2011年6月20日(月)「しんぶん赤旗」
原発撤退 「福島」が契機
独首相の議会演説
ドイツ政府は福島第1原子力発電所の事故を受け、原発撤廃へとエネルギー政策を転換し、関連法案を9日、連邦議会に提出しました。メルケル首相は同日の議会で行った演説で、福島原発事故が政策転換のきっかけだったことを強調しました。その演説のうち、同事故に関する部分を紹介します。
90日前、日本の東北を史上最大級の地震が襲った。続いて東海岸に10メートルの高さにおよぶ津波が押し寄せた。その後、福島第1原発の原子炉が冷却機能を喪失した。日本政府は非常事態を宣言した。
あの恐るべき3月11日から90日たった今日、われわれは次のことを知っている。原子力発電所の三つの原子炉ブロックでは炉心が溶融している。今でも放射能を帯びた蒸気が大気に排出されている。広い範囲の避難地域はなお長期わたって残存するだろうし、事態収束のめどはなおたっていない。先週には1号機でこれまでで最高の放射能汚染があった。国際原子力機関(IAEA)は引き続き、福島の事態は極めて深刻だとしている。
われわれは今日、ドイツのエネルギー供給の新しいあり方に関する広範な計画について審議をおこなう。しかしその前にまず、日本の人々のことを想起したい。犠牲者を哀悼し、もっとも親愛な人、全財産、故郷を失った人々に心を寄せる。私は数日前、ドービルでの主要8カ国首脳会議(G8サミット)で日本の首相に、ドイツは引き続き日本の力になると伝えた。
日本の劇的な事態が世界にとっての転機であることは疑いない。それはまた、私個人にとっても転機だった。福島では、きわめて過酷な事態の中にあって、さらに過酷な事態を避けるために原子炉を海水で冷やそうと必死の努力が続けられている。
事故は起こる
日本のような高度な技術国ですら原子力の危険は確実には制御できないという事実を、われわれは福島の事態から認めざるをえない。
その認識に立てば、必要な結論を引き出さねばならないし、新しい見方が必要になる。だからこそ私は“新しい見方をすることにした”と明言したのだ。
なぜなら、原子力の残存リスク(注=万全の安全対策をしたうえでなお残る危険)を容認できるのは、そうしたリスクはおよそ起こらないと確信できる人だけだからだ。
しかしそれは現に起こるのであり、ひとたび起こればその結果は、空間的にも、時間的にもきわめて深刻かつ広範囲であり、他のすべてのエネルギー源がもつ危険をはるかに上回ることになる。
私は「福島」以前には原子力の残存リスクを容認していた。高い安全基準をもつ高度技術国ではおよそこうした事故は起こらないと確信していたからだ。しかし、事故は現に起こった。
想定の信頼性
問題は、ドイツで同じように恐ろしい地震がおこるかどうか、日本のような破局的な津波があるかどうかではない。それはないことは誰でも知っている。「福島」後に重要なのはそんなことではない。
問題はリスク想定の信頼性であり、確率分析の手法の信頼性だ。この分析は、政治が決定をおこなううえでの基礎であり、信頼性が高く、支払い可能で、環境にやさしいエネルギー供給、すなわちドイツにおける確実なエネルギー供給のために決定をおこなう基礎だ。だからこそ私は本日、明確に述べる。
確かに私は昨年秋、わが国の包括的なエネルギー基本計画でドイツの原発の稼働期間の延長を支持した。しかし私は本日、本議会において誤解の余地がないよう、こう断言する。「福島」は原子力に対する私の見解を変えた。
こうした背景のもとで連邦政府は、原子炉安全委員会にたいし、3カ月以内にドイツの全原発の包括的な安全点検をおこなうよう委託した。さらに政府は、より確実なエネルギー供給のための倫理委員会を招集した。両委員会はこのほど、その活動の成果を提出した。その活動に感謝したい。