2011年9月1日(木)「しんぶん赤旗」
主張
防災の日
「想定外」に備えることこそ
東日本大震災の深刻な傷あともいえぬなか、ことしも「防災の日」を迎えました。いまから88年前(1923年)の関東大震災にちなみ、地震や津波、台風や高波など災害についての認識を深め、それへの対処を準備する日です。
折から台風も接近しています。各地で防災訓練などがおこなわれますが、戦後最大といわれる大災害の中でこれまで経験したことのない災害に対しても対策を考え、準備することが求められます。
「想定」を超えた大震災
東日本大震災を「想定」されていた宮城県沖地震と比べると、震度5強以上の揺れに襲われた面積は約9・8倍、地震にともなう津波の浸水面積は明治の三陸地震クラスと比べて約2・1倍、宮城県や福島県では津波の高さが最大9倍、浸水面積は17倍程度になっている―。東日本大震災を教訓に地震や津波対策の見直しを進めている、中央防災会議の資料です。
死者・行方不明者合わせて2万人以上、いまだに多くの避難者が避難所や仮設住宅に暮らす東日本大震災の被害が甚大になった背景のひとつが、地震や津波の規模が国などの「想定」していたより大きかったことです。マグニチュード9・0という規模自体、「想定」されていませんでした。
しかし、「想定」はあくまでもその時点までに得られた知識や観測結果にもとづくものです。いくつもの地震が連動するなど、「想定」を超える地震や津波がおきないという保証はどこにもありません。実際、東日本大震災と同じ程度の地震や津波が繰り返し襲っていたことを示す古文書や地質の調査があります。津波だけでもほぼ千年に一度の頻度で、少なくとも過去6回襲っていたという指摘もあります。限られた知識だけで、「想定」以上の地震や津波は来ないと決めてかかるのは禁物です。
東京電力福島原発事故の調査・検証委員長も務める畑村洋太郎氏は近著で、「未曽有」というのはこれまで経験しなかったというだけで起きなかったという保証にはならないし、「想定外」というのは想定しなかったということで、「見たくないものは見ない」「聞きたくないものは聞かない」のが人間だと警鐘を鳴らしています。
もちろん十分被害が「想定」できるのに想定せず、対策を講じないなどというのは論外です。東電福島原発の事故では、「想定」を超える10メートル以上の大津波の可能性が社内でも指摘されていたのに、対策を講じていなかったことが明らかになりました。「想定外」のことばで責任を免れようとするのは断じて許されません。
あらゆる災害を想定して、文字通り「想定外」の災害にも備えることこそ防災の基本です。物理学者で文学者でもあった寺田寅彦がかつて語った「天災は忘れたころにやってくる」ということばは重いものがあります。
災害の被害を防ぐ
災害を完全に予知することはできなくても、対策を講じ、被害を減らすことはできます。災害に強い町づくりを進め、日ごろの訓練なども怠らないことです。
学校の耐震化ひとつとっても建物の耐震化は進んでも天井や窓ガラスなどの対策は遅れていると指摘されています。災害に備え、被害を少なくすることこそ、人間らしいくらし実現に不可欠です。