2011年9月24日(土)「しんぶん赤旗」

きょうの潮流


 わが国で暦がすでに使われていたと分かる、最も古い証拠がみつかりました。福岡市の元岡古墳群から出てきた大刀(たち)です▼大刀に刻まれる文字を、専門家が読み解きました。“庚寅(こういん)の年の正月6日に、この刀を作った”。西暦554年に百済から日本へ、中国でかつて使われていた暦の「元嘉(げんか)暦」が伝わった、とされます。元嘉暦によれば、「庚寅の年」は570年にあたるそうです▼元嘉暦は、太陰太陽暦の一つでしょう。中国には、それより2000年ほど前から太陰太陽暦があったらしい。太陰は月のこと。月の満ち欠けで、日を数えます。1カ月の30日を3分し、10日ごとに巡ってくる日々を甲・乙・丙…庚などの十干(じっかん)で示しました▼12の月を、子(し)・丑(ちゅう)・寅など十二支で順序づけました。さらに、十二支と十干を組み合わせて六十干支(えと)を編み、60周期で日付や年代を表すようになりました。十干の「庚」と十二支の「寅」を結びつけ「庚寅」に、というふうに▼しかし太陰暦は、太陽の位置と関係なく日を刻みます。暦と、農作業の合図となる季節の変化が、かみ合いません。そこで、太陽暦も用いました。立春や立冬など二十四節気です。二十四節気のよりどころは、冬至・春分・夏至・秋分です。太陰暦が表舞台から退いた今も、二十四節気は生活の中に生きています▼なんだか、暦の解説で終わってしまいました。きのうは、昼夜の長さがほぼ等しい秋分。雪のちらつくころ大震災にあった人たちに、またきびしい季節が巡ってきます。





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