2011年7月7日(木)「しんぶん赤旗」
「古典教室」不破社研所長の第6回講義
第3課『空想から科学へ』(1章)
その時、階級・思想は
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第6回「古典教室」が5日開かれ、日本共産党の社会科学研究所の不破哲三所長が、マルクスが「科学的社会主義の入門書」とよんだエンゲルスの『空想から科学へ』をテキストに第1章を講義しました。
はじめに、「綱領・古典の連続教室」の視聴者が2万7千人に発展したこと、第4回講義での原発災害の話がパンフ『「科学の目」で原発災害を考える』になり26万部売れたことをのべ、この教室も話題になっていますと話しました。
『空想から科学へ』(1880年)が『反デューリング論』という論争の書から生まれた当時の背景を説明し、「マルクスやエンゲルスが、科学的社会主義のあらましをまとめて書いた貴重な本」と紹介。1906年に党創立者の一人の堺利彦が、日本で初めて訳した赤い表紙の雑誌『社会主義研究』を手にして、ブルジョアジーを「紳士閥」、プロレタリア革命を「平民革命」と、苦労して訳したと語りました。
不破さんは、フランスが、フランス革命をいまでも国家的に記念して、7月14日の革命記念日をナショナル・デーとし、革命のさなかにつくられた三色旗を国旗、革命防衛戦争の軍歌「ラ・マルセイエーズ」を国歌としていることを紹介。「志位さんが同じ資本主義国でも国によって『顔つき』が違うと話しましたが、『君が代』『日の丸』の日本と比べると、かぶる帽子も違うんですね」と、会場の笑いと共感を誘いました。
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フランス革命の大筋と影響をつかむ
空想的社会主義について書かれた第1章に入る前に不破さんは、「エンゲルスはこの本で現代の社会主義の源流をフランス革命に求めており、1840年代に社会主義の道を歩き始めたマルクスにとっては、フランス革命はつい40年ほど前の世界史的事件でした。この革命の大筋をつかむことが、この本を理解しやすくします」とのべ、フランス革命の概略を講義しました。
第2課の『経済学批判・序言』で学んだ史的唯物論の応用問題として、生産関係が生産力の発展の「桎梏」(しっこく=手かせ・足かせ)になる実例を、革命前夜、絶対王政のもとでのフランス社会で、ブルジョアジー、農民、都市民衆のおかれた状態、要求から説明しました。旧体制(アンシャンレジーム)を徹底的に批判したルソーやディドロなどの「啓蒙(けいもう)思想家たち」が思想の武器を提供したフランス革命では、今日のように革命をめざす政党があり、革命のプログラムが事前に用意されていたわけではないと解説しました。
フランス革命の経過に入った不破さん。国費の無駄遣いをきっかけに、「三部会」の招集、国民議会、「人権宣言」、右派政権、国民軍の登場、ジロンド党政権、ジャコバン政権、「恐怖政治」など、1789年に始まり1794年に終結した5年間の革命の政治史をたどりながら、各階級の動き、階級間の連合、国内外の反対派とのたたかいなど生きいきと浮かび上がらせました。
革命が危機に陥ったときにマルセイユからかけつけた義勇軍の革命歌で、国歌となった「ラ・マルセイエーズ」の歌詞をフランス語と訳詩で紹介しました。
革命史のなかでは、国王が身分制の「三部会」を招集したことが、政治という舞台をつくったこと、当初「革命万歳、国王万歳」の立場にとどまっていた民衆が王政を廃止し共和制を実現するまですすんだこと、ブルジョアや農民の封建的重荷が取れて要求はほぼ満たされるが、都市民衆の生活苦は変わらなかったこと、革命が足踏みしたときにパリの民衆がその都度決起して、政治を動かし、革命を前に進めたことなどを強調しました。
この革命が、その後のナポレオンの時代とあわせ、フランスの資本主義発展の道を切り開くとともに、ヨーロッパで人民主権と共和制の旗を掲げて民主主義の先駆けとなり、大きな影響を与えたと話しました。
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空想的社会主義者は何をめざしたか
後半は、第1章の本論に入り、テキストの段落ごとに要約的な解説を加えていきました。
フランス革命を準備した啓蒙思想家は、旧体制を、この体制を倒せば「正義と理性にかなった国」が実現するとし、これが革命の旗印となりましたが、実際に革命によって生まれたのは、「ブルジョアジーが支配する国」でした。階級対立と資本主義の害悪をみて幻滅し、社会の改革で「正義と理性の国」の実現をと考えたのが、サン・シモン、フーリエ、オウエンという3人の空想的社会主義者だったのです。
サン・シモンは、資本家と労働者の階級対立はよくみえておらず、「働く者」と「怠け者」の対立とみていました。不破さんは、「マルクスの評価は3人の中で一番辛く、エンゲルスの評価とは多少の違いがある」と注釈を加えました。
フーリエは、痛烈な風刺家で、工場制度を「緩和された徒刑場」と呼び『資本論』で引用されたことや、“人間社会の進歩の度合いは女性差別の解決の度合いで計ることができる”という見地を最初にのべた思想家で、マルクスに引き継がれ、不破さん自身も女性の集会などでよく引き合いに出してきたと語りました。
オウエンは、自分で模範的な工場をつくって実験し、さらには共産主義社会をつくろうと実験し、マルクスが未来社会の特徴づけとして『資本論』でしばしば引用していることを紹介しました。
3人に共通していたのは、プロレタリアートの解放ではなく、全人類の解放を実現しようという立場で、頭の中で「社会的改革の絵図面」を考え、それを外から社会に押しつけようとしたことでした。この点では、啓蒙思想家たちの「理論的形式」を引き継いでいたのです。
不破さんは、空想的社会主義者の潮流が生まれた経済的背景として、資本主義的生産の未成熟な状態が照応していたというエンゲルスの指摘を引きました。
エンゲルスがこの本を書いた当時には、空想家たちの「理論」をそのまま繰り返している社会主義者が、フランスにもイギリスにもまだたくさんいました。エンゲルスは、そのことも頭において、今日、より進んだ情勢のもとで活動している社会主義者が「未成熟な時代」の未成熟な理論にとどまっているわけにはゆかないことを強調します。エンゲルスが、フランス革命と空想的社会主義を取りあげた第1章から引き出した結論はまさにこの点にありました。
不破さんは、1章の最後の段落、「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基盤の上にすえられなければならなかった」を読み上げました。これがマルクスがやった科学的社会主義の確立の仕事で、2章からいよいよその解説が始まります。不破さんは、次回の2章は世界の見方(世界観)にあてられ、弁証法、社会観、資本主義の矛盾の発展という独特の展開になっていることも念頭において、予習にとりくんでほしいとのべました。