2011年6月23日(木)「しんぶん赤旗」
きょうの潮流
5月30日のこと。日本共産党の宮城県議・遠藤いく子さんがインターネットの日記(ブログ)に、当日の涙の出会いのもようを書いています▼被災地への支援にやってきた、共産党の沖縄県議団と話し合ったときでした。団長の嘉陽宗儀さんは、「沖縄の県民は、自分たちの体験と今回の震災の惨状を重ね合わせて、心を痛めている」といいました▼「沖縄は鉄の暴風といわれるすさまじい戦争でたくさんの犠牲を出して焼き尽くされた。その後米軍は、県民を収容所に閉じ込めて奪い尽くした。(津波被害のように)戸籍がない、登記簿謄本がないということを、沖縄は戦争で体験している」▼宮城の県議団長、横田有史さんが「津波で“まっさら”になった被災地に財界・ゼネコンのための絵を描こうとする復興計画」を批判すると、嘉陽さんが応じました。「艦砲射撃で破滅した沖縄を、自由に線引きして占領した米軍と同じではないか」▼「思いがつながる」と嘉陽さん。遠藤さんは書きます。「私は、この数十日こらえていた涙が一気に噴出して、人前で泣いてしまいました」。沖縄県議団は翌日から、石巻市で民家の泥だしやがれきの撤去に汗を流しました▼沖縄戦の日本軍の組織だった戦闘が終わり、今日で66年。全国が心を一つにして被災地を支援するように、人々が沖縄の痛みを分かち合い、沖縄県民と平和の心を一つにするときでしょう。いまなお沖縄を自由に線引きし、辺野古の新基地づくりをあきらめない日米政府に抗して。