2011年9月25日(日)「しんぶん赤旗」
原発作業員、内部被ばく
事故後“第1”に入ってない
「街なかの住民 同じでは」
福島
東京電力福島第1原子力発電所事故は、半年がたったいまも収束の見通しはついていません。周辺環境への深刻な影響を与えつづけている放射能。しかし県民の被ばくを示すデータは福島県浪江町などの一部にすぎません。事故後、原発には足を踏み入れていない原発作業員の“証言”から見えてくるのは住民被ばくの不安です。 (山本眞直)
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“目安”の7倍
福島第1原発事故後、東電は順次、第1、第2原発で作業についた作業員の内部被ばくを確定する検査(ホールボディーカウンター)を実施しています。
同検査を受けた作業員からある共通した結果が話題になっています。
「俺は、事故がおきてから一度も第1原発には入ってはいないのに、内部被ばくの値が出ている」
子どもが心配
関係者の証言によると―。Aさん(20代)は、事故前まで第2原発で作業についていました。津波で自宅が壊され、いわき市北部の県立四倉高校に避難していました。しかし4月に受けた内部被ばく検査の結果は1万800CPMでした。
CPMは1分あたりに検出される放射線量を表す単位。東電は、1500CPMを「内部被ばくの恐れがあるとの目安」(同広報部)にしています。7倍強の内部被ばくです。
高校のある四倉はいわき市内でも第1原発から20キロ圏に近い地域です。Aさんは同校の避難所に4月中旬まで暮らしていました。その間、原発には入っていません。
第1原発から50キロ圏内のいわき市南部に住む50代のBさんも事故後は原発作業をしていません。しかし内部被ばく検査では5000CPMでした。Bさんは津波で妻が行方不明になりました。知人の作業員にこう訴えました。
「妻を捜して1週間、海辺を歩き回った。そのときに第1原発の3号機が水素爆発を起こしている。その放射能を浴びた可能性がある」
茨城県境に近い勿来(なこそ)に住む30代の原発作業員のCさんは、事故から3カ月すぎた6月、東電柏崎刈羽原発(新潟県)で内部被ばく検査を受け、2500CPMを検出しました。
事故当時は第1原発で足場作業についていました。事故後はいわき市内で民間企業の工場補修などや20キロ圏外の広野火力発電所で作業につきました。放射線管理区域では作業をしていません。
Cさんが言葉を選ぶように言いました。「自分らは震災後は街なかでくらしてきた。それで内部被ばくしたなら、住民も同じことではないか。子どもたちが心配だ」
記録の公開を
「原発作業員の指摘はその通りです。住民の内部被ばくは争う余地はない」。こう受け止めるのは医療生協わたり病院(福島市)の斎藤紀(おさむ)医師。広島大学原爆放射能医学研究所をへて、広島市の総合病院福島生協病院院長などを歴任、被ばく医療に取り組んできた経験をもとにこう指摘します。
「原発作業員の方たちも避難所や市内でのくらしの中で、呼吸により大気中の放射性物質を体内に取り込んだり、放射性物質が含まれる水や食物を摂取することで内部被ばくします。住民もまったく同じことです」
斎藤医師はそのうえで力説します。「作業員の方たちの4月前後の時期の内部被ばくの記録は貴重です。福島県はようやく県民の内部被ばくなどの『健康管理調査』に着手しましたが、こうした検査は早いほどよいからです。その意味で原発作業員の被ばくは住民への放射能被害のバロメーターであり、彼らの正確な労働実態と被ばく記録は東電と国が責任を持って把握し、公開すべきです」