2012年1月27日(金)
きょうの潮流
「一月二十七日。朝が来た。床にはやせこけた四肢が…」。イタリアの作家プリーモ・レーヴィは、1945年1月27日のできごとを淡々と記しています▼アウシュビッツ強制収容所にとらわれていた彼は、病気にかかり「伝染病室」にいました。ドイツ軍はすでに逃げ、いません。床のやせこけた人は、亡くなったばかりの「病室」の仲間でした▼レーヴィたちが、すっかり軽くなってしまった彼の遺体を離れた場所に運んでいるときです。ソ連軍がやってきたのは。「私たちは灰色の雪の上にたんかをひっくり返した」。この瞬間、アウシュビッツ収容所は解放されました▼しかし、衰弱していた「病室」の仲間は、ソ連軍の臨時病棟で相次いで死んでゆきます。レーヴィが戦後に著した『アウシュヴィッツは終わらない』は、世界中で読まれてきました。彼自身、若者に、強制収容所の記憶を語り継いでほしいと願ったのです▼国連は2005年、アウシュビッツの解放日を「国際ホロコースト記念日」と定めました。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺をさす「ホロコースト」。もともとは、「焼かれたいけにえ」を意味する言葉といいます。国連は加盟国に対し、犠牲者を悼み、ホロコーストについての教育を発展させるよう求めています▼最近、ドイツの世論調査が伝えられました。ドイツの若者の2割は、アウシュビッツがナチスの「死のキャンプ」だと知らない、と。歴史から学ぶ“授業”に休みがあってはならない、と教えます。