2011年6月30日(木)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
芭蕉が「おくのほそ道」の旅で平泉の中尊寺に着いたのは、元禄2年5月13日でした。いまの暦で1689年の昨日、6月29日です▼芭蕉の句「五月雨(さみだれ)の降り残してや光堂」。光堂は金色堂。寺が開かれて以来500年も年々降り続く梅雨の雨も、ここだけは降り残してきたのだろうか。金色堂は輝き、昔の栄光をしのばせている―▼藤原四代の清衡、基衡、秀衡、泰衡の遺体などを納める金色堂。時代は下り1942年、歌人の北原白秋が中尊寺に泊まって金色堂の中をみています。同行していた歌人が、白秋の弟子の故岩間正男。戦後、日本共産党の参院議員となる岩間さんです▼参院議員・岩間正男は1949年、国会の視察で戦後初めて金色堂を訪れました。7年前と比べ荒廃した姿に、心を痛めます。はがれた金箔(きんぱく)。はげ落ちた漆…。金色堂だけではありませんでした。薬師如来(にょらい)のひざ元に雨もりの水がたまる。千巻を超えるお経の虫食いがひどい…▼岩間さんは、さっそく国会で報告し、政府に保存を促します。“新しい時代の文化創造の糧(かて)となる民族文化を保存し、国民が共有しよう”と。中尊寺のお坊さん、地元岩手の人たちや岩間さんの「修復を」の訴えは、「金がない」と突っぱねる国を動かします▼1960年代、中尊寺の大修理は実現しました。何度も国会で修復を求めた岩間さんに、感謝状が届きます。作家で中尊寺貫主、今東光氏からでした。中尊寺は先日、国民の共有財産にとどまらない世界遺産に登録されました。