2011年7月13日(水)「しんぶん赤旗」
共産党ボランティア のべ8600人
夏本番 支援さらに
日本共産党東日本大震災現地対策本部事務局長 水戸正男さんの手記
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東日本大震災から1カ月半の4月25日、日本共産党は「しんぶん赤旗」で救援ボランティアについて呼びかけました。2カ月間で、北は岩手県久慈市から南は福島県いわき市まで3県、10の党地区委員会の地域にのべ8600人余が入りました。
ボランティア開始当初の被災地は余震が続き、がれき撤去も半ばでした。宿泊場所や食事などにも不便をきたす状態だったため、「宿泊も食事も自己完結型で」という条件でした。それにもかかわらず5月の連休をはさんで、全国から多くのボランティアが駆けつけました。先駆的なこの活動が、その後の牽引(けんいん)力になりました。
5月半ばから全国の党組織が被災地を分担して本格的にボランティア活動をとりくみました。遠方の党員は、「そんなに遠くから来たの」と歓迎されたり、福島第1原発の近くにある南相馬市では「ここまで来たのはあんたたちだけだ」と驚かれたり。被災者の心に寄り添った活動が、各地でたくさんのドラマを生みました。
話題に
宮城県の党東部地区はのべ2400人のボランティア支援を受け、240回の支援物資お届け隊で1万7000人に物資を届けました。8回の青空バザーも行い、ボランティア活動が市民の話題になり、被災地の党員を励ましています。
仮設住宅の訪問、要望聞きの活動も行いました。雨漏りがする、隙間があるなどの苦情や、「仕事も収入もなく生活できない」との痛切な声が聞かれました。
仮設住宅に入居した被災者がいまだ“自立”できない状況のもと、党地方議員は、ボランティア活動を通じて聞いた切実な声を生かし、食料支援の対応や仮設住宅地域への店舗開設、買い物・通院バス運行を求めることなど、被災者の生活再建をすすめています。
津波の泥に埋まったイチゴやカーネーション栽培農家が、泥出しによって、「廃業しようと思ったがボランティアの支援でまたやる気が起きた」と希望も生まれています。また若者たちの活躍、理・美容師や「たこ焼き」など特技を生かした活動も喜ばれています。
道半ば
私がとくに感動しているのは、「人の役に立ちたい、私も何かしたい」と参加したボランティアが「被災者の体験に涙を流したが、自分の力で生きようとしていることに逆に勇気をもらった」「被災地の党議員や党員の活動から学んだ」との感想を寄せていることです。日本共産党のボランティア活動が、困難のなかでも被災住民と共鳴しあい、温かい全国的な連帯として広がっていることです。
未曽有の被災状況からみれば、救援活動もまだ道半ばです。とりわけ、一人ひとりの被災者の切実な要求と声を聞く活動が大切です。ボランティアはまだまだ必要です。これからは猛暑のなかでの活動という困難もあります。夏に入り新たな支援物資も求められています。全国的な連帯と支援の輪をさらに広げ発展させていくことを心から呼びかけます。