2011年9月17日(土)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
人は、生まれた時に自分で自分の名前をつけられません。指揮者の小沢征爾さんが、「征爾」のいわれを記しています▼「おやじの開作さんは…板垣征四郎の征、石原莞爾(かんじ)の爾をもらって…つけたのだそうだ」(『ボクの音楽武者修行』)。板垣と石原。いまでは、「満州事変」をしくんだ軍人として知られています▼1931年9月18日の、星空の夜。「満州」南部の柳条湖というところで、南満州鉄道の線路が爆破されました。「満州」にいる日本の関東軍は、中国軍の仕業といい、すぐに攻撃をしかけます。爆破は、実は関東軍の陰謀でした▼日本軍が放った小さな火種は、「満州国」づくり、中国への全面侵略、太平洋戦争へと燃え広がります。45年の日本の降伏まで。15年戦争の焼け跡の中で、反戦をつらぬいた日本共産党に多くの人々の注目が集まったのもうなずけます▼「満州事変」のあと、国際連盟が日本と中国におくった調査団の報告は、こんな「原則」をもりこみました。連盟の規約や不戦条約に合った解決を。「事変」の3年前に生まれたばかりの不戦条約は、戦争の放棄、紛争の平和のうちの解決を定めていました。当時の連盟の理事会議長は、不戦条約をつくった当の一人、フランス外相のブリアンでした▼自分も入っていた不戦条約を、すすんで踏みにじった軍国日本。国民が「満州事変」の15年後に手にしたのは、新しい不戦の誓い、憲法9条でした。「満州事変」から、あすで80年。9条のずしりとした重みを感じます。