痕がくっきりと残っています。あの日に連れ戻す傷痕。以前は隠していましたが、子どもたちに被爆体験を語るうちに恐ろしさの証しとして見せるように▼原爆資料館が毎年開催している誰でも自由に聴ける被爆体験講話。そこで鳥越さんの話を聞いた若者は、手を握りながら「つらい体験を話し続けてきた勇気を、ぼくたちが少しでも受け継ぎたい」と決意をこめていました▼核兵器をなくしたい、二度と戦争をくり返すな。被爆者の平均年齢が80歳をこえた今、命尽きるまで訴えてきた平和への願いは次の世代に託されています。「呼吸できることの幸せ、生きている喜びを感じてほしい」。あれから70年を迎えた、鳥越さんの変わらない思いです。


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