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2015年7月23日(木)

きょうの潮流

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 戦争法案の議論で「後方支援」という造語を忘れ、安倍首相も使うようになった「兵站(へいたん)」という任務。戦前の日本軍では、武器・弾薬、食料の輸送を輜重(しちょう)兵が担いました▼軍隊の中で差別、蔑視され、昼夜・天候の区別なく1日に何十キロと行軍する、つらい体験を語る人は少ない。その中で『日中戦争従軍日記―一輜重兵の戦場体験』は、2年間の実態を克明に伝え、貴重です。筆者は、27歳で出征した小学校教員、小原孝太郎氏(1980年没)。妻と生まれたばかりの子がいました▼輜重兵は、食料や馬のえさの徴発(ちょうはつ)に出かけ、手榴弾(しゅりゅうだん)で反撃を受けるケースも多かったようです。いつのまにか200メートル先に敵の正規軍が迫り、「いよいよ最後か」と覚悟したこともありました▼南京近くでは別の輜重隊が、中国兵千人に遭遇し兵糧(ひょうろう)、弾薬を狙われました。「銃はないので、牛蒡(ごぼう)剣で中隊全員五〇〇名が突貫し」、「死傷者が七、八十名出た」(37年12月)と記しています▼弾薬交付隊が帰途に就こうとした時のこと。中国兵が日本軍の側面に回りこみ、通過中の輜重兵に一斉射撃を加えました。小隊長が倒れ、輜重特務兵が「相当やられた」。兵站活動中、戦闘に巻き込まれたのです▼著者は戦後、日記を14年近くかけて清書した際、一文を書き添えました。「戦争とは如何(いか)なるものか…戦地へ息子を送るということ、夫を戦地へ送るということが如何なることであるかも、分ってもらえると思ふ。戦争は二度とあってはならないと思ふ。二度と」


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