2011年10月15日(土)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
『巌窟(がんくつ)王』に『ああ(噫)無情』…。子どものころ読みふけった物語の原作は、外国の小説でした▼19世紀終わりから20世紀初め、日本で最初に活字になっています。ちなみに、『巌窟王』はアレクサンドル・デュマ作の『モンテ・クリスト伯』、『ああ無情』はユーゴーの『レ・ミゼラブル』です▼大筋を変えずに書きなおして日本に紹介した人が、黒岩涙香(るいこう)でした。明治の時代に活躍した作家、記者です。1892年、彼は興味深い文を発表しています。「この頃の新聞紙は……間夫(まぶ)を有し、その機関となれり」▼涙香が東京で出した新聞、「万朝報(よろずちょうほう)」の発刊のことばです。なにせ、120年近く前の話です。ここで「間夫」とは、遊女の愛人をさします。涙香は、政府、政党、野心ある政治家、金力ある財界の大物、みんな新聞の間夫だといいます。新聞を、間夫なしにはやってゆけないようだ、と皮肉りました▼さらに、遠慮しません。こんな新聞では、民が真実や事実を知り、公平に議論することもおぼつかない、と。もっとも、独立・正直・道理をうたう「万朝報」も、初心をつらぬいたとはいえないようです▼日露戦争が始まる折、幸徳秋水、堺利彦や内村鑑三らをむかえて非戦をとなえた「万朝報」。しかし、やがて涙香自身が時流にのまれて戦争を支持し、幸徳秋水たちは社を去りました。読者も減ってゆきました。しかし、発刊のことばはいまにあてはまるところが多く、色あせていません。ことしも、きょうから新聞週間です。