2011年8月27日(土)「しんぶん赤旗」

米兵裁判権放棄の文書

外務省が初めて確認

「密約」は否定


 外務省は26日、米兵や軍属、その家族が「公務外」で行った犯罪について、事実上、日本側の刑事裁判権を放棄することを合意した1953年10月28日付、22日付の秘密文書を公開しました。

 同文書は2008年に国際問題研究者の新原昭治氏が米公文書館で入手していましたが、外務省が存在を確認したのは初めてです。同省によれば、今年2月に米側から提供されました。

 同文書は53年に米兵犯罪の刑事裁判権について定めた「日米行政協定」(旧日米地位協定)第17条(別項)を改定するにあたり、交わしたもの。日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会の日本側代表(津田實法務省刑事局総務課長)の声明として、日本にとって「実質的に重要」な事件以外、第1次裁判権を「行使する意図を通常有しない」と表明しています。さらに、22日付文書で津田氏は「日本国の当局がその犯人の身柄を拘束する場合は多くはないであろう」とも述べています。

 外務省は、今回の文書の公開に先立って25日に開かれた日米合同委員会で、津田氏の表明について「日本側の一方的な政策的発言」であり、「日米両政府間の合意を構成したことは一度もなかった」として、日米間の密約であることを否定しました。

 しかし、これまで明らかになっている資料だけを見ても、米兵の犯罪での起訴率はおおむね1〜2割程度。外務省が今回、併せて公開した日本側資料によれば、行政協定が改定された翌年の54年の起訴率はわずか2・5%です。


 行政協定第17条改定 旧日米安保条約に基づき、1952年4月に発効した日米行政協定では当初、「公務中」「公務外」を問わず、米兵のあらゆる犯罪で米側が専属的裁判権を有していました。53年10月にこれを改定し、「公務外」では日本側が第1次裁判権を有するとしましたが、本記に示された密約を交わし、現在の日米地位協定に引き継がれています。


解説

許されない歴史の偽造

写真

(写真)外務省が26日公表した米兵裁判権放棄密約の文書

 「行政協定、地位協定に関する外交文書は公開の優先順位を高める」。岡田克也外相(当時)は昨年4月13日の参院外交防衛委員会で、日本共産党の井上哲士議員に対して米兵犯罪での日本側の刑事裁判権放棄を示した密約文書の公開に前向きな姿勢を示しました。

 岡田答弁を受けて外務省は8月26日に文書を公開したものの、これを「密約」と認めない―。昨年3月の外務省「有識者委員会」報告で、1960年1月に正式合意された核密約の文書を公表しながら、これを「暗黙の了解」にすりかえたのと同様、歴史の偽造を行ったのです。

 文書公開に先立つ25日の日米合同委員会では、「重要事件以外は裁判権を行使しない」とする53年10月28日付文書について、日米双方は「日本側の一方的な政策的表明」だとして、日米間の合意ではないとしています。

 確かに、同文書に記されているのは法務省の津田課長の見解だけです。しかし、外務省自身が26日、同文書と併せて公開した一連の文書にからくりが示されています。

 53年3月17日付駐米大使館発の電信には、「(米側が)非公式の政府間了解により一定の犯人を米側に引渡すことは可能であらうかと質問してきた」と記されています。

 日本側はこのような趣旨の日米合意に難色を示しますが、「極秘」指定された53年8月25日付の三宅喜二郎参事官とバッシン米大使館法務官の会談記録によれば、バッシン氏が「(日本側が第一次裁判権を放棄することを記した)米大使館に対する一方的書簡でもよい」と表明。これに対して三宅氏は「一方的に叙述するぐらいなら、法務省も同意するかもしれない」と述べ、この線で両者は合意したのです。

 日米間の合意か、一方的な表明かは単なる形式論にすぎません。重要なのは、日本国内で罪を犯した米兵に対する日本の検察当局の起訴状況です。

 この点で見れば、外務省自身の資料に、法務省から聴き取ったとされる米軍関係者に対する起訴状況に、明白に示されています(表)。行政協定改定後も、日米地位協定への移行後も低い起訴率で推移しています。日本平和委員会が09年に入手した法務省資料によれば、01年から08年にかけて、米兵犯罪の起訴率は17%にとどまっています。

 これらの根拠になってきたのが、今日まで隠されてきた53年10月28日の文書です。これを「密約」といわずして、何と言うのでしょうか。(竹下岳)

表




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