2011年8月14日(日)「しんぶん赤旗」

主張

終戦66年

震災・原発事故のさなかに


 いまから66年前の1945年8月15日も暑い夏の日でした。31年9月の「満州事変」以来、日中戦争、アジア・太平洋戦争と15年間にわたる戦争で、2000万人を超すアジア諸国民と310万人以上の日本国民を犠牲にした戦争に日本が敗れ、降伏を認めた日です。

 終戦66年のことしの「8・15」は、戦後最大の東日本大震災と、いまだ収束のめどが立たない東京電力福島原発事故の中で迎えることになりました。戦争の惨禍に思いをはせ、平和への決意を新たにするとともに、あらためて日本のあり方を見つめなおす機会です。

政治が根本から問われる

 66年前の日本の敗戦は、「勝ち戦」を信じ込まされ、戦争に駆り出されていた多くの国民にとって大きな衝撃でした。敗戦によって初めて空襲など「被害」の体験とともに、大義のない侵略と領土拡大でアジア諸国民に被害を与えた「加害」の責任に向き合うことになった国民も少なくありません。

 ことしは、中国への侵略を本格化させた「満州事変」から80年、アジア・太平洋戦争に突入した41年12月8日の開戦から70年の節目でもあります。マスメディアなどでいまだに「日本はなぜ戦争へと向かったのか」と問い返され続けていること自体、戦争がもたらした傷跡の大きさを示すものです。

 戦後つくられた憲法は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と明記しました。敗戦はそれまでの日本のあり方、政治のあり方を根本的に問い直すものとなったのです。絶対主義的な天皇制は国民主権の政治制度に変わり、侵略戦争を推進した旧軍隊は解散させられました。同時に日本を事実上単独占領した米軍のもとで再軍備が進められ、日米軍事同盟が結ばれていくことになります。

 財閥は解体されましたが、アメリカと結びついた財界・大企業は戦後も復活・強化を続けます。今日深刻な事態をもたらしている原発事故も、核戦略と一体になったアメリカの政策と、日本の政府・電力会社などによる「原発利益共同体」がもたらしたものです。

 戦後66年、未曽有の災害となった東日本大震災と東電原発事故は、戦後の日本のあり方を、あらためて根本から問うものとなっています。「原発震災」を警告してきた地震学者の石橋克彦氏は、戦前の旧軍隊になぞらえて国策として進められた原発建設を批判します。

 旧軍隊が「大本営発表」で国民の批判を抑え込んだように、原発でも「安全神話」をふりまきマスメディアを総動員して批判を封じてきました。原発事故で「安全神話」が根底から崩壊したいま、原発からの撤退を求める声がほうはいとわきあがるのは当然です。

反対つらぬいた党の存在

 「ひとり共産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を持っていた」―。かつて自民党の党内研修用の教科書が書いた言葉です。

 規模こそ違え、今日もまたかつてない原発事故のなかで、原発推進に反対をつらぬいてきた日本共産党の主張が見直されています。

 2年前の政権交代をピークにした「二大政党」制は、行き詰まり破綻しました。新しい政治を探求するうえでも、戦争にも原発にも反対した党があったと、国民に知ってもらうことが大切です。





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