2011年9月4日(日)「しんぶん赤旗」
日本政府 原子力推進の“障害”と
民主的学者 排除リスト
54年「極秘」報告書
日本で初の原子力予算が計上された1954年当時、日本政府の関係者が原子力政策の推進にあたり、自主的・民主的な研究を目指す原子核物理学者を“障害物”とみなし、「極左」「左」などと思想選別し、排除を考えていたことを示す「極秘」報告書が明らかになりました。
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「極秘」報告書は、東京工業大学の山崎正勝名誉教授が米国立公文書館所蔵の米国務省解禁文書の中から発見しました。54年2月24日付の文書で、日本語の活字で書かれています。タイトルは「日本に於ける原子核及び原子力研究の施設及び研究者について」。
同報告書の表紙には、文部省の福井勇政務次官(自由党衆院議員)と通産省工業技術院の駒形作次院長の氏名と肩書(いずれも当時)が英語で手書きされています。同年9月27日に在日米大使館から米国務省に送られています。
報告書は「原子力問題が面倒な理由の一つは、左翼の反米運動の材料として使われているためである」と述べ、学者を名指しで非難。坂田昌一名古屋大学教授や武谷三男氏を「素粒子論研究者の極左派」だとして、「最も強く、保守政府の下での原子力研究に反対している」と敵視しています。
坂田氏は、素粒子物理学の新しい発展の道を開き、世界的に著名な研究者です。同氏の研究室には、後にノーベル物理学賞を受賞する益川敏英氏もいました。武谷氏は、坂田氏らと「素粒子論」を研究していました。
報告書はさらに「極左思想をもつ指導者によって統合されている最大の組織は民主々(ママ)義科学者協会」だとし、原子核物理学関係の会員・同調者として坂田、武谷氏のほか、伏見康治氏(後に公明党参院議員)、中村誠太郎氏らの氏名を列挙。「(科学者の国会とされる)学術会議々(ママ)員の中には、民科を背景とする議員が多く、約40名に及ぶと言(ママ)われている」と報告しています。また「中立系の学者の大部分」も「米国に依存することを排している」としています。
日本の主要な原子核物理学者の大学・研究所別一覧表も掲載しています。備考欄で「極左」「中立」「右、米国と関係深し」などと各学者への注釈を付けています。
報告書は、日本政府の原子力政策に批判的な研究者らを排除し、米国依存で安全無視の原発建設を推進するため形成された“原子力村”の原点を示すものです。
日米が共同で画策
資料を発見した山崎正勝東京工業大名誉教授の話 この「極秘」資料は、文部政務次官だった福井勇が吉田茂政府の下でまとめたと思われる。当時、アメリカでは、水爆に反対したオッペンハイマーなどの科学者が追放される事件があった。この資料から、日本でも、原子力開発から政府方針に批判的な科学者を排除する意図があったことが分かる。「極秘」資料が、アメリカ大使館を経て米国務省に渡っていたことは、日米政府共同で進歩的・左翼的科学者の排除を進めていたことを示している。
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