2011年7月20日(水)「しんぶん赤旗」

主張

女子サッカー世界一

ひたむきさで歴史刻んだ快挙


 久しぶりの明るい話題に日本中がわきたちました。

 ドイツで開かれていたサッカー女子のワールドカップ(W杯)で日本代表が初優勝を飾りました。世界の強豪が集った大舞台でのびのびと力を発揮。決勝トーナメントではドイツ、米国の「2強」を破り、サッカーでは男女、年齢別の大会を通しても初となる世界一のタイトルを手にしました。

諦めずに夢かなえた

 日本のスポーツ史をぬりかえる快挙もさることながら、そのひたむきなプレーぶりも感動を呼びました。とくに、過去24回対戦して一度も勝ったことのない米国との決勝戦では、彼女たちの真骨頂をみせました。2度のリードを許す苦しい展開から粘って追いつき、最後はPK戦でゴールキーパーの海(かい)堀(ほり)あゆみ選手が好セーブを連発して勝利をもぎ取りました。

 速いパスワーク、機敏な動き、高い集中力、そして抜群のチームワーク。体格やスピードにまさる相手に、自分たちが磨いてきた持ち味を存分に生かしてたたかいました。なによりも、不屈な心と、フェアプレー賞を贈られた姿勢は世界から称賛を受けました。

 大震災の後、日本が重苦しさに包まれるなか、恵まれない環境のもとで諦めずに努力をつみ重ねて夢をかなえた彼女たちの活躍は、被災地をはじめ、多くの国民を励まし、勇気づけました。

 しかし日本の女子サッカーの状況をみると、いまも厳しい。国内リーグのトップ選手でさえ、ほとんどが働きながら練習しています。不況の影響で休・廃部になるチームも後を絶たず、最近も代表選手を輩出してきた強豪チームが休部に追い込まれています。練習環境も貧しく、グラウンドを求めて転々とするチームや宿泊費を削るために試合の当日に移動する場合もあります。

 バブル経済の崩壊から日本が2000年シドニー五輪の出場権を逃した時期は、各クラブの運営企業が相次いで撤退し、存亡の危機にさらされました。いまだに国内リーグへの関心は薄く、観客は数百人程度しか集まりません。

 19日の代表帰国記者会見で、主将の沢(さわ)穂希(ほまれ)選手が喜びを口にする一方で「さらに結果を出し続けないといけない」と語り、宮間あや選手も「これからも女子サッカーの発展のためにがんばっていきたい」と話したのも、一度は火が消えかけた女子サッカーの苦難の道のりを分かっているからです。

 日本女子代表が初めて編成されてからちょうど30年。そのすそ野が広がり始めたのは、1989年の国内リーグ誕生以降です。いまでは女子の登録選手、チーム数は30年前の約11倍に増えました(日本サッカー協会調べ)。関係者の尽力で強化もすすみ、2004年アテネ五輪でベスト8、そして北京五輪ではベスト4まで勝ち上がりました。海外でもまれる選手も増え、国際サッカー連盟の世界ランキングも4位まで上がっています。しかし、本格的な環境整備と強化はこれからの課題です。

女子スポーツ発展にも

 代表チームで苦楽をともにしてきた佐々木則夫監督は「大きな歴史を刻んだ」と語りました。今回の女子サッカー代表の活躍は、自分たちの環境の改善にとどまらず、日本の女子スポーツの発展にも大いに貢献するでしょう。





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