2011年7月16日(土)「しんぶん赤旗」
世論誘導 初公聴会から
陳述人 推進派が多数 原子力委選定
73年、福島原発計画時
九州電力の玄海原発再稼働をめぐる“やらせ”メールで浮かんだ原発推進派の不正体質。問題になったのは原発「安全神話」をふりまき、根本的欠陥を糊塗(こと)するため世論をゆがめる行為です。こうした世論工作は昨日今日のものでなく、全国で初めて行われた国主催の原発公聴会でも、当時の政権政党と一体となってすすめられた実態がありました。(遠藤寿人)
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東京電力福島第2原子力発電所(福島県楢葉(ならは)町、富岡町)の建設をめぐって1973年9月18日、日本初の原発公聴会が開かれました。
同原発の建設計画をめぐっては、安全性を心配する楢葉町の住民らが公聴会の開催を求める署名を集め、通商産業省(中曽根康弘大臣=当時)に陳情。1カ月後、原子力委員会が公聴会の開催を通知してきました。
しかし、「安全性を心配する住民の気持ちを逆手にとって、推進の場に変えられた」と指摘するのは、当時、公聴会開催を要求した一人の早川篤雄さん(70)=原発の安全性を求める福島県連絡会代表=。
公聴会での陳述希望者は官製はがきで応募する形ですが、実際に選ばれる陳述人は原子力委員会が選定します。
公聴会の陳述人は1404人の応募で、うち42人が指定されました。「公平」な場のはずなのに、賛成意見27人、反対意見13人と、推進派が圧倒的多数を占めました。
賛成意見を述べたのは、町長、町議会議長、県議会議員、農業・漁業団体幹部、商工会会頭など地元有力者です。
しかも不可解なのは公聴会への傍聴希望者が1万6158人と、同町人口(約7000人)の倍以上に達したことです。早川さんは「外部から大量に応募させ、地元住民を閉め出した。公聴会では知らない顔がたくさんいた」と証言します。
この公聴会のために「安全神話」を振りまいたのが自由民主党機関紙「自由新報」です。裏表2ページの「原発特集号」が公聴会1週間前、原発建設地域の新聞に折り込まれました。
福島第1原発(大熊町、双葉町)の航空写真を大きく掲載し、「原発建設で双葉の未来を」との見出しで「関東大震災の3倍の地震がおきても、原子炉はこわれないようにつくられています」と安全性を強調しました。
さらに推進派は「明日の双葉地方をひらく会」という団体を結成。公聴会の直前に「結成記念講演会」を開催するため、「自由新報」やビラなどで大宣伝しました。
福島第1原発事故のためにいわき市で避難生活をおくる早川さんは、怒りを込めてこう語ります。「住民をごまかし、声を無視して『安全神話』を振りまいた、原発推進勢力の責任をきちんと追及する必要がある」
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